DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

長田弘(オサダヒロシ)(1939-2015)「ねむりのもりのはなし」『心の中にもっている問題』(1990年) 

2016-10-01 21:20:34 | 日記
 ねむりのもりのはなし
いまはむかし あるところに
あべこべの くにがあったんだ
はれたひは どしゃぶりで
あめのひは からりとはれていた

《感想》
 これは詩の最初の一連。その後半の「はれたひは/どしゃぶりで/あめのひは/からりとはれていた」との句のどこが「あべこべ」か、考えてみる。
①言葉「はれたひ」。事実「はれたひ」。言葉「どしゃぶり」。事実「どしゃぶり」。
①-2 言葉「あめのひ」。事実「あめのひ」。言葉「からりとはれていた」。事実「からりとはれていた」。
①-3 以上が、「あべこべ」についての検討のための素材。

②「あべこべ」でないくにの詩だったら、「はれたひ(言葉)は/からりとはれていた(言葉)/あめのひ(言葉)は/どしゃぶり(言葉)」。
(ⅰ)言葉-事実関係において「はれたひ(言葉)は/はれたひ(事実)」、「からりとはれていた(言葉)は/からりとはれていた(事実)」、また「あめのひ(言葉)は/あめのひ(事実)」、「どしゃぶり(言葉)は/どしゃぶり(事実)」。(逆も成立する。)
(ⅱ)事実-事実関係において「はれたひ(事実)は/からりとはれていた(事実)」、また「あめのひ(事実)は/どしゃぶり(事実)」。
(ⅲ)言葉-事実関係(ⅰ)が成立するので、事実-事実関係(ⅱ)が、「はれたひ(言葉)は/からりとはれていた(言葉)」、また「あめのひ(言葉)は/どしゃぶり(言葉)」であると、言葉化される。

②-2 注意すべきは、言葉-言葉関係は、事実-事実関係(ⅱ)を反映した仮象だということである。(参照(ⅲ))「はれたひ(言葉)は/からりとはれていた(言葉)」の句において、言葉「はれたひ」が、言葉「からりとはれていた」と、言葉(音声・文字)として、同一であると、とったら、これは「無意味」・「無秩序」・「無規則」であり、一切の言葉が成立しない。同様に「あめのひ(言葉)は/どしゃぶり(言葉)」についても、言葉「あめのひ」が、言葉「どしゃぶり」と、言葉(音声・文字)として、同一であると、言っているわけでない。
②-3 言葉-言葉関係については、「あべこべのくに」でも、言葉(音声・文字)と言葉(音声・文字)が区別できないという「無意味」・「無秩序」・「無規則」は、存在していない。

③ 「あべこべのくに」の詩。「はれたひ(言葉)は/どしゃぶり(言葉)で/あめのひ(言葉)は/からりとはれていた(言葉)」において、何が「あべこべ」か?
(0)言葉-言葉関係は、上述②-2、②-3で見たように、「あべこべ」でないくにと、「あべこべのくに」と、全く同一である。
(ⅰ)言葉-事実関係において「はれたひ(言葉)は/はれたひ(事実)」、「からりとはれていた(言葉)は/からりとはれていた(事実)」、また「あめのひ(言葉)は/あめのひ(事実)」、「どしゃぶり(言葉)は/どしゃぶり(事実)」。(逆も成立する。)これについては、「あべこべのくに」でも成立している。「あべこべ」でないくにと、「あべこべのくに」と、言葉-事実関係も、全く同一である。
(ⅱ)事実-事実関係が、「あべこべ」でないくにと、「あべこべのくに」の間では、正反対(あべこべ)である。
(ⅱ)-2 「あべこべ」でないくにの事実-事実関係では、「はれたひ(事実)は/からりとはれていた(事実)/あめのひ(事実)は/どしゃぶり(事実)」である。ところが「あべこべのくに」の事実-事実関係では、「はれたひ(事実)は/どしゃぶり(事実)で/あめのひ(事実)は/からりとはれていた(事実)」である。

④ かくて、「あべこべ」でないくにと、「あべこべのくに」の違い、すなわち何が「あべこべ」かが、明らかとなった。言葉-言葉関係は「あべこべ」でない。言葉-事実関係も「あべこべ」でない。
④-2 「あべこべ」なのは、事実-事実関係である。

⑤なお、ここでは、言葉の意味=事実として、論じた。
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