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モナド論(その1):意識は「主観」でなく、「客観」(モナド)だ!「客観」とは、存在の「像」でなく、存在「そのもの」ということだ!

2018-08-27 20:16:59 | 日記
(1)「意識」とは、「世界がある」「いろいろなものがある」ということだ!
「意識」とは、よくわからない言葉だ。はっきりしているのは、「世界がある」「いろいろなものがある」(Ex. 物体、感情、私なるもの、この身体という物体、見える山、味をもつ食物、他なる人、本、記憶された過去、予想)ということだけだ。それがすべてだ。その「世界がある」「いろいろなものがある」ということが「意識」と呼ばれる。

(2)君は、初めから自由でない!言葉の牢獄だ!
言葉はすでに作られていて、君は、言葉で「世界がある」「いろいろなものがある」という事態を、分類(分節)・関連付けすることとなる。「あー!やだやだ!」君は、初めから自由でない。言葉の牢獄だ。

(2)-2 「意識」なるものがあると、君に教えたのは言葉だ!
そもそも言葉が、「意識」なるものがあると、君に教えた。

(3)客観的な世界(客観)と「意識」(主観)
普通、日常生活では、話は簡単だ。客観的な世界(客観)があって、それを各人の心、つまり「意識」(主観)が、映し出す。言葉が、そう教える。ここで客観とは、「物世界(物体世界)」のことだ。

(4)「意味」(イデア)も客観だ!
ところが「意味」(イデア)も客観だ。「意味」とは、「世界の重なり」のことだ。ここで世界とは、(言語にとらわれる以前における)《「世界がある」「いろいろなものがある」という事態としての世界》だ。(これは超越論的意識・超越論的主観性と呼ばれる。あるいは「現象」と呼んでもよい。)

(5)君は、生れる落ちるとすぐに、言葉を教えられる!
言葉は、「世界の重なり」としての「意味」を、君に指示する。意味はイデアであり、客観だ。君は、生れる落ちるとすぐに、言葉を教えられる。君を取り巻く音声、音声を発する物体(それは気持ちよく、柔らかく、君に起きている苦しみ、飢餓を解決してくれる頼もしい物体で、後に「母」という言葉で呼ばれる)とともに、君は、言葉(さしあたり音声、そしてこの音声も「意味」(イデア)としてある)と、言葉が指示する「世界の重なり」を、知る。

(5)-2 「意味」はイデアであり客観だが、その意味は、世界経験の流れに対し不動ということだ!(「意味」は意識に属する!)
「意味」はイデアであり客観だが、ここで「客観」とは、世界経験の流れに対し不動ということだ。「意味」は意識(超越論的意識)のうちに存在する。

(5)-3 物世界が「客観」であるとは、物世界は、意識が届かない存在だということだ!意識は「主観」であり、物世界の「像」だ!
これに対し物世界が「客観」であるとは、物世界は、意識が届かない存在、存在そのものだということだ。かくて、意識は「主観」であり、物世界の「像」だということになる。(ただし、意識が届かない存在、存在そのものに、どのように「像」が結べるのか、説明できない。)

(5)-4 意識は、物世界「そのもの」、心的世界「そのもの」、そしてそれらを覆うイデア的「意味」からなる!
だが実は、意識は、物世界「そのもの」(感覚)であり、また心的世界「そのもの」(感情・欲望・意図・夢・意味の展開形態としての諸虚構)であり、そしてそれらを覆う(注視の欲望の産出物である)不動のイデア的「意味」からなる。(ただし「そのもの」という存在性格が「意味」に引き継がれる。)

(5)-5 意識は主観でなく、客観(モナド)だ!客観とは、存在の「像」でなく、存在「そのもの」ということだ!
意識は主観でなく、それ自身、客観(モナド)だ。たくさんの客観(モナド)、つまりたくさんの宇宙(モナド)が存在する。ここで客観とは、存在の「像」でなく存在「そのもの」ということだ。

(6)①「物体世界(感覚)」、②「意識世界(心、心的世界)」、③イデア的意味
《世界》は、①「物体世界(感覚)」、②感情・欲望・意図・夢(Cf. 「虚構」は「意味」の展開形態だ)からなる「意識世界(心、心的世界)」の、2領域をもつ。(ただし「物体世界(感覚)」も「意識世界(心、心的世界)」も、③イデア的意味に蔽われている。)

(6)-2 「意味」(イデア)は、《世界》(「物体世界」および「意識世界」)を覆い尽くす!
イデアは、「物体世界」の経験(流れ)及び「意識世界」の経験(流れ)、それらの経験(流れ)の重なりであるが、「物体世界」の経験及び「意識世界」の経験から独立した存在、つまり客観だ。「意味」(イデア)は、《世界》を覆い尽くし、君は、「意味」(イデア)しか見なくなる。そして言葉が、「意味」(イデア)を指し示す。

(7)「言葉」(意味)が「経験の重なり」を指定する!逆に「経験の重なり」が新たな「言葉」(意味)を作る!
かの「音声を発する物体」(Ex. 母)は、《世界》のうちに登場する。彼女は、「言葉」を発する。ある経験(状況)には、「言葉(音声)」が普通、同伴する。その言葉(意味)から「経験の重なり」(「世界の重なり」)が、指定される。これとは逆に、「経験の重なり」(「世界の重なり」)が新たに生じ、新たな「言葉(音声)」(意味)ができるor必要とされることもある。
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