やせた心
老い先が短くなると気も短くなる
このごろはすぐ腹が立つようになってきた
腕時計のバンドもゆるくなってしまった
おれの心がやせた証拠かもしれぬ
酒がやたらにあまくなった
学問にも商売にも品がなくなってきた
昔は資本家が労働者の首をしめたが
今はめいめいが自分の首をしめている
おのれだけが正しいと思っている若者が多い
学生に色目をつかう芸者のような教授が多い
美しいイメジを作っているだけの詩人でも
二流の批評家がせっせとほめてくれる
戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ
《感想》
(1)老い先が短くなる
①「老い先が短くなると気も短くなる」。こう書いた詩人は60歳(1979年)。評者も60代なので、なるほどと思う。60代の老人には、《忍耐強く、学習し、チャンスを狙い、将来の成功を目指す》には、もはや時間が残っていない。
①-2 かくて、将来への対処で自分に謙虚になることはない。傲慢、自己中心になり、居直る。《自分の思い通りでない》と、短気になる。だから「すぐ腹が立つ」のは当然。
②「腕時計のバンドもゆるく」なったのは、加齢とともに筋肉が減ったため。ただし筋肉が減ると基礎代謝が減るので、今まで通り食べると太る。この詩人は、年を取りあっさりした食べ物にしたか、食が細くなって痩せた。
③ただし、身体がやせることが、「心がやせた証拠」であるはずがない。これは、たんなる洒落!
③-2 短気、すぐ立腹は、「心がやせた証拠」!
(2)品のない学問・商売
④詩人の心がやせた証拠、つまり気短に立腹する事柄は、以下の通り。
(ア)「酒がやたらにあまくなった」と怒る。しかし、これは単なる嗜好の時代的変化。怒る理由はない。単なる好みの違い。詩人は、老人となり、忍耐心が減り、傲慢、短気となった。
(イ) 「学問にも商売にも品がなくなってきた」と詩人は怒る。この詩が書かれた70年代後半、おそらく下品な学問とは、実用第一で哲学的でないこと、下品な商売とは、大量生産大量消費のこと。
(イ)-2 老人たる彼は、一方で哲学、他方で多品種少量生産を好む。
(2)-2 《昔》の資本家・労働者
(ウ)「昔は資本家が労働者の首をしめた」。詩人の「今」は、1970年代後半、石油ショック後の低成長時代。この時期は、1964-1973の「昭和元禄」の名残りの時代。労働者はまだ、十分豊かだった。80年代の日本は、《Japan as No. 1》とさえ言われる。だから「資本家が労働者の首をしめた」のは「昔」のことだと、彼は平然と言う。
(ウ)-2 ところで、評者が生きる《1990年以来の失われた20年》の延長上にある2016年は、《アベノミクス》による加速化もあって非正規雇用労働者が4割を超え、その上実質賃金は引き続き上がらない。グローバリゼーションのもと、再び「資本家が労働者の首をしめ」ている。
(2)-3 《今》の自分
(エ) 「今はめいめいが自分の首をしめている」と詩人は怒るが、《社会が公正であり機会の平等がある》ならば、各人の不遇・不幸は、個人の責任である。
(エ)-2 詩人が生きた1970年代後半は、日本の歴史で、おそらく最も《社会が公正であり機会の平等がある》時期だった。その限りでは、詩人が「めいめいが自分の首をしめている」と怒るのは、見当外れである。老人の八つ当たりで、まさに「心がやせた証拠」!
(3)おのれだけが正しい若者
(オ)「おのれだけが正しいと思っている若者」に詩人が怒るのも、見当外れである。民主主義の時代、このような若者の意見の闘いから、理性が徐々に顕現してくる。まず「おのれだけが正しい」と信念を持つ若者が、理性の顕現を可能とする民主主義の前提である。
(オ)-2 ただし異なる意見を恐れる若者は、独善である。傲慢な老人(この詩人)が、独善な若者に腹を立てるのは、滑稽!
(3)-2 色目をつかう教授
(カ)「学生に色目をつかう芸者のような教授」と、詩人は怒るが、1975年の大学進学率は35%、戦前1930年は3%(高等教育就学率)。
(カ)-2 大学生の比率が10倍になり、教授の数も数倍となった。大学も教授も、競争激化。教授が多数の学生から高評価を得ることは、競争に勝ち抜く一手段。詩人は、昔のイメージに、縛られている。
(4)「風雅の道」は非難されるべきか?
⑤「美しいイメジを作っているだけの詩人」、つまり「風雅の道」をゆく詩人は、非難される。このような詩人を「せっせとほめてくれる」批評家は、「二流」とされる。だが、そうだろうか?
⑤-2 「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は/おれは絶対風雅の道をゆかぬ」という決意が示されるとき、この詩人の思考の順序はどうなっているのか?
(ⅰ)まず彼は、《今、この世界に「戦いと飢えで死ぬ人間がいる」》と判断する。
(ⅱ)次いで彼は、《そのような状況は許せない》と考える。
(ⅲ)彼は《その状況を改善する》ことを希望する。
(ⅳ)彼は《詩人をやめない》。
(ⅴ)かくて《詩人》として《状況を改善する》道を探す。
(ⅵ)「風雅の道」は、《状況を改善する》道でないと、詩人は決断する。
⑤-3 しかし《「戦いと飢えで死ぬ人間がいる」状況を改善する道》を《詩人》として探した場合、《「風雅の道」には、人の心を豊かにし、「戦いと飢え」を生み出す心を、変化させる可能性がある》とも、考えられるはずである。
老い先が短くなると気も短くなる
このごろはすぐ腹が立つようになってきた
腕時計のバンドもゆるくなってしまった
おれの心がやせた証拠かもしれぬ
酒がやたらにあまくなった
学問にも商売にも品がなくなってきた
昔は資本家が労働者の首をしめたが
今はめいめいが自分の首をしめている
おのれだけが正しいと思っている若者が多い
学生に色目をつかう芸者のような教授が多い
美しいイメジを作っているだけの詩人でも
二流の批評家がせっせとほめてくれる
戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ
《感想》
(1)老い先が短くなる
①「老い先が短くなると気も短くなる」。こう書いた詩人は60歳(1979年)。評者も60代なので、なるほどと思う。60代の老人には、《忍耐強く、学習し、チャンスを狙い、将来の成功を目指す》には、もはや時間が残っていない。
①-2 かくて、将来への対処で自分に謙虚になることはない。傲慢、自己中心になり、居直る。《自分の思い通りでない》と、短気になる。だから「すぐ腹が立つ」のは当然。
②「腕時計のバンドもゆるく」なったのは、加齢とともに筋肉が減ったため。ただし筋肉が減ると基礎代謝が減るので、今まで通り食べると太る。この詩人は、年を取りあっさりした食べ物にしたか、食が細くなって痩せた。
③ただし、身体がやせることが、「心がやせた証拠」であるはずがない。これは、たんなる洒落!
③-2 短気、すぐ立腹は、「心がやせた証拠」!
(2)品のない学問・商売
④詩人の心がやせた証拠、つまり気短に立腹する事柄は、以下の通り。
(ア)「酒がやたらにあまくなった」と怒る。しかし、これは単なる嗜好の時代的変化。怒る理由はない。単なる好みの違い。詩人は、老人となり、忍耐心が減り、傲慢、短気となった。
(イ) 「学問にも商売にも品がなくなってきた」と詩人は怒る。この詩が書かれた70年代後半、おそらく下品な学問とは、実用第一で哲学的でないこと、下品な商売とは、大量生産大量消費のこと。
(イ)-2 老人たる彼は、一方で哲学、他方で多品種少量生産を好む。
(2)-2 《昔》の資本家・労働者
(ウ)「昔は資本家が労働者の首をしめた」。詩人の「今」は、1970年代後半、石油ショック後の低成長時代。この時期は、1964-1973の「昭和元禄」の名残りの時代。労働者はまだ、十分豊かだった。80年代の日本は、《Japan as No. 1》とさえ言われる。だから「資本家が労働者の首をしめた」のは「昔」のことだと、彼は平然と言う。
(ウ)-2 ところで、評者が生きる《1990年以来の失われた20年》の延長上にある2016年は、《アベノミクス》による加速化もあって非正規雇用労働者が4割を超え、その上実質賃金は引き続き上がらない。グローバリゼーションのもと、再び「資本家が労働者の首をしめ」ている。
(2)-3 《今》の自分
(エ) 「今はめいめいが自分の首をしめている」と詩人は怒るが、《社会が公正であり機会の平等がある》ならば、各人の不遇・不幸は、個人の責任である。
(エ)-2 詩人が生きた1970年代後半は、日本の歴史で、おそらく最も《社会が公正であり機会の平等がある》時期だった。その限りでは、詩人が「めいめいが自分の首をしめている」と怒るのは、見当外れである。老人の八つ当たりで、まさに「心がやせた証拠」!
(3)おのれだけが正しい若者
(オ)「おのれだけが正しいと思っている若者」に詩人が怒るのも、見当外れである。民主主義の時代、このような若者の意見の闘いから、理性が徐々に顕現してくる。まず「おのれだけが正しい」と信念を持つ若者が、理性の顕現を可能とする民主主義の前提である。
(オ)-2 ただし異なる意見を恐れる若者は、独善である。傲慢な老人(この詩人)が、独善な若者に腹を立てるのは、滑稽!
(3)-2 色目をつかう教授
(カ)「学生に色目をつかう芸者のような教授」と、詩人は怒るが、1975年の大学進学率は35%、戦前1930年は3%(高等教育就学率)。
(カ)-2 大学生の比率が10倍になり、教授の数も数倍となった。大学も教授も、競争激化。教授が多数の学生から高評価を得ることは、競争に勝ち抜く一手段。詩人は、昔のイメージに、縛られている。
(4)「風雅の道」は非難されるべきか?
⑤「美しいイメジを作っているだけの詩人」、つまり「風雅の道」をゆく詩人は、非難される。このような詩人を「せっせとほめてくれる」批評家は、「二流」とされる。だが、そうだろうか?
⑤-2 「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は/おれは絶対風雅の道をゆかぬ」という決意が示されるとき、この詩人の思考の順序はどうなっているのか?
(ⅰ)まず彼は、《今、この世界に「戦いと飢えで死ぬ人間がいる」》と判断する。
(ⅱ)次いで彼は、《そのような状況は許せない》と考える。
(ⅲ)彼は《その状況を改善する》ことを希望する。
(ⅳ)彼は《詩人をやめない》。
(ⅴ)かくて《詩人》として《状況を改善する》道を探す。
(ⅵ)「風雅の道」は、《状況を改善する》道でないと、詩人は決断する。
⑤-3 しかし《「戦いと飢えで死ぬ人間がいる」状況を改善する道》を《詩人》として探した場合、《「風雅の道」には、人の心を豊かにし、「戦いと飢え」を生み出す心を、変化させる可能性がある》とも、考えられるはずである。