King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ありのままに楽しむ

2023年12月23日 15時21分17秒 | 日々のこと
すっかり冬本番になり朝のニュースでは寒波と急な積雪に注意を促す繰り返しの映像がありました。秩父でも25日近辺では毎年雪になることがあります。
昨日見た風景ではものの値上がりや食事場所でのメニューの値上がりをみて段々息詰まるような不自由さを感じるのでした。
しかし、環境が変わって脳に新たな刺激が加わり活性化するという効果は侮りがたく旅の楽しさともろもろの変化を楽しむことの重要性を感じます。下仁田では妙義山の続きかゴジラのトゲトゲのような山の背の岩尾根があったり、佐久には五稜郭があり、小海には秩父事件の墓がありました。そんな新知見を得てテレビなどで知ることやネットの世界から知ることでは得られないものを感じます。とかくいまの世は何やらもっと挑戦しなければ、何をしたらこれもしなくては、人が何をしたらこれをやらなければとなって競争のような観念にかられ自分を失いかねないことになります。
実際には自分が何をしたくて何をしたら何を得たのかという事実のみに価値があり、人に見せびらかしたりインスタ映えする絵をとることとはまったく別なのです。人は人、自分は自分でしかなく観光パンフレットにあるものを全てみて回ったから観光ではないのです。自分の気持ちに投資できるそんないまを楽しむことこそ大事です。人に理解されなくてもなにか結果を残さなくてもいまを経験したことこそが大事なのです。夢は諦めず追い続けてこそとよくいいますが、全ての人が夢を叶えるものでもありません。そんな事実を知るのも大人になってこそです。それを認めずいつまで子供のまま夢を追い続けるのもまたその人の人生で他人が口出ししても仕方のないことなのです。甘やかしとはまた違いますが。
人の欲求はきりがないものです。なにもかも叶うとついにはあの世でも生きて永遠の命を得ようなどと考えるのです。エジプトで6万体ものミイラが発見され当時の富裕層の欲求の高さを知りますが、ワニやいぬ、猫のミイラまでありそんなことが聖書の世界に繋がっているのではと思えてきます。しかし、個人の思いとそれら独裁者の独善的世界観も所詮人類のDNAのなせる技で人類が連携し進歩した結果なのかもしれません。とかく自分だけ賢いと人は思いたがり歴史を学んで世界の征服者以上の存在になった気になったりしますが所詮はお釈迦様の手の上の孫悟空です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする