ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

【イシジンと人間の物語】(ソラ画像編)

2008年12月06日 22時00分22秒 | Weblog
【イシジンと人間の物語】の続きです。

ソラ画像より
最初にイシジンが創られた洞窟
星原で芋穴として近年まで使われていましたが、今は崩れました。
いて座の王の身体の一部と。

星原の横穴
これはいて座の王の一部が降りたと伝えられた小山の裾野にありました。
星原にもこのような横穴が5箇所(一箇所は崩落)ありますが、遺物がなかった(徹底してヤマトに破壊された)と言うことと、芋穴として利用されているので全く遺跡として認めていません。

ニューグレンジ Newgrange
白い小石は後から作り変えられたようで、巨石が見えるようにヒサシも、後から造られています。
手前にイシジンが親のイシカミを見ているのは、ストーンヘンジと同じです。
この石室の中は真っ暗で立っているイシジンたちが創られて、ストーンサークルで創られた人間の世話をしたそうです。

Small white stones of Newgrange were remodeled at a later date.
Eaves were remodeled to see megaliths, too.
ISHIJIN before Newgrange sees his parent ISHIKAMI.
It's the same to Stonehenge, Co.Wiltshire, England.
It was pitch-dark inside a stone chamber.
Standing ISHIJINS were created in the stone chamber.
They took care of human beings created in a stone circle.

アイルランドのベーグモアー、沢山のストーンサークル Beagmore, Ireland A lot of stone circles
小さな土塁、大小さまざまなストーンサークルが、小さなお花をいっぱい咲かせて待ってくれていました。
時間が止まったようで、何時までもここにいたい、人間の創られた原点と思えました。
大きな石は指導的なイシジンで、それぞれの石には表情がよくわかるのもあります。
小石の小山は、イシカミがこのように原子の塊で降りてきて、そのうちの動きたい原子が親から出てきて、いろいろな形になってサークルを作り、その中で原子に号令をかけ、人間を発生させたと伝えているそうです。

周堤墓のような凹みは、イシカミが降りてきた時、重くて凹んだものもあることを知らせているそうです。

遠くて見えませんが、長い直線の石の配列は、イシカミが遠いいて座からやってきたことをあらわしているそうです。

Big and small, various stone circles welcomed us with a lot of small flowers.
I felt as like the time stopped and wanted to stay here forever.
I thought Beagmore is the original place to create human beings.
Big stones are maybe leaders of ISHIJINS and some of stones show their expressions clearly.
A small mound of small stones expresses as follows:
ISHIKAMI fell down as a group of atoms like the mound.
Atoms who wanted to move came from their parent ISHIKAMI and became various forms.
They created stone circles and directed atoms to appear human beings.

A hollow like an earth circle exspresses that some ISHIKAMIS were very heavy and dented when they fell down.

This picture does't shows long line stones.
They express that ISHIKAMI came from far Sagittarius.

心臓の始まり
名古屋の方より。
生物が地球で発生する時、最初に心臓を原子たちが創ると伝えられていましたが、イメージができませんでした。
それを知らせたそうです。

ヒエラポリス遺跡の石箱
小高い丘にたくさんの長方形の石の箱がゴロゴロあり、石柱の列や、丸い石造建築などあり。
石の箱は後年にお墓として利用?したが、石の箱の中で、やはり原子が集まり人間になった。
石の箱は小さめが多いのは、子供用?
遠くに見えるのがパムッカレの石灰の温泉で、発生した人間は、冷えると死ぬので、温泉で暖めていた。
手前のコンクリートの下の溝も温泉のお湯が引かれていた?

パムッカレの石灰棚
一部は薄いブルーの水で満たされている。
手前の水路は温かな温泉のお湯で、驚くほどの水量であるが、流れていない水路が遠くまで伸びている。
丸く増えていくのは、イシカミが半円で増殖することをあらわし、普通は見えないが下から見るとクラゲの脚のように垂れ下がっている画像があった。
薄いブルーになるのは、増殖したイシカミが絶えず悪いものにならないように消毒をしていることをあらわすそうです。
この近くに、劇場型の石の階段があり、又人間が発生した後暖めるための、今も使われている温泉プールがある。

エフェソスの石畳と石柱と劇場型
トルコにもローマと同じ小さな石畳の道路もあったが、一般に大きな石が並べてある。
同じくイシカミの巨人の石柱が並んでいるのは、その間を人間が歩くことで、原子が集まってできたばかりの肉体を、更にしっかりと原子が結合するためであった。

ギリシャより先にここのイシカミが造った。

(アブ)シンベル神殿のイシ(カ)とオシリ(ト) ISHI(KA) and OSHIRI(TO) at the Greater (Abu) Simbel Temple
【イシジンと人間の物語】を書いていると左目から涙が出て来る。
イシ(ス)=イシカ、オシリ(ス)=オシリトと呼んでほしいと。
そして「顔のないのが私(イシカ)です」と「私たちの写真を載せてほしい」と言ってきました。
アブシンベル小神殿が子供たち。
顎にあるものは食べ物の味を見てカスをそこから出した。
エネルギー源は頭の上のお汁のツボ。

ついで右目から涙が出てきて、オベリスクピラミッドを創る指示をしたイシジンと。

When I was writing "Story of ISHIJINS and human beings", tears came to my left eye.
ISHIKAMI said, "Please call us 'ISHIKA' and 'OSHIRITO' instead of Isi(s) and Osiri(s). I (ISHIKA) is ISHIJIN who had no face on the left."
ISHIKAMI said as follows:
ISHIJINS of the Smaller (Abu) Simbel Temple are our children.
After ISHIJINS checked a taste of food, they used things on the chins to throw remains of food.
They took nourishment(melted ISHIKAMI) from their pots on the heads.

And tears came to my right eye, ISHIJINS said that they directed other ISHIJINS to create obelisks and pyramids.

カルナック神殿のイシジン Karnak temple complex, Egypt
「人間はこれほど小さいのです」と足元の小さいのは人間。
イシジンは乾燥して小さくなっているが、生きている時は水分を含んでもっと大きかった。
イシキ(星からの意識=潜在意識)が主なので、現実の顔が出来上がっていません。
胸で交差しているものは、小麦の穂を叩くものと、かき寄せる物です。
人間の食べ物を創ったことと、小麦を作りなさいということを知らせている。
頭にお汁を入れるツボと、その下の広がったのは、お汁が下に下がるようにと、音を聞くためです。
後ろの柱はイシジンの一種で、手をつないで独立しているイシジンにエネルギーを送っています。

ISHIKAMI said, "Compared with ISHIJIN, a human being is very small."
A small statue by legs expresses a human being.
ISHIJIN dried out and became small. But when ISHJIN was alive and included water, his body was bigger than now.
His real face was under construction because his main consicousness was ISHIKI (consciousness from stars = sub consciousness).
Things which he crossed on the chest express tools for threshing ears of wheat and for pulling wheat.
They express to create food for human beings and to tell human beings to grow wheat.
A pot on the head was used for saving source energy (melted ISHIKAMI) and for going down it.
A thing like cloth under ears was used to hear sounds.
Pillars on the back are a kind of ISHIJINS.
They held hands and sent energy to an indiependent ISHIJIN.

カルナック神殿のヒエログリフ Karnak temple complex, Egypt
ヒエログリフはイシカミの原子が、人間のためにこのようなもの(食べ物や身体の部分)になるようにと形を知らせています。
いわばナスカの地上絵のミニ版。
波のようなのは、腸の内壁、糸巻きのようなのは神経、ウナギのようなのは精子、丸の下に3本線は食べ物です。
なかなかわからなかったけど、ざくろですと。
ざくろはイシカミの中から沢山の種=イシジンが生まれたことをあらわす。
小鳥やフクロウが沢山あるのは、内臓の仕組みは小鳥から教えてもらったからです。

Egyptian Hieroglyphs show atoms of ISHIKAMI to become forms like these things (food and parts of body) for human beings.
They are small editons of Lines and Geoglyphs of Nasuca and Pampas de Jumana.
Hieroglyph as like a wave expresses inside the intestines. One as like a spool expresses a nerve. One as like an eel expresses a sperm.
One as like a circle with three lines expresses food.
I undersood it was a pomegranate after I tried to ask about it several times. A pomegranate expresses that a lot of seeds (ISHIJINS) were born from inside ISHIKAMI.
There are many Hieroglyphs as birds and owls because birds told the structure of the internal organs.

小鳥座と人間のなる前の原子の集まりと大鷲座(ハゲワシ)
赤い腕はイシジンだった原子が血液の循環を、小鳥座に教えてもらって人間になったことをあらわす壁画。
右側のワシ(大鷲座)のくちばしが黒いのは、実際は小鳥座だけが教えたのにベガも教えたようにウソを教えて描かせたから。
真ん中の人間は削り取られたのではなく、これから原子が結合して人間になろうとしている図。
原子のマークが人間の身体を覆っている。

ペトラ右側の丘の遺跡
エルハズネを出て右側の遺跡にあり、ここにも半円のある建物がありました。
これらのモザイクは、自然石の色の違うもので絵が出来ていますが、
とても細かい石(大理石)で、イシカミの皮膚を変化させたものです。
これらは人間の役に立つ?動物を知らせたようです。
その他井戸や石柱の倒れたのもあります。

シスチーナ礼拝堂3
巨大なタペストリーが何枚も飾ってありますが、当時のイシジンと人間の生活をあらわしたものを、全てキリスト教と関係あるように解釈されているようです。
タペストリーも絵や壁画と同じでイシジンがこの中に入って模様となったと伝えられています。

綾部、私市円山古墳
近年高速道路の工事で初めて発見された、京都府一の大きな円墳。
頂上部は葺石と埴輪で覆われている。
倭の国が完全にヤマトにより隠されていた証拠。
物部氏が埋葬されていると伝えられた。
物部町が近くにあり。

私市円山古墳、ワの山古墳=イチゴ=ブッダの頭をあらわす
綾部市にあるワの山の古墳。
京都府一の大きな古墳ですが、近年高速道路の工事で見つけられるまで古墳という事は知られていなく、完全に隠され封印されていました。

ワの山の周りは丸い小石が敷き詰められ、石を大切にしていた事がわかります。
頂上には大人と子供のお墓があり、知らされた情報と一致しています。
周りの土器の真中に穴が開いているのは、将来このお墓の下に道路が通る事をチャネリングで知らされ、それをあらわしているとしらされました。

物部守屋星延べ白い木の子孫のお墓だそうです。
大人と子供のお墓で1500年前。

小石が敷き詰められたワの山は、巨人の遺体です。
イチゴという名前【イシカミのチカイのゴロク】からつけられ、ワの山に小石をイチゴの種にみたてた形を真似て作られたと伝えられました。
2004年5月11日のお知らせ参照。

大仏=ブッダの頭もこれをあらわしている。

私市円山古墳について

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以上、地球の謎解きより。
写真は12月6日のソラ。

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