2004年6月21日
百人一首
【ユラノトヲ ワタルフナビト カジヲタエ ユクエモシラヌ コイノミチカナ】
《由良川の河口の砂州が、戸のようになっているのを“由良の戸”と呼ぶ。
そこを通って倭の国の人々は船で行き来をしていたが、ムウラが捕らえられた後しばらく交流を止められていたことがあり、その後の二人の行方はわからなくなった》
2002年6月26日
ヒミコの娘
真夜中
「いにしえはとても暖かでした。
ヒミコの娘です。
それは沢山の花が咲いていました。
そして大きな木が生えていました。
食べ物には困らないほど、沢山の恵みがありました。
稲も自然に生えていました。
稲は水がある所はより良く出来ました。
稲の実は粉にしてお餅のようにして食べました。
いにしえの風景でした。
家にいた時に嫌な者が来ました。
君(ノアの息子)に伝えにいきました。
君に一生懸命家に来た嫌な者の事を伝えました。
そして見つけられたのです。
君は見つかると何もせずに言いました。
ヒミコの娘を逃がしてほしいと。
そして君は戦の姿をした人に連れて行かれました。
泣いて頼んだのですが帰ってくることはありませんでした。
人間に生まれてきて後悔しました」
2002年10月16日
ヒミコの娘=イト、ビジョン。
2002年10月14日
新幹線の中で
「娘の名前は“イト”と言いました。
(以前から聞いていたがわからなかった)
イノリをトモとするようにつけました。
今以上にお知らせするように(新しい事を知らせてほしいと)、ソラのものに頼まれました。
それとこの事もお知らせください。
いにしえにはいつも祈っていました。
良くしてくれるイシカミさまに、いつもお願いをしていました。
それについて書いたのが“ホツマツタエ”です。
いつも見ているヒミコより」
12日の三日月は下半分がオレンジ色っぽかったですが、14日の半月にはびっくりしました。
下半分の円の外周はきれいなブルーで、半月の下には三角型の濃いピンクの光がありました。
歩いている間見えましたが、帰ってしばらくして見るとカラーの光はなくなっていて、普通の月に変わっていてデジカメで光を撮る事はできませんでした。
12日から【お祝いです】とか言っていましたが、本の編集が終わりかけた事や、次の日にわかったルシファーの事などを祝ってくれたようです。
ちなみに今夜(15日)の突然の短時間のカミナリと暴風雨も同じ意味だそうです。
【ヤマタイコク物語】より
(前略)
...当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、被差別民として差別され続けるようになったのです。
ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来ましたが、星原まで行くことはできず途中で亡くなりました。
そして時を経てヒミコに言われていたホシノミナの降りた所の星原で生まれ変わりました。
3)【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。
ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。
ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。
一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星はジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。
その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)
みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)
けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)
6)【ヤマトへ連れて行かれたイト】
一方、イトは幸せな生活から一転して、ヤマトへ連れて行かれることになりました。
道中、白い藤が咲いていたので、白人のムウラを忍んで、白い藤を手折って持って行きました。(才の藤、白藤神社)
ヤマトへ連れて行かれ何重にも塀で囲まれた所(八重垣)で、幽閉生活をさせられました。
ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、強引に子供を生ませましたが、その子供がニニギのミコトで、イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、イシカミの話や、ヤマタイコクや母親が由良から連れてこられた事を話したために、それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。
イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしましたが、スセリ姫が身代わりを申し出て、警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、その地で最後を迎えました...
(後略)
2007年3月6日
由良の戸(由良川の河口の砂州)
画像では由良川の大きさがちょっとわかりにくいですが、大きな川の河口がこのように砂州でとても狭まっています。
これは大陸からのリュウジンが川を伝って日本に入らないように、近くのイシカミが戸を作ろうとしたそうです。
由良川はかって倭の国の中心を流れて、海と山の人たちの交流に使われてきましたが、イト*を誘拐しヤマトへ連れて行ったのもこの川を利用しました。
それを隠して歌った和歌が
「由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋のみちかな」
これはイトを誘拐した後、その噂が広まると困るので、ヤマトが川の行き来を止めさせたということを歌っていると伝えられました。
又、近年は出口ナオ、オニ三郎はプレアデナイの指示にて、由良川近くの沓島、冠島にリュウジンを隠させ、そこからリュウジンのエネルギーを送り込ませていました。
それが由良の戸の意味がわかり、見えない世界ではその戸が閉じられたことで、大陸からのリュージンが日本に入れなくなったということを、この日、日本海で急速に発達した低気圧で知らせたそうです。
*)イト=ヤマトに連れて行かれたヒミコの娘
2001年5月8日
道真が遣唐使を中止した訳、山椒太夫の佐渡島の意味
*)菅原道真から、
「遣唐使として渡ったが、唐のあまりのひどさ(詳しく説明)に、大金を使って行く必要は無いと、遣唐使を廃止した」
と、言ってきました。
「そしてヒミコの文献を調べていたら、突然拘束された」
と、以前知らされた事と同じであった。
*)山椒太夫は、ヒミコの娘(イト)の子供たちのその後の物語を、テレパシーで伝えて書かれたと言ってきました。
盲目の母がいたのを、隠岐の島にせず佐渡島にしたのは、隠岐の島のヒミコの墓?(由良神社)が荒らされると困ると思ったからだそうです。
2001年7月3日
隠岐の島の由良比女神社 がヒミコの娘の墓、イカの意味。
PCを離れて旅行に行きたいと思い、隠岐の島を検索しました。
大国主と娘の由良ヒメ(=ヒミコの娘)がそこに逃げて、一緒に暮らしたと知らされた島です。
本当に「由良比女神社」があり、イカよせの浜もあることが解りました。
・「隠岐観光情報」
昨年実家行った時、車で来た魚屋さんが待っていて‘見てもらいたい' と見せてくれたのが、見たこともない大きなアカイカ2はいでした。
魚屋さんは
『滅多に手に入らないよ。
このイカは一つが釣れると、不思議なことに必ずもう一つ引っかかってくるんだよ』
その事を思い出しながら横になっていると、久しぶりに耳が痒くなり降りてきました。
「(HPを)よく見てくれました。
仲良く(夫と)2人で、海を自由に泳ぎたいと言った事があります。
それでお願いしていたのです。(以前、イカは理想の生き方だと知らされた)
(ノアの息子の)悲しい最期を見届けて、私は連れて行かれました。
途中で白藤を胸に抱いて行きました。
私が恋した君(ノアの息子)は、それは優しい人でした。
別れるのが嫌で釣られたら一緒に釣ってもらうアカイカは、私たちの思いをあらわしています。
星原に行けてうれしかったです。(ヒミコの娘より)」
ソラ生物辞典より
・イカ
イカはとても優雅に海を自由に泳ぎ、子育てに煩わされなく、生きることを楽しむ動物である。
ソラのものが理想とした生き方とされる。
タルイカはいつもつがいで行動し、片方が釣られると必ずもう一方も釣られるくらい仲が良い。
墨を吐くのは、見えない世界を信じない人は、脳が死ねば何も見えない真っ暗闇と思っているのでそれを知らせています。
(タルイカ=アカイカ)
ソラ辞典より
・ヒミコの娘
大国主とヒミコとの子供でタケルノミコトの姉。
ジンムがヤマタイコクを襲ってきた時、ひそかにイシカミの声に導かれ星原に逃れる。
そこでノアの息子と出会い一緒になり、山彦、海彦、女の子に恵まれ由良で幸せに暮らしていたが、ジンムにさらわれ、ニニギノミコトを生まされる。
由良に戻ったが子供達は殺されたり行方不明になっていたため自殺をしようとするが、再びヤマトへ連れ戻されそうになり、スセリ姫が身代わりになってくれたために隠岐の島に逃れ、そこで父親の大国主に出会い最後まで一緒に暮らす。
この話がテレパシーで伝えられ「山椒太夫」となった。
名前は「イト」と知らされる。
ソラ画像より
・由良の戸
由良川の河口はこのように砂州でとても狭くなっています。
「由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋のみちかな」
で詠まれた由良の戸ですが、大陸からリュウジンがやってきて、川を伝わって上陸するので、イシカミが砂州で戸を締めようとしているそうです。
川幅はとても広い川です。
・2008年10月6日
ソラからの情報で知らされたことは、ことごとく封印されていて、古代書とは合いませんが、このユラヒメのことだけは一致しました。
そして800箇所の神社は全て支配星にのっとられ、祭神は支配星と関係あるものになっていきましたが、この神社だけはヒミコとオオクニヌシの娘のユラヒメが祭られていますが、なぜここに祭られているというのと一致します。
ヤマトに囚われていたが、無事脱出してオオクニヌシのいる隠岐に逃れて再会したと。
(オオクニヌシはイシジンで長生きしていたが、ユラヒメ=イトは人間だったので生まれ変わっていたが、記憶は残っていた?)
けれどもその後支配星により、リュージンでしっかり囲まれてしまっていますし、そばの池にはリュージンがいましたので切り刻みました。
本殿はたくさんのピアノ線のようなもので、倒れないように引っ張ってあります。
詳しくは弊社の『ソラからの真実の歴史』参照。
・イカよせ浜
初期のころのソラからの情報で、ヤマトに囚われたユラヒメ(ヒミコの娘のイトのこと)はイカになって自由に海を泳ぎたいと言ってきました。
ユラヒメ神社の前の浜はイカよせ浜といって、以前はとてもたくさんのイカが浜に打ち寄せられたそうです。
ヤマトから逃れて父親のオオクニヌシがいるという隠岐に来たと伝えられましたが、本当にユラヒメ神社があってびっくりしました。
イトがなぜユラヒメといわれるかというと、夫のユダヤ人のムウラが由良の浜の砂鉄で製鉄を教えるために星原から丹後の由良に移り住んだと伝えられた。
・クリオネの勾玉
ヒミコの娘のイトが子供を偲んで持っていたやわらかいイシカミの一部が握っている間に曲玉になったそうです。
これはクリオネの入った樹脂ですが、クリオネはイシカミの原子が変化し、魚の餌になります。
(これを紹介してほしいということでした)
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
03-MAY-2009 10:25 M4.5 深さ52.9 WESTERN CAROLINE ISLANDS
03-MAY-2009 01:20 M4.7 深さ65.1 TONGA ISLANDS
03-MAY-2009 00:10 M5.0 深さ27.8 WESTERN CAROLINE ISLANDS
02-MAY-2009 22:27 M4.8 深さ45.8 SOUTH SANDWICH ISLANDS REGION
02-MAY-2009 18:41 M4.4 深さ56.8 KURIL ISLANDS
02-MAY-2009 14:58 M5.1 深さ99.6 SOUTH OF FIJI ISLANDS
02-MAY-2009 14:02 M5.3 深さ37.1 WESTERN CAROLINE ISLANDS
発生時刻 2009年5月3日2時39分頃
震源地 茨城県南部(北緯36.1度 東経139.9度 深さ50km)
規模 M3.2 震度1 宇都宮市
発生時刻 2009年5月3日4時17分頃
震源地 北海道東方沖(北緯43.9度 東経147.7度 深さ90km)
規模 M4.3 震度1 根室市
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
写真は5月3日のソラ。
百人一首
【ユラノトヲ ワタルフナビト カジヲタエ ユクエモシラヌ コイノミチカナ】
《由良川の河口の砂州が、戸のようになっているのを“由良の戸”と呼ぶ。
そこを通って倭の国の人々は船で行き来をしていたが、ムウラが捕らえられた後しばらく交流を止められていたことがあり、その後の二人の行方はわからなくなった》
2002年6月26日
ヒミコの娘
真夜中
「いにしえはとても暖かでした。
ヒミコの娘です。
それは沢山の花が咲いていました。
そして大きな木が生えていました。
食べ物には困らないほど、沢山の恵みがありました。
稲も自然に生えていました。
稲は水がある所はより良く出来ました。
稲の実は粉にしてお餅のようにして食べました。
いにしえの風景でした。
家にいた時に嫌な者が来ました。
君(ノアの息子)に伝えにいきました。
君に一生懸命家に来た嫌な者の事を伝えました。
そして見つけられたのです。
君は見つかると何もせずに言いました。
ヒミコの娘を逃がしてほしいと。
そして君は戦の姿をした人に連れて行かれました。
泣いて頼んだのですが帰ってくることはありませんでした。
人間に生まれてきて後悔しました」
2002年10月16日
ヒミコの娘=イト、ビジョン。
2002年10月14日
新幹線の中で
「娘の名前は“イト”と言いました。
(以前から聞いていたがわからなかった)
イノリをトモとするようにつけました。
今以上にお知らせするように(新しい事を知らせてほしいと)、ソラのものに頼まれました。
それとこの事もお知らせください。
いにしえにはいつも祈っていました。
良くしてくれるイシカミさまに、いつもお願いをしていました。
それについて書いたのが“ホツマツタエ”です。
いつも見ているヒミコより」
12日の三日月は下半分がオレンジ色っぽかったですが、14日の半月にはびっくりしました。
下半分の円の外周はきれいなブルーで、半月の下には三角型の濃いピンクの光がありました。
歩いている間見えましたが、帰ってしばらくして見るとカラーの光はなくなっていて、普通の月に変わっていてデジカメで光を撮る事はできませんでした。
12日から【お祝いです】とか言っていましたが、本の編集が終わりかけた事や、次の日にわかったルシファーの事などを祝ってくれたようです。
ちなみに今夜(15日)の突然の短時間のカミナリと暴風雨も同じ意味だそうです。
【ヤマタイコク物語】より
(前略)
...当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、被差別民として差別され続けるようになったのです。
ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来ましたが、星原まで行くことはできず途中で亡くなりました。
そして時を経てヒミコに言われていたホシノミナの降りた所の星原で生まれ変わりました。
3)【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。
ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。
ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。
一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星はジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。
その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)
みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)
けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)
6)【ヤマトへ連れて行かれたイト】
一方、イトは幸せな生活から一転して、ヤマトへ連れて行かれることになりました。
道中、白い藤が咲いていたので、白人のムウラを忍んで、白い藤を手折って持って行きました。(才の藤、白藤神社)
ヤマトへ連れて行かれ何重にも塀で囲まれた所(八重垣)で、幽閉生活をさせられました。
ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、強引に子供を生ませましたが、その子供がニニギのミコトで、イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、イシカミの話や、ヤマタイコクや母親が由良から連れてこられた事を話したために、それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。
イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしましたが、スセリ姫が身代わりを申し出て、警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、その地で最後を迎えました...
(後略)
2007年3月6日
由良の戸(由良川の河口の砂州)
画像では由良川の大きさがちょっとわかりにくいですが、大きな川の河口がこのように砂州でとても狭まっています。
これは大陸からのリュウジンが川を伝って日本に入らないように、近くのイシカミが戸を作ろうとしたそうです。
由良川はかって倭の国の中心を流れて、海と山の人たちの交流に使われてきましたが、イト*を誘拐しヤマトへ連れて行ったのもこの川を利用しました。
それを隠して歌った和歌が
「由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋のみちかな」
これはイトを誘拐した後、その噂が広まると困るので、ヤマトが川の行き来を止めさせたということを歌っていると伝えられました。
又、近年は出口ナオ、オニ三郎はプレアデナイの指示にて、由良川近くの沓島、冠島にリュウジンを隠させ、そこからリュウジンのエネルギーを送り込ませていました。
それが由良の戸の意味がわかり、見えない世界ではその戸が閉じられたことで、大陸からのリュージンが日本に入れなくなったということを、この日、日本海で急速に発達した低気圧で知らせたそうです。
*)イト=ヤマトに連れて行かれたヒミコの娘
2001年5月8日
道真が遣唐使を中止した訳、山椒太夫の佐渡島の意味
*)菅原道真から、
「遣唐使として渡ったが、唐のあまりのひどさ(詳しく説明)に、大金を使って行く必要は無いと、遣唐使を廃止した」
と、言ってきました。
「そしてヒミコの文献を調べていたら、突然拘束された」
と、以前知らされた事と同じであった。
*)山椒太夫は、ヒミコの娘(イト)の子供たちのその後の物語を、テレパシーで伝えて書かれたと言ってきました。
盲目の母がいたのを、隠岐の島にせず佐渡島にしたのは、隠岐の島のヒミコの墓?(由良神社)が荒らされると困ると思ったからだそうです。
2001年7月3日
隠岐の島の由良比女神社 がヒミコの娘の墓、イカの意味。
PCを離れて旅行に行きたいと思い、隠岐の島を検索しました。
大国主と娘の由良ヒメ(=ヒミコの娘)がそこに逃げて、一緒に暮らしたと知らされた島です。
本当に「由良比女神社」があり、イカよせの浜もあることが解りました。
・「隠岐観光情報」
昨年実家行った時、車で来た魚屋さんが待っていて‘見てもらいたい' と見せてくれたのが、見たこともない大きなアカイカ2はいでした。
魚屋さんは
『滅多に手に入らないよ。
このイカは一つが釣れると、不思議なことに必ずもう一つ引っかかってくるんだよ』
その事を思い出しながら横になっていると、久しぶりに耳が痒くなり降りてきました。
「(HPを)よく見てくれました。
仲良く(夫と)2人で、海を自由に泳ぎたいと言った事があります。
それでお願いしていたのです。(以前、イカは理想の生き方だと知らされた)
(ノアの息子の)悲しい最期を見届けて、私は連れて行かれました。
途中で白藤を胸に抱いて行きました。
私が恋した君(ノアの息子)は、それは優しい人でした。
別れるのが嫌で釣られたら一緒に釣ってもらうアカイカは、私たちの思いをあらわしています。
星原に行けてうれしかったです。(ヒミコの娘より)」
ソラ生物辞典より
・イカ
イカはとても優雅に海を自由に泳ぎ、子育てに煩わされなく、生きることを楽しむ動物である。
ソラのものが理想とした生き方とされる。
タルイカはいつもつがいで行動し、片方が釣られると必ずもう一方も釣られるくらい仲が良い。
墨を吐くのは、見えない世界を信じない人は、脳が死ねば何も見えない真っ暗闇と思っているのでそれを知らせています。
(タルイカ=アカイカ)
ソラ辞典より
・ヒミコの娘
大国主とヒミコとの子供でタケルノミコトの姉。
ジンムがヤマタイコクを襲ってきた時、ひそかにイシカミの声に導かれ星原に逃れる。
そこでノアの息子と出会い一緒になり、山彦、海彦、女の子に恵まれ由良で幸せに暮らしていたが、ジンムにさらわれ、ニニギノミコトを生まされる。
由良に戻ったが子供達は殺されたり行方不明になっていたため自殺をしようとするが、再びヤマトへ連れ戻されそうになり、スセリ姫が身代わりになってくれたために隠岐の島に逃れ、そこで父親の大国主に出会い最後まで一緒に暮らす。
この話がテレパシーで伝えられ「山椒太夫」となった。
名前は「イト」と知らされる。
ソラ画像より
・由良の戸
由良川の河口はこのように砂州でとても狭くなっています。
「由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋のみちかな」
で詠まれた由良の戸ですが、大陸からリュウジンがやってきて、川を伝わって上陸するので、イシカミが砂州で戸を締めようとしているそうです。
川幅はとても広い川です。
・2008年10月6日
ソラからの情報で知らされたことは、ことごとく封印されていて、古代書とは合いませんが、このユラヒメのことだけは一致しました。
そして800箇所の神社は全て支配星にのっとられ、祭神は支配星と関係あるものになっていきましたが、この神社だけはヒミコとオオクニヌシの娘のユラヒメが祭られていますが、なぜここに祭られているというのと一致します。
ヤマトに囚われていたが、無事脱出してオオクニヌシのいる隠岐に逃れて再会したと。
(オオクニヌシはイシジンで長生きしていたが、ユラヒメ=イトは人間だったので生まれ変わっていたが、記憶は残っていた?)
けれどもその後支配星により、リュージンでしっかり囲まれてしまっていますし、そばの池にはリュージンがいましたので切り刻みました。
本殿はたくさんのピアノ線のようなもので、倒れないように引っ張ってあります。
詳しくは弊社の『ソラからの真実の歴史』参照。
・イカよせ浜
初期のころのソラからの情報で、ヤマトに囚われたユラヒメ(ヒミコの娘のイトのこと)はイカになって自由に海を泳ぎたいと言ってきました。
ユラヒメ神社の前の浜はイカよせ浜といって、以前はとてもたくさんのイカが浜に打ち寄せられたそうです。
ヤマトから逃れて父親のオオクニヌシがいるという隠岐に来たと伝えられましたが、本当にユラヒメ神社があってびっくりしました。
イトがなぜユラヒメといわれるかというと、夫のユダヤ人のムウラが由良の浜の砂鉄で製鉄を教えるために星原から丹後の由良に移り住んだと伝えられた。
・クリオネの勾玉
ヒミコの娘のイトが子供を偲んで持っていたやわらかいイシカミの一部が握っている間に曲玉になったそうです。
これはクリオネの入った樹脂ですが、クリオネはイシカミの原子が変化し、魚の餌になります。
(これを紹介してほしいということでした)
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
03-MAY-2009 10:25 M4.5 深さ52.9 WESTERN CAROLINE ISLANDS
03-MAY-2009 01:20 M4.7 深さ65.1 TONGA ISLANDS
03-MAY-2009 00:10 M5.0 深さ27.8 WESTERN CAROLINE ISLANDS
02-MAY-2009 22:27 M4.8 深さ45.8 SOUTH SANDWICH ISLANDS REGION
02-MAY-2009 18:41 M4.4 深さ56.8 KURIL ISLANDS
02-MAY-2009 14:58 M5.1 深さ99.6 SOUTH OF FIJI ISLANDS
02-MAY-2009 14:02 M5.3 深さ37.1 WESTERN CAROLINE ISLANDS
発生時刻 2009年5月3日2時39分頃
震源地 茨城県南部(北緯36.1度 東経139.9度 深さ50km)
規模 M3.2 震度1 宇都宮市
発生時刻 2009年5月3日4時17分頃
震源地 北海道東方沖(北緯43.9度 東経147.7度 深さ90km)
規模 M4.3 震度1 根室市
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以上、地球の謎解きより。
写真は5月3日のソラ。