※前野隆司(1962-)『脳はなぜ「心」を作ったのか――「私」の謎を解く受動意識仮説』(ちくま文庫2010)(2004刊行、42歳)
第4章心の過去と未来――昆虫からロボットまで
(12)動物は「心」(「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」)を持つか?(148-151頁)
M 人の「心」のうち、「知」と「意」は大脳新皮質がつかさどる。「情」は大脳縁辺系がつかさどる。(148頁)
M-2 魚類に始まる脊椎動物は、みな、脊髄・小脳・大脳といった中枢神経系を持ち、魚類さえも小さいながらも大脳新皮質に対応する部位を持つ。かくてすべての脊椎動物(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)は人の「心」と同じように、「知」「情」「意」「記憶(※意味記憶とエピソード記憶)と学習(※記憶の更新)」を行っていると思われる。(149頁)
《参考1》「心」は、「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」(※脳科学のような「意識化された無意識」も含む)の5つの働きからなる。(24頁)
《参考2》「記憶」には「宣言的記憶」(言語で宣言できる)(「エピソード記憶」・「意味記憶」)と「非宣言的記憶」(Ex. からだで覚える)がある。(20頁)
《参考2-2》「宣言的記憶」には「エピソード記憶」(episodic memory)と「意味記憶」(semantic memory)がある。「エピソード記憶」は「日記」のようなもので、自分がいつ何をしたかをエピソードの連続として時系列的に順番に覚えていく記憶だ。「意味記憶」は「辞書」のようなもので、モノやコトの「意味」の記憶だ。時系列とは関係なく、例えばリンゴとは何か、色とは何か、心とは何かなどを、定義として覚えることだ。(20頁)
《参考3》「意識」とは、モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※唯識の「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、自分は私であることを認識できる自己意識(selfconsciousness)を合わせたものである。(22-23頁)
《参考4》「脳」についての知見である「脳科学」は、「意識化された無意識」(前野隆司)であり、つまり「脳科学」は「心」(意識)に属する。(24頁)
《参考5》コンピュータやロボットは、心の5つの働き・要素(「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」)のうち、「意識」という心の働きをまったく持っていない。(22頁)
M-3 さて脊椎動物(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)は人の「心」と同じように「意識」を持つだろうか?(149頁)
M-3-2 「意識」とは、①モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※唯識の「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、②自分は私であることを認識できる自己意識(self consciousness)を合わせたものである。(22-23頁)
M-3-3 「意識」(※ここでは②「自己意識」の意)は「エピソード記憶」を行うために生じた。(149頁)
《感想1》「モノやコトに注意を向ける働き(awareness)」(①)としての「意識」は、すべての脊椎動物が持つし、あらゆる「動物」、さらに「植物」、一般にすべての「生命」が、この①の意味での「意識」を持つだろう。
《感想1-2》あらゆる生命において、《ノエマとノエシスの分化、「見分」と「相分」の分化、「世界の開け」》が生じていると言うべきだ。
《参考1》後期フッサールの展開した「自我の関与を含まない受動的志向性」を射程に入れた「発生的現象学」。「受動的綜合」には、自我からのいかなる能作も関与していない。
《参考2》「連合の受動的総合」(対化)と「同一化の受動的総合」。
《参考2-2》受動的綜合としての「対化」(Paarung)。(Cf. 『デカルト的省察』第五省察。)「対化」とは、れわれが「同一化の受動的総合」に対立させて、「 連合」と呼ぶ受動的総合である。「対化」は「連合の受動的総合」のひとつの根本形式である。
《参考3》無意識(受動的)に働く「過去把持」と「(未来)予持」。なおフッサールは「(未来)予持は内容的には何を予持しているのか」という問い を立て、その答えとして「ヒュレー的与件に向かう(未来)予持」(H予持)と答える。
《参考4》「ヒュレー―ノエシス―ノエマ」の並行構造。ヒュレー(Hyle)は「質料、素材」、モルフェーは「形式」と訳される。ヒュレーはフッサール後期思想にはとりわけ重要な概念である。「ヒュレー―ノエシス―ノエマ」の並行構造。
《参考4-2》ヒュレー的で実的な作用内容(感覚内容)。原印象という形態においてにせよヒュレーがなければ、内的時間意識はなにものでもない。
《参考4-3》「実的(reell)内容」と「志向的内容」。フッサールは感覚について、「実的(reell)内容」と志向された内容すなわち「志向的内容」とを区別する。つまり物事を捉えるとき「事実性」の契機と「意味性」の契機が区別される。ヒュレー的で実的な作用内容(感覚内容)が、(知覚作.用のような)意味賦与する志向的作用による対象的意味の構成に先行する。
《参考4-4》純粋意識(超越論的意識)の「実的」構成要素は、感覚内容と、それを「生化(beseelen)」して対象を現出させる「意味付与(Sinngebung)」の層とに区分される。
《参考4-5》知覚作用は、「実的」内容を「対象の現出」として統握(Auffassung)する。
(13)昆虫の気持ちになってみると!?(152-159頁)
N 人間の脳には神経細胞が一千億個もあるが、昆虫の脳細胞の数はたったの数百万個だ。(153頁)
N-2 昆虫は「反射」による「フィードバック制御」主体の生き方をしている。(153頁)
N-2-2 例えば「動くものがぶつかってきたら角で押す」、「裏返しになったらバタバタする」など。(154頁)
《感想1》ここでの「フィードバック制御」とは状況を把握しそれに対し自動的・無意識的つまり「反射」的に対応・行動するという意味だ。
《感想1-2》昆虫が状況の把握が可能な限りでは、状況を一定の類型的「意味」として把握するので(意味記憶の参照)、昆虫にも「知」の働きはあると言える。
《感想1-3》一般に「フィードバック制御」は、試行錯誤(「結果を見てそれを次のアクションに生かす」214頁)による「順モデル」(原因から結果の連関)および「逆モデル」(目的・手段の連関つまり結果から原因の連関)の改善(より良い結果の獲得)だ。したがって試行錯誤による対応・行動の改善があれば、昆虫に「知」の働き(言わば「経験から学ぶ」こと)はあると言える。(Cf. 214-219頁)
《感想1-4》昆虫に「経験から学ぶ」ことがあれば、昆虫も「記憶(※ただし自己意識としてのエピソード記憶はなく、意味記憶のみ)と学習(※記憶の更新)」を行っていると言える。
N-2-3 ただし昆虫は「意」(高度な意思決定)、「情」(感情の生成、Ex. 「悲しい」、「痛い」)はないと思われる。(153-154頁)
N-2-4 昆虫には人間と同じような「心」はなく「反射」だけで生きている。(154頁)
《感想》①昆虫にも「知」の働きはある。昆虫が状況の把握が可能な限りでは、状況を一定の類型的「意味」として把握するからだ。その上で「反射」的な「フィードバック制御」が可能となる。②「情」(感情の生成、Ex. 「悲しい」、「痛い」)はないと思われる。また③「意」(高度な意思決定)もないと思われる。④昆虫に「経験から学ぶ」という意味での「フィードバック制御」があれば、昆虫も「記憶(※ただし自己意識としてのエピソード記憶はなく意味記憶のみ)と学習(※記憶の更新)」を行っていると言える。そして⑤昆虫にも「意識」はある。さて「意識」とは、(ア)モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、(イ)自分は私であることを認識できる自己意識(self consciousness)を合わせたものだが(22-23頁)、昆虫も(ア)モノやコトに注意を向ける働き(awareness)はある。この限りで昆虫にも「意識」はある。ただし⑤-2昆虫には、(イ)自己意識はなく(149頁)、エピソード記憶もないだろう。
第4章心の過去と未来――昆虫からロボットまで
(12)動物は「心」(「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」)を持つか?(148-151頁)
M 人の「心」のうち、「知」と「意」は大脳新皮質がつかさどる。「情」は大脳縁辺系がつかさどる。(148頁)
M-2 魚類に始まる脊椎動物は、みな、脊髄・小脳・大脳といった中枢神経系を持ち、魚類さえも小さいながらも大脳新皮質に対応する部位を持つ。かくてすべての脊椎動物(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)は人の「心」と同じように、「知」「情」「意」「記憶(※意味記憶とエピソード記憶)と学習(※記憶の更新)」を行っていると思われる。(149頁)
《参考1》「心」は、「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」(※脳科学のような「意識化された無意識」も含む)の5つの働きからなる。(24頁)
《参考2》「記憶」には「宣言的記憶」(言語で宣言できる)(「エピソード記憶」・「意味記憶」)と「非宣言的記憶」(Ex. からだで覚える)がある。(20頁)
《参考2-2》「宣言的記憶」には「エピソード記憶」(episodic memory)と「意味記憶」(semantic memory)がある。「エピソード記憶」は「日記」のようなもので、自分がいつ何をしたかをエピソードの連続として時系列的に順番に覚えていく記憶だ。「意味記憶」は「辞書」のようなもので、モノやコトの「意味」の記憶だ。時系列とは関係なく、例えばリンゴとは何か、色とは何か、心とは何かなどを、定義として覚えることだ。(20頁)
《参考3》「意識」とは、モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※唯識の「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、自分は私であることを認識できる自己意識(selfconsciousness)を合わせたものである。(22-23頁)
《参考4》「脳」についての知見である「脳科学」は、「意識化された無意識」(前野隆司)であり、つまり「脳科学」は「心」(意識)に属する。(24頁)
《参考5》コンピュータやロボットは、心の5つの働き・要素(「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」)のうち、「意識」という心の働きをまったく持っていない。(22頁)
M-3 さて脊椎動物(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)は人の「心」と同じように「意識」を持つだろうか?(149頁)
M-3-2 「意識」とは、①モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※唯識の「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、②自分は私であることを認識できる自己意識(self consciousness)を合わせたものである。(22-23頁)
M-3-3 「意識」(※ここでは②「自己意識」の意)は「エピソード記憶」を行うために生じた。(149頁)
《感想1》「モノやコトに注意を向ける働き(awareness)」(①)としての「意識」は、すべての脊椎動物が持つし、あらゆる「動物」、さらに「植物」、一般にすべての「生命」が、この①の意味での「意識」を持つだろう。
《感想1-2》あらゆる生命において、《ノエマとノエシスの分化、「見分」と「相分」の分化、「世界の開け」》が生じていると言うべきだ。
《参考1》後期フッサールの展開した「自我の関与を含まない受動的志向性」を射程に入れた「発生的現象学」。「受動的綜合」には、自我からのいかなる能作も関与していない。
《参考2》「連合の受動的総合」(対化)と「同一化の受動的総合」。
《参考2-2》受動的綜合としての「対化」(Paarung)。(Cf. 『デカルト的省察』第五省察。)「対化」とは、れわれが「同一化の受動的総合」に対立させて、「 連合」と呼ぶ受動的総合である。「対化」は「連合の受動的総合」のひとつの根本形式である。
《参考3》無意識(受動的)に働く「過去把持」と「(未来)予持」。なおフッサールは「(未来)予持は内容的には何を予持しているのか」という問い を立て、その答えとして「ヒュレー的与件に向かう(未来)予持」(H予持)と答える。
《参考4》「ヒュレー―ノエシス―ノエマ」の並行構造。ヒュレー(Hyle)は「質料、素材」、モルフェーは「形式」と訳される。ヒュレーはフッサール後期思想にはとりわけ重要な概念である。「ヒュレー―ノエシス―ノエマ」の並行構造。
《参考4-2》ヒュレー的で実的な作用内容(感覚内容)。原印象という形態においてにせよヒュレーがなければ、内的時間意識はなにものでもない。
《参考4-3》「実的(reell)内容」と「志向的内容」。フッサールは感覚について、「実的(reell)内容」と志向された内容すなわち「志向的内容」とを区別する。つまり物事を捉えるとき「事実性」の契機と「意味性」の契機が区別される。ヒュレー的で実的な作用内容(感覚内容)が、(知覚作.用のような)意味賦与する志向的作用による対象的意味の構成に先行する。
《参考4-4》純粋意識(超越論的意識)の「実的」構成要素は、感覚内容と、それを「生化(beseelen)」して対象を現出させる「意味付与(Sinngebung)」の層とに区分される。
《参考4-5》知覚作用は、「実的」内容を「対象の現出」として統握(Auffassung)する。
(13)昆虫の気持ちになってみると!?(152-159頁)
N 人間の脳には神経細胞が一千億個もあるが、昆虫の脳細胞の数はたったの数百万個だ。(153頁)
N-2 昆虫は「反射」による「フィードバック制御」主体の生き方をしている。(153頁)
N-2-2 例えば「動くものがぶつかってきたら角で押す」、「裏返しになったらバタバタする」など。(154頁)
《感想1》ここでの「フィードバック制御」とは状況を把握しそれに対し自動的・無意識的つまり「反射」的に対応・行動するという意味だ。
《感想1-2》昆虫が状況の把握が可能な限りでは、状況を一定の類型的「意味」として把握するので(意味記憶の参照)、昆虫にも「知」の働きはあると言える。
《感想1-3》一般に「フィードバック制御」は、試行錯誤(「結果を見てそれを次のアクションに生かす」214頁)による「順モデル」(原因から結果の連関)および「逆モデル」(目的・手段の連関つまり結果から原因の連関)の改善(より良い結果の獲得)だ。したがって試行錯誤による対応・行動の改善があれば、昆虫に「知」の働き(言わば「経験から学ぶ」こと)はあると言える。(Cf. 214-219頁)
《感想1-4》昆虫に「経験から学ぶ」ことがあれば、昆虫も「記憶(※ただし自己意識としてのエピソード記憶はなく、意味記憶のみ)と学習(※記憶の更新)」を行っていると言える。
N-2-3 ただし昆虫は「意」(高度な意思決定)、「情」(感情の生成、Ex. 「悲しい」、「痛い」)はないと思われる。(153-154頁)
N-2-4 昆虫には人間と同じような「心」はなく「反射」だけで生きている。(154頁)
《感想》①昆虫にも「知」の働きはある。昆虫が状況の把握が可能な限りでは、状況を一定の類型的「意味」として把握するからだ。その上で「反射」的な「フィードバック制御」が可能となる。②「情」(感情の生成、Ex. 「悲しい」、「痛い」)はないと思われる。また③「意」(高度な意思決定)もないと思われる。④昆虫に「経験から学ぶ」という意味での「フィードバック制御」があれば、昆虫も「記憶(※ただし自己意識としてのエピソード記憶はなく意味記憶のみ)と学習(※記憶の更新)」を行っていると言える。そして⑤昆虫にも「意識」はある。さて「意識」とは、(ア)モノやコトに注意を向ける働き(awareness)(※ノエマとノエシスの分化、※「見分」と「相分」の分化、※「世界の開け」)と、(イ)自分は私であることを認識できる自己意識(self consciousness)を合わせたものだが(22-23頁)、昆虫も(ア)モノやコトに注意を向ける働き(awareness)はある。この限りで昆虫にも「意識」はある。ただし⑤-2昆虫には、(イ)自己意識はなく(149頁)、エピソード記憶もないだろう。