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小熊秀雄(1901ー1940)「病気」:詩人は肉体的に病気となり体力・気力を失い、人間は《地上の世界で食べて糞尿を出し生きるしかない》のかと自問しつつも、天上の世界を諦めたくない!

2019-08-18 20:32:41 | 日記
 「病気」 Illness (※1935頃ー1940頃)

大馬鹿者が病気となれば A stupid man has become ill.
一日中寝台に寝てゐる Then he lies in a bed all day.
手萎ひ、足萎ひ His arms are paralized, and also his legs.
起きることができない He can’t stand up.
ハラワタは比較的順調なれば His guts are relatively good
食慾は徒(イタズラ)にすすむ and then he can easily eat much.
細りもせず He doesn’t become thin.
肥えもせず He doesn’t become fat.
健康でもない He is not healthy,
さりとて病人でもない but he is not ill.
大馬鹿者はとにかく A stupid man anyhow
こゝまで生存してきた has lived until now.
雑炊を作り He cooks porridge of rice and vegetables.
それに鶏卵を放って喰ひ Adding an egg to it, he eats it.
むなしく一羽の雛つ子が A chick regrettably
誕生するのを拒否してしまう cannot be born because of his bad deed.
茶の葉をせんじて飲み He drinks green tea.
熱いといっては癇癪を起して It is so hot that he gets angry
茶碗を傍になげとばす and throws his tea-cup beside him.
カミソリをもって髯(ヒゲ)をそる He shaves his beard,
手元甚(ハナハ)だ危ふし but it makes him dangerous.
崇高な哲理を考へようとすれば As soon as he thinks about sacred phirosophical theories,
あくびがでてくる he begins yawning.
所詮、横つ腹のキルクの栓を抜けば After all, pulling a cork from his/her berry,
君も僕も糞尿飛び出す体なり each of us lets excrement and urine go out from his/her body.
あゝ、崇高なる Ah, all sacred phirosophical
一切のもの things without exception
価値なし are valueless
雑炊のごとしか like porridge of rice and vegetables.

《感想1》「大馬鹿者」は、すでに初めから精神の病気だ。今、その上、肉体も病気となった。詩の主題は、肉体の病気でなく、「大馬鹿者」として、すでに初めから病気だったと詩人が思う自分の精神の一生を回顧する。

《感想2》精神の病者である「大馬鹿者」が、今、その肉体も病気になった。二重の悲劇(or喜劇)だ。(この時期、詩人は結核で喀血している。)

《感想3》だが問題は何よりも精神の病気だ。「手萎ひ、足萎ひ、起きることができない」のは肉体だけでなく、精神までもがそうなってしまったのが、この詩人には何よりも問題だ。

《感想4》「ハラワタは比較的順調」、つまり食欲があるのは病人にとって良いことだ。自嘲気味だが実は彼は安堵している。「崇高な哲理」よりも、日常的出来事がより精神に影響を与える。

《感想5》「細りもせず肥えもせず」、肉体の病気は小康状態だ。かくて精神も落ち着いている。昔、誰かが《健康な精神は健康な肉体に宿る》と言った。
《感想5-2》補足:この標語は《病気の肉体》に《健康な精神》が宿らないかのような誤解を与える。《健康な精神》は肉体が健康であるか病気であるかと関係ない。(だが体調が悪いと、精神も弱るのも確かだ。)

《感想6》生きながらえたのは、それ自身、ほめるべきことだ。「大馬鹿者」でも「こゝまで生存してきた」。つまりこの世間を渡って来た。何とか世渡りしてきた。ほめるべきだ。

《感想7》「雑炊」を食べるのだから粗食だ。贅沢できない人生だった。だが生きてきた。生活は苦労続きだった。

《感想8》「むなしく一羽の雛つ子が誕生するのを拒否してしまう」。詩人はどこかで、自分が社会悪の共犯者だと思っている。かつて全共闘運動で《自己否定》というスローガンがあった。言わば、そうした気分・感情だ。

《感想9》些細なことで気分を害する自分。茶が「熱いといっては癇癪を起」す。自分は崇高になりたいのに、自分の気分のコントロールさえも難しい。
《感想9-2》補足:詩人のように権力のない者が気分に振り回されても、他の者たちに影響がない。しかし権力ある者が些細なことに気分を害したら、そのむら気に他の者たちが影響され、ひどい目にあう。《人の支配》は怖ろしい。

《感想10》「カミソリ」一本でも人間は死ぬ。「蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である」(パスカル)。人間は肉体としては宇宙の塵だ。

《感想11》「崇高な哲理」とは、現実の地上的な政治・経済・生活を超越した天上的な理論的真理のことだ。それは地上の生活に役立たない理屈。残念だが「あくびがでてくる」。
《感想11-2》だが「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(コトバ)で生きるものである」(マタイ4. 4)。「崇高な哲理」とは、人の生を支える《神の言(コトバ)》にあたるものでありうる。
《感想11-3》詩人の肉体が病気なので、人生を支えうる「哲理」であっても、彼には理解する体力・気力がない。修行する体力・気力が肉体の病気のため失われている。

《感想12》「大馬鹿者」が、すでに初めから精神の病気だったとは、「崇高な哲理」を信じていたということだ。それは一見、地上の生活に役立たない理屈である。
《感想12-2》だが詩人は、「崇高な哲理」を人の生を支える《神の言(コトバ)》にあたるものと思い続けていた。
《感想12-3》その詩人が、今、《神の言(コトバ)》の無力を感じている。とりわけ、彼は自分の肉体が病気となり体力・気力が失われ、《神の言(コトバ)》を信じ続けることができなくなっている。

《感想13》詩人は自分が地上の世界に属し、肉体に支配されているとよく知っている。彼は、だがそれが人間の全てなのだと思いたくない。「あゝ、崇高なる一切のもの価値なし雑炊のごとしか」と彼は悲痛に自問する。
《感想13-2》詩人は肉体的に病気となり体力・気力を失い、人間は《地上の世界で食べて糞尿を出し(生殖して)やがて死ぬ肉体を生きるしかない》のかと自問しつつも、天上の世界を諦めたくないのだ。
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