King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

皮肉な現象

2020年03月07日 20時55分00秒 | 珈琲

花粉でくしゃみ鼻水が止まらないこの頃です。

三月に入り確実に春は来ていると感じる日々です。

明るく花が咲き、新しい季節の到来を感じても、周りから聞こえる

不景気の声はますます高く、ネットでもそれは見られます。

普段土曜日曜などに行列ができる秩父の飲食店などもその行列が

できないことから、その店に行ってきたという地元民の投稿がみられる

SNSとかトイレットペーパーの投稿は禁止するという投稿とか今を刻々と

伝えるネットの情報もすべてイベント中止や学校閉鎖という政府の方針に

従ってもたらされたのです。

 

当然私の楽しみにしていた今月のイベントも延期または中止になり、スキー

などは行っても楽しくない雪質と天候などすべてが取り上げられていくような

息苦しさに満ちています。

 

しかし、毎日のランニングは相変わらずできているし、珈琲は相変わらずの

味でこれは不変で毎日変わらないのです。

 

太陽が昇り決って日が沈み夜になるのと同様変わらないことの素晴らしさに

気が付きハッとするそんな日がイベントが中止されどんどんと楽しみがそがれる

状況ながら変わらないものもあるとわかるとこれはまた強い喜びと発見のように

感じてなんだかほっとするのでした。

 

そうすると俄然政府のなんでも中止という今回の対処が正しいのかという疑問も

当然に湧いてきて、大騒ぎしているけれど死んだのは高齢者の12人だけでそんなの

普通のインフルエンザの流行で死ぬ人と変わらないのではないかとさえ思えます。

 

今になって中国、韓国からの人を二週間隔離するとかやることが遅いし、つぶれて

しまった旅館や倒産したスキー場、はたまたフリーランスの教育関係の人とか個人

事業主などまったく何の対策もされず放置されている人も多く、じわじわと閉鎖の波は

まだ広がっていきます。

 

大騒ぎしてイベントを中止して感染が防げたのかここ一二週間が山という日が過ぎて

明らかになるでしょう。そのあとどんな検証がされどんな救済や補償がされるのか

静かに見守るしかありません。変わらずある物のありがたみとその普遍性に何かを

感じ信じて行ける気がします。

 

 


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