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ロバート・フロスト(1874-1963)「夜に馴染んで」(1928年、54歳):存在は、よそよそしい客観性だ! 

2017-04-23 22:01:47 | 日記
 夜に馴染んで
        ロバート・フロスト

わたしは夜に馴染んだ人間だ。
雨の中へと出歩いたし— また雨の中へと戻ったこともある。
いちばん遠い街の灯のもっと先へも歩いていった。

わたしは、悲しみきわまる街の路地を見降ろした。
巡回中の夜警とすれ違い
説明するのが嫌で目を伏せた。

わたしは、じっと立ち止まり足音を消したことがある
遠くから途切れた叫び声が
家並みごしに向こうの通りから聞こえた時だった、

しかしその叫び声は、わたしを呼び戻すためでも、わたしにさよならを言うためのでもなかった;
そして、もっと向こうにはこの世ならぬ高みで
一つの光る時計が空を背景に
時代は、誤っていないし、また正しくもないと、宣言した。
わたしは夜に馴染んだ人間だ。

《感想1》
詩人は夜に精通する。
夜、雨の中へと出歩く。雨の暗闇こそわたしの居場所。
遠い灯はこの世界の果て。その先の闇も見た。
《感想2》
夜、悲しみきわまる街をわたしは知る。
夜の住人たるわたしは、昼の秩序の体現者にとり胡散臭い。
《感想3》
夜の叫び声を聞き、詩人は足を止める。
しかしそれは、わたしを呼び戻しも、突き放しもしなかった。
わたしは、孤絶している。
《感想4》
時計は、唯一の宇宙時間を示し、客観性そのものとして、光り輝く。
それは、客観的超越の高みである空に等しい。
その立場からすれば、時代は、人間の価値判断と無縁である。
《感想5》
存在は、価値と無縁である。
だから存在の総体である「時代」は、誤るとか、正しいとか、価値づけられない。
存在は、それ自身、ただひたすらおのれを示すだけ。
《感想6》
わたしは、孤絶し、この世界の果てのさらに先の闇を知る。
闇が、「存在は、よそよそしい客観性だ」と宣言する。
わたしは夜(闇)に馴染む者として、価値づける熱情を信じない。

 Acquainted with the Night
                 Robert Frost

I have been one acquainted with the night.
I have walked out in rain and — back in rain.
I have outwalked the furthest city light.

I have looked down the saddest city lane.
I have passed by the watchman on his beat
And dropped my eyes, unwilling to explain.

I have stood still and stopped the sound of feet
When far away an interrupted cry
Came over houses from another street,

But not to call me back or say good-bye;
And further still at an unearthly height,
One luminary clock against the sky

Proclaimed the time was neither wrong nor right.
I have been one acquainted with the night.
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