川村記念美術館の休止閉館のニュースに私のこのブログに美術館にいった感想があったかと探してみましたがありませんでした。
そんなに昔のことだったのか不思議な思いにかられました。
読書の記録から15年から10年前辺りに見ているはずなのに記録にありません。
バブル期に日本は世界中のお宝を買い漁り現代美術から印象派まで多くの美術品が集まったのですがそれは文化財として人々に美術館などに展示するという目的より手っ取り早く金儲けする投機的な投資として集められた側面が強くバブルが弾けると人知れず売買され倉庫から倉庫へと変遷し、中にはずっと倉庫で競売ができるまで人知れずしまわれたままなんて運命のものも多かったのです。
しかし、21世紀になり落ち着くと日本で見られる世界のお宝と銘打った雑誌やムックなどが現れ美術館がブームになり新しい美術館が話題になったり企画も斬新で多くの名画が世界中から集まって見納めみたいな企画がされたりと美術展事自体もイベント化、大型化しました。
もとより秋になると上野の美術館群を巡っては谷根千を散策していた私は段々美術館の行列に辟易として人の行かない所へ足を向けるようになりました。
そんな行動が川村美術館の休止に現れたのかなんて気もするのですが、問題はそんな簡単な図式でもないようです。
元々企業が集めた美術品を企業名を冠した美術館で展示するのは企業イメージや社会貢献とか文化継承や社会の根幹をなす重要な行動だとされ都会の一等地や観光地のシンボル的ランドマークになっていたりします。そんな美術館の運営は赤字だとか収益的なことは今まで問題とならないことが多かったのに今回は物言う株主という人達のせいで中止というかたちに追い込まれたようです。
私が思うのは世界で二つしかないロスコールームがなくなったり見られなくなるという損失と簿価の100倍の価値とされる収蔵品がなんらかの意図で狙われ分散されるのだとしたら株など公開しないで運営すべきだったのではと思えてきます。
美術品と経済問題の話しは枚挙に暇がなく、珍しくもないのですがグラスゴーの貧しい町がダリのキリスト像を収蔵したことから世界的人気美術館になったとかボストン市が財政破綻した際、市の美術館の収蔵品を引き続き市民が見られるよう市民が立ち上がり特別募金をして収蔵品散失を避けたとかアートは求められる人と共にあると思えます。
秩父でいうと観光地なのに目玉になるようなアートがないなあとその持てる力とあるもののバランスがないような市民として寂しい限りです。
かつて加藤近代美術館として個人の収蔵品を展示していた中にアンドリュー・ワイエスのヘルガや決闘前夜があったことを知る人はすくないのです。私は秩父でアンドリュー・ワイエスが見られるのは市民の誇りと感じていたのですが同じ思いだった人はすくなかったのかその後その建物は市に買い取られ、相田みつを美術館になり、秩父になんの関わりがと多いにあきれさせられ、その後現在のふるさと館となりお土産屋や蕎麦屋が入るテナント物件になって段々価値が下がっている印象なのです。
これは市にグランドデザインがなく新しくできた市庁舎も全く秩父らしさを感じられないなど根底的なミスがあるのです。
私は絹織物や地場産業にこだわりがあるわけでもかかわる有名人に頼ったりするのでなく根底の精神を確認し何を残し何を引き継いでいくかのコンセンサスがまず必要で何をすれば発展するかなど目先の利益や交付金ばかりを追わず、しっかりとしたグランドデザインと高い目標を掲げ統一感のある文化的都市とすることを希望します。
そうしたときに秩父の珈琲文化も十分グラウンドデザインの一翼を担う資質を持つものと思います。
秩父は古くから路地の町であり、猫のいる町でした。それは織物の町の特長でもあります。ガチャガチャとうるさいので商談は喫茶店で行われました。だから個性的でしっとり落ち着ける店が多いのです。その多くは自家焙煎と珈琲にもこだわりがありチェーン店にない味の個性もあるのです。
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