11月4日(日)朝7時からの「日曜礼拝」は私の当番でした。
お話は和讃の
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
この世に生まれるという事は、どこかで命が終わったから生まれたのです。
そうして生まれては死に、生まれては死に…永久に生死を繰り返している私
そんな私を大悲の願船に「のせて」と示されます。
『自分で乗るのではない…逃げる私を捕まえて乗せて下さる』
大悲の願船でありました。
コメント利用規約に同意する