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Emily Dickinson (1830-1886) 「歓喜とは出ていくこと」:自分が消え去り、神々しい透明な存在へと「出ていくこと」のあこがれ

2017-01-26 09:37:21 | 日記
 「歓喜とは出て行くこと」

歓喜とは出て行くこと
内陸の魂が大海へと、
家々を過ぎ――岬を過ぎ――
深い永遠の中へ――

わたしたちのように、山に囲まれて育ったなら、
舟乗りにも分かるでしょうか、
陸地から一里沖へ出た時の
神的な恍惚が?

 ‘Exultation is the going’

Exultation is the going
Of an inland soul to sea,
Past the houses —past the headlands —
Into deep eternity —

Bred as we, among the mountains,
Can the sailor understand
The divine intoxication
Of the first league out from land?

《感想》
「内陸の魂」。すなわち、不自由の魂、囚われの魂。
身体は魂の牢獄。《ここ》に囚われる。
時間は魂の牢獄。《今》に囚われる。
他者は魂の牢獄。《他者から課された規範、感情、言語》に囚われる。
「歓喜は出ていくこと」!
《ここ》《今》《他者から課された規範、感情、言語》から出ていくこと。
「神的な恍惚」 the divine intoxication は、完全な自由。魂の自由。
《ここ》もなく、《今》もなく、《他者から課された規範、感情、言語》もなく、ある種の神々しい透明な存在の恍惚!
この詩人のすさまじい魂。
自分が消え去り、神々しい透明な存在へと「出ていくこと」のあこがれ。
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