バスケットの試合では40分ほどの運動ですが、普段とはまるで別の運動感覚で、しばし体のリミッターが外れる感覚が発動します。日々のランニングでは体中のデバイスに電源が入るような感覚があり、普段の省エネ的に休んでいる機能や器官などがいろいろと電気が通って覚醒したような感覚です。一時間も走ると体が温まり、夜走り寝るまでそのアイドリング状態が持続し、寒く無く眠れます。さらに体の免疫系も上がり、汗をかいて着替えずにいてヒヤッとしたらすぐ風邪をひいた以前の体より耐性があがり、めったに風邪をひかなくなります。バスケットボールでは、同じ運動ですがまた体に現れる効果は別で無意識に昔の10代に覚えた体の動きを要求し、体はそれに従い普段ならボールを追おうとしない局面でもダッシュしボールに手が出ます。そして。頭より体の方が局面に反応し、運動中にいくつものリミッターが次々に外れる感覚があります。こうなると当然運動中からあちこちが痛くなり出し、いつ足がつるかという感じになります。どちらの運動も欠かせない生活の一部です。これにより文化的にも精神的にもより健全でいられるという気がします。そしてこれから冬の季節にはスキーというまた欠かせない運動も加わります。これら非日常的体験が人間には必要だと思います。さて、今回そんなことを思いつつ、バスケットと協議会の年間行事もよいよ最後の練習会と総括を残し残務処理だけとなり、総会やら忘年会などをやるだけとなりました。そのちょっと前にまた地元ピアニストの音楽会もあり、今回は10年ぶりに平均律の全曲演奏という珍しいプログラムです。とはいえこれは二回目であり、録音した成果を発表したいということで
企画されたようです。そもそも平均律を全曲やるということでこのピアニストのリサイタルに通いだしたわけで、それも十年になるのかという思いとともにふと全曲全曲といいつつ実は第一巻しか聞いてないぞという気もしています。十年前は譜面捲りの人もいなくて本人が第何曲と言ってから弾いていて非常に珍しいスタイルで妙に感心したのを覚えています。ピアニストとはもともと孤高で観客が解ろうが居眠りしようが自分のやりたい演目をただ弾き切るだけというスタイルの人が多い中、かのピアニストは自身の曲の理解を聞く人にも求めるタイプらしく、事前に勉強会をやったりします。彼のゴールドベルク変奏曲なども詳細な勉強会とセットになっていたりします。彼の演奏を聴くのは彼の研究と研鑽を体験するだけでなく、彼の知的レベルと同様の理解を同じように体験してこそという教育的意欲がいつもところどころに出ていると感じます。一方聞く人の集中が持続しずらいクラッシックの音楽会でさらにバッハの平均律を全部やってしまうというとんでもない演奏をまたやってしまったというのも何かまた進化があったのか今現代フォルテピアノでやる意味とか聞かせるだけのものがあったのかいろいろと興味はあるものでした。今回は今何を弾いているというのをインジェクターで映し出して行うという今までにない方法で、これはこの前と違いスマートでより集中して聞ける良い方法と思いました。もっと色々な情報が画面にこのフーガがどうとか文字情報で出てきてこの前の勉強会の補完的な役割をするのかと思ったらただ何番目の前奏曲でハ長調とまでしか出ません。楽譜のページは前回同様自分でめくっていました。最近の演奏者はタブレットに楽譜を入れて自動的に表示させる人が多くいて舞台にページめくりがいる演奏会の方が珍しくなっているようですが、自身でめくる様子とか曲に入る間の感覚で、演奏者の思い入れというか気の入れ方が曲により違いが分かり、それはそれでライブ感があっていいと思いました。CDなんかだといつ次に行ったのか解らないくらいの間しかなく、どこがどう難しいかなんて聞く間もなく淡々と進んでしまいます。それが生だと演者の気合の入り方が伝わり大変聞く側にもその気迫と音の変化に気持ちが伝わる感覚が熱波のように伝わりしびれます。これが全曲通しで聞く効果かと思います。ところで今回隣の男性は真っ暗の中楽譜をずっと眺められていてかつてエティエンヌ バリリエの『ピアニスト』の中で演奏会の最前列で楽譜を見られるのがやでたまらないという記述があり、それをそのままやっている人を現実に見てああやる人がいるんだと思いました。これは何のために楽譜を見ているのか。演者が何か違う音を出しているかチェックのためなのか、それとも演奏法をこれで何かヒントとなるものが得られるのか謎です。そもそも楽譜がこの暗がりで見えているのかも解りません。よく演奏会のマナー違反として音の出る電子機器の電源を切れとか録音録画はやめろとか注意点がありますが、楽譜の持ち込みがマナー違反という話は聞きません。しかし、先のピアニストの中ではマナー違反になるからやめろという書かれ方をしていたように思います。演者に少なからず影響があり、他の聞く人の影響も出るということでした。つまり、プロとして他の演奏家に極秘のテクニックを盗まれるような気までするらしいのです。とするとみている人がいるとその極秘の装飾音も控えめになり、結果本来のパフォーマンスを聴衆は得られないとなり不利益だといいます。同じバッハでも無伴奏ソナタとパルティータ全曲のように派手で聞きごたえのある演目とは違い、いっぺんに演奏される機会は珍しくそれも全曲全曲と言いつつまだ一巻だけだったことを思うとやはり次は第二巻もあるのだろうかとふと思うのでした。それにしても最近はこのやりきりのコンサートが多く、アンコールなどがないのがちと物足りない感じがしました。