King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

残生命の計算

2015年05月30日 23時34分26秒 | 日々のこと
予想通りNBAのファイナルはウエストも
スィーブでウォーリアーズが制しました。

この試合で注目されるのはセンターの活躍です。

ウエストの頂点を決める試合ではまさにその
センターの頂上決戦のようなゴール下の戦いが
注目され異様に入るスリーとカリーの活躍ばかり
が目立ちましたが、逆にポジションだけみたら
ハワードの方がセンターとしての力は上だろうし、
鳥獣戯画の蛙のような恰好の姿ばかりが目立った
ハーデンもカリー並みにドライブからスリーまで
あらゆる手段で得点できる選手で今季はチームプレー
にも徹していたのにやはりチームとしてはウォーリ
アーズが上手という印象はぬぐえません。

このようにして決まった頂上決戦はやるまえから
西高東低といわれるように予測は決まっていますが、
これは何があるかわからないのが試合ですから、
どうせこうなるだろうなという予想はつくものの、
依然楽しみには変わりありません。

江戸時代に既に数学屋という職種が洋の東西を問わず
存在したという話を紹介しましたが、この昔は手計算
をしなくてはないらない事項が一般の人には解らない
ようです。

たとえば公共工事などでどれだけの強度があるこの規模
の工事をするのにどの程度の予算が必要かというのは
昔から専門に計算してきたものです。

現在生命保険や年金の計算などに使われている余命計算
などはフランスのモアブルの余命表を基に算出されて
います。

彼は江戸時代の人です。

同時期日本には関孝和という算学家がいて世界のトップ
水準の計算をしていたのです。

それが伊能忠敬の測量にもつながったり、海外の黒船
とか大砲とかがすぐ国産されたのもこの計算技術が
あったればこそです。

日本人は器用であると評されているその裏にはその
たかい数学能力だという認識が欠落しています。

戦後教育が公式を覚えて計算し、それを点数付けする
画一的教育と知識伝達だけに着眼された結果が、今の
日本の凋落になっていると思えます。

それでも人工知能などの分野でこれから日本の活躍
する部分があるかもしれません。

将棋のプログラムにプロ棋士が対戦する大会で人間が
勝利するというニューズがありました。

それまでコンピューターが圧倒してきたという歴史が
あったのです。それにやっと人間が一矢報いたという事で
大きなニュースになりました。

プロの棋士が囲碁でも将棋でもチェスでもいるという
事実が街の数学コンサルタントが商売になるのと同じに
思考という人間の営みの重要な要素だという事だと思います。

日本の至る所に算額が奉納されそれが秩父のような田舎や
東北の小さな社にもあるという事実も日本の強さの源泉だと
感じるのです。
コメント
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