住職の独り言

~ご縁に触れて~

校長になりたくて…

2009年01月22日 | Weblog
お参りに行った家にご本尊がない。
あれこれ説明し、本山からご本尊をお迎えした。
良かったと喜んでいたんだけど…。

後日、お参りに行くとご本尊が無いではないか。
何故…?
しまってあるとのこと!
…あげくのはて、持って帰って下さいとの事!

どうもその家は前からチョット変だなと思っていたんだけど…
聞くと占い師に指導を受けているとの事!

何故…占い師に見てもらうか色々話を聞いてみると、
その家のご主人が学校の教頭であり、
どうしても校長になりたくて、
占い師の指導により、
仏壇お向きから位牌・ご本尊まであっちに行ったりこっちに行ったり、
取ったり・はずしたり…

私もあきれてお布施もいただかず帰って来ちゃった。

でも、私も反省しているんだよね。
根気よく説得すればいいものを…私も短気だからなァ…

でも、人間の欲というか執着心というかどん欲なものがありますね。
こんな人が校長になったら…生徒も可哀想
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お荘厳

2009年01月21日 | Weblog
ご本山の報恩講も終わったようですが、
しかし、ご本山のお荘厳は素晴らしいですよね。

磨き上げられお内陣に輝くお仏具・打敷・灯明・香・お花…
その一つ一つがまさに光を放っている。

素晴らしいお荘厳は、
お堂の中心におられる阿弥陀様であったり、親鸞様であったり…
そのお徳の偉大さを現して下さる。

「有り難い」ものを
「より有り難く、値打ちあるもの」であることを教え、
手を合わせることを知らない私に、
手が合わさり頭が下がり、お徳のはららきが、
お念仏となって出てきて下さるのもお荘厳に依る所が多い。




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心の残るスピーチ

2009年01月20日 | Weblog
何のスピーチかと言うと、結婚式であります。

T さんが若い奥さんをもらった。
その時、T さんの友人がスピーチをしたんだけど…

「温故知新」という言葉があります。
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知ることでありますが、
妻は、古い夫を訪ねて古きを学び、
夫は、若き妻から新しきを知って明るい家庭を築いて下さい。

…ここに「温故知新」の四字熟語を以て
話をされるのが面白い!心の残るスピーチでした。
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法事と精進

2009年01月19日 | Weblog
昔は法事は精進料理だった。

冷蔵庫もなく、肉や魚を食べようと思えば、
その場で生きているものを殺し食べるしかない。

J 寺の御住職は小さい頃、鶏の首を落としたことがあるそうだ。
それからは鶏肉は食べられなくなったと言う。

食べるにはその場で生き物を殺して食べるしかなかったから、
せめてご法事の時は生き物を殺さないでおこう!
という日常が見えてくる。

しかし、現在は冷蔵庫も冷凍庫もあり、
生き物を殺すという実感が失われ、
法事だからと言って精進にする家は
都会ではほとんど見あたらない。

と言うことは「罪」の意識も失ってしまうのが現実。
私もその一人…
…でも、食べるとは殺生しているのと同じなんだよね!




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「風」の詩

2009年01月18日 | Weblog


人の世には風が吹いている

若い時は北風か南風

東風・西風を受け入れられるようになるのは年老いてからだろうか…

風に向かって立つとき

彼方に見える美しすぎる夕焼けに

心がふるえ 大地に生きる 南無阿彌陀佛
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主人は救われたかしら…

2009年01月17日 | Weblog
S寺の御住職が
「まったくご門徒は私たちのこと祈祷師が何かだと思っているんだから…」
と憤慨しておられることがあった。
…確かに世間ではそう見られているのかも知れない。

最近は直葬といって葬儀をしないで直接火葬をされる方が多くなったが、
そんな場合でも「お経ぐらいあげてあげなと」…
と言って火葬場の炉の前でお勤めすることがある。
…亡くなった人に栄養でもあげるかのような感覚を持たれているのかなァ…

先日も
49日経ったら救われるるんでしょう…?
主人の事だから救われているわよね…?

…チョット、チョット
救われるって仏様になる事でしょ?
大変な事なんですよ!

百千万劫かかって善い行いをしても、
救われ難い私の日常生活なんだから!

救われてくれと願われているのは貴方ですよ!
死んでから…49日経ってから…
救われるんじゃないですよ!

今、救われなかったら永遠に迷いの境界を巡るだけ…

お経さまはお浄土(おさとりの世界)からの私へのメッセージであります。

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今日は何の日

2009年01月16日 | Weblog
今日1月16日は、藪入り、禁酒の日、初閻魔、念仏の口開日。

初閻魔?何だろう…
1月16日は閻魔さまのお休み日だそうな!
地獄の釜の蓋が開いて鬼も罪人の呵責を休む日…
また奉公人も骨休めのための休日(やぶ入り)。

…私感…閻魔様はお休みでも私は悪業を作り続けますからね…

念仏の口開日?なんだろう…
一部の地域では、正月の神様(年神様)は念仏が嫌いで、12月16日から1月16日までお念仏を称えない日だそうだ。

(私感)御恩報謝にお休みなし…でも反面一般の人にとってお念仏が定着していたんでしょうね。今はどうかな?…
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宇宙葬

2009年01月15日 | Weblog
亡くなった方の遺骨を宇宙へ、そんな広告を目にする。

実際遺骨の一部を地球の衛星軌道へ飛ばすのに700ドル(64.000円)
月へ持っていくのに9995ドル(91万円)かかるそうだ。

また、一方ではスペースデブリ(宇宙ゴミ)が問題になっている。

世界各国から4千回を超える打ち上げが行われ、
スペースデブリは地球の周りを秒速8kmで移動し、
現在4千トンを越えるデブリが宇宙をさまよっているという。

宇宙葬は情としては解るが、大問題だ!
月に持っていくのだって問題は多いと思う。

やはり自然に帰る方がいいよ!

~改邪鈔~
本師聖人(親鸞)の仰せにいはく、
「某[親鸞]閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と云云。
これすなはちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。
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諸行無常

2009年01月14日 | Weblog
この世界のものは全て移り変わる。

自然界・世界情勢…私の身も心も移りゆく。

逆らおうとするも、当然のこととして容赦なし!

さまざまな病と回復を繰り返し、
日々老化し、やがて身の老いは死へと変化する。

また、心もしかり喜怒哀楽の内に、
心は天気のように曇ったり晴れたり…
絶え間なく移りゆく。

移りゆくものが、移りゆく不安定なものを、
あて頼りにしても拠り処とはならず!

…しかし、あて頼りにしょうとしがみつくのが私の自性であります。
そんな私を知り抜いて、私の前に顕現下さり「任せよ」と呼んで下さる。
仏の大悲は永遠無量の究極の拠り処(畢竟依)であります。

~浄土和讃~
 清浄光明ならびなし
 遇斯光のゆゑなれば
 一切の業繋ものぞこりぬ
 畢竟依を帰命せよ
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心に残る台詞

2009年01月13日 | Weblog
心に残る台詞~幸せな女~より

 ロッキー山脈の標高3千メートルに樹木限界線があります
 その樹木は、強風のせいで土下座の格好をしているそうです
 厳しい自然を生きるには、そうならざるを得ないとか
 世界一の名器といわれるバイオリンはその木で作られているそうです
 自然の厳しさに耐えた木が世界一の音色を奏でるんです

…真偽の程は確かではないが、樹木限界線は3200㍍付近であり、
バイオリンの名器と言われる「ストラディバリウス」は、
木の密度が驚くほど均一であり、小氷期の賜物と言われているそうです。
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