曽我量深~親鸞との対話~
信心とは、たとえば糸に針をつけたようなのも。
糸はお念仏、針は信心。
いくらお念仏の糸があっても、
信心の針がついていなければ着物を縫うことができない。
針がなければ、いくら糸があっても着物は縫えない。
いくらナマンダブ・ナマンダブととなえても、
信心がなけれ助からん。
お念仏は糸のごとし、信心は針のごとし。
…
信心で助かるのではなくお念仏で助かる。
しかし信心がないと、
いくらお念仏してもお念仏が呪文になる。
作りものになって、生きたお念仏にならん。
だから信心というものが大事である。
信心と念仏は別ものではなく
紙の裏表
念仏の大行が大信を開いて下さる。
信を離れた行はなく、
行の一念を離れた信の一念もない。