先程来たメールで豊島交流のバスケットの試合がなくなったことを知りました。
秩父の文化体育センターが九日から臨時休館になるためだといいます。
大規模イベントの自粛や不要不急の外出も控えろとかあげく小中学校の閉鎖要請など
目に見えない締め付けとなりじわじわと息苦しいような空気になる中、ついにという
感じで今回のバスケットの試合中止の報を聞きました。
各種臨時休業による補償が政府で用意しているといいますが、フリーランスのような
臨時雇いや個人事業主などはすでに多くの収入源をなくし廃業してしまった人や倒産した
事業者もでています。そんなものすべてに税金で補填などできない相談で持続可能な
社会を考えたときに、増えた災害や気候変動などどうしたものかという突き付けられた問題の
大きさにどう考え同意味づけしていったらいいのかという自問を繰り返すのでした。
しかし、自身の身に限って考えてみると草津の本白根の噴火かで自分が愛していた物があっけ
なくなくなり、今年のように暖冬小雪と楽しくない雪質など突き付けられるものはどんどん
今まであったものが実は簡単には得られなくなり、楽しみがどんどんと削られているような
そんな環境の変化にこれはどんなことを意味しているのかと考えないわけにはいかないのでした。
そもそも新型コロナウィルスの流行といってもこれはよく言われているスペイン風邪の流行からすれば
たいしたことではなく、重症化するのは年寄りでその致死率も2%しかないとなればなぜこれほど大騒ぎ
するのかと思えなくもないのです。
国として規制やイベントなどに干渉し自由な経済活動や人の移動を規制してもそれに伴う損失と効果は
規制しないものと比べてどうなのかということは誰も口にしません。重症化するのは年寄りだけでそれも
2%の致死率なら今回のような国の規制は本当に必要かというと春になりウィルスが不活性化する頃には
もうみんな気にもしなくなっているのでしょう。よくテレビでグラフを見せて医療破綻するあの曲線の
意味するところと実際に規制して仕事なくし、楽しみをなくした人々の数やなくなったものはもう取り戻せ
ないのです。もちろん規制することで死ななくて済む人命があるのであればやるべきですが、現実の死者と
仮定の死者など比べようもないことです。
これから起きる災害や異常気象など環境の変化による死者も増えるでしょう。
今騒いでいることは非難する人にいかに水や仮住まいを確保するかというような見た目の始末や
緊急事態対処に止まっていることです。
安倍首相が各野党の党首とあって協力を呼び掛けた緊急事態宣言の法律なども実は今の法律でも
できたことなのに実際はしていなかったり後手後手の政府の対処もそもそもの議論は毎度のこと
やるべきことの本質は議論されていないのです。
そんな中で毎年のお楽しみがなくなり、スキーも楽しくないというこの頃はこれはどうしてこう
なったのかという考えもしてみるのでした。
マルクスガブリエルの実在論的にこの世の中は実在しないということに何か共感を感じるような
今回の出来事で自由意志の存在や現実に起きていることの意味をまた考えてみるのでした。
これはそれぞれの立場での意味の場という重なりあいでそういう意味で実在を語ると実在しないと
なるガブリエル氏の実在論はやはり何かからの逃げなのではと感じます。
今回の季節のブレンドは先月の余寒の感じからならばこうではというテーゼであり、その感じる
ところとパースペクティヴの交差はこの問題にも通じるところがあります。
実感されたい方はご来店してみてください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます