ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

支配の形

2008年02月06日 23時58分42秒 | Weblog
2005年11月18日
#)京都の巨石遺跡
↑とんでもない名前が付けられています。

チャネリングでは大文字山のイシカミの巨人が作ったと言ってきました。
これからは【大文字古墳】と呼ぶようにお願いします。と。
大文字山から数kmしか離れていないようです

このような巨石を道具のない古代に人間が組み立てられたでしょうか?
戦後の乱開発で多くの古墳が壊されたそうですが、イシカミを封印するために故意に壊されたしか思えません。

京都でも大陸からきた秦が大きな仕事をしたように、日本人は洗脳されています。
日本人は、自分たちの先祖がイシカミの仕事を知っていたのを隠して、大陸の文化が優れていたと思い込んでいます。
それこそを先祖を愚弄することになります。
すなわち、この情報を罵倒している人たちも、自分たちの先祖につばを吐いているのと同じです。
それとも日本人の先祖でないから罵倒しているのでしょうか?

#)掲示板で紹介してくださいました。
《高知の巨石群》
唐人駄馬・唐人石
たまたま見たTVで高知だったと思いますが、ストーンサークルの石を全て排除して芝生公園にしたというのは、ここではないかと思います。
ストーンサークルの石は小さいので、誰かが動かしたらそれでわからなくなります。
大和の壁画ばかりにお金をかけ、石の文化を無視している今の文化庁のあり方に疑問を持ちます。
ストーンサークル、巨石遺跡の古墳など早急な国の保護をお願いしたいと思います。

2004年3月15日
【酒船石】
「石上(イシウエと言い、イソの神とは言わない)神社と呼ばれるモノです。
本当は違う所にあったのを、今の所に移されたのです。
(酒船石のあるところであった?)
(酒船石は)始めは丸かったのです。
(イシカミの)お母さん?の顔のつもりで作りました。
けれども人間が(船型に)削ったのです。
(人々が崇めるので)船になって出て行けと削られたのです」

(酒船石のある塚がイシカミの体だという事。確かに周りを削り船形にしようとした形跡がある)

2004年3月17日
信貴山、生駒山とも、仏教に封印されてとても嫌だそうです。
信貴山は物部の守屋と星述べの子供が逃れた山ですが、イシカミより北斗七星の声が強くなり、星述べの子供は北斗7星に支配された韓の国から渡って来た7支刀を持っていたようです。

【鬼の雪隠】と呼ばれる事を嫌がっていました。
あれを作ったのは、ウネベ山(畝傍山)のイシカミの巨人ですと。

【鬼のまな板】の上に乗っていて、その周りは土で押さえられていたそうです。
いわば土のカマクラの形になっていてその中にくり貫いた巨石があり、星述べの者がその中でイシカミの言葉を取り次いでいたそうです。
すなわち1.3mの高さの部位に、星述べのものが座り、足を垂らしていた?
石の穴の中はチャネリングを受けた言葉が、反響して大きな声になり他の人に良く聞こえた?
後ろで大人の人が聞いていた?

入り口などきれいに切れているのは、イシカミの体の一部が柔らかいうちに石刀できれいにしたそうですが、この地においては石刀は全て粉々に壊された?と。
後ろがあまりきれいに切れていないのは見えないからで、土台がきちんと線が引いてあるのは、線を引くのが面白かったから?
後ろの穴の方に、大人がいて聞いていたようです。

鬼の雪隠・鬼の俎

イシカミの言葉はとてもかすかなので、神経を集中しないとわかりにくいので石室の周囲が石や土で囲まれていると わかりやすいと思います。
ただプレアデナイが降りてきてからは、イシカミの言葉がわかりにくくなりその隙をついて、北斗七星が星述べの者に降りたようでした。
(最初に星述べのことを言わなかったのは、そのせいだったようです)

【亀石】の亀が西に向くと奈良は泥海になる、と言う言い伝えがあるのは、西を向くと亀は石舞台に気づき、亀はイシカミの事を思い出すので古代の権力者が‘イシカミを封印した事’がわかるという意味だそうです。

2004年4月8日
「イシカミの分身は石冠のような身体をしていました。
イシカミの分身が亡くなって横になると前方後円墳の形になったのです」

「(奈良地方は)大きな古墳がたくさんあるのは、ツボの形の半島(紀伊半島)にするため たくさんのイシカミが降りて、のたくさん分身がそこに集まったからです。
そして(紀伊半島が)ツボの形に出来たので、海の浅瀬であった(奈良盆地の)海水を、イシカミの分身たちが飲み干して、それから横になったからです。
それでイシカミの分身の亡骸が大きな古墳(前方後円墳)の形になり、それをヤマトの人が自分たちのお墓にしたのです。
水を沢山飲んだので(分身の遺体が)岩にならなく土になったので、お墓にしやすかったのです」

古墳は考古学では人間が盛り土をしてお墓を作ったとされていますが、鍬だけで土を掘りそれを運んで小高い所に盛る事で、これ程多くの塚を作ることは到底不可能と思われます。
そして私市円山古墳のトンネル部分はやわらかい岩だったそうで、人間が運んだのではないと思われます。
巨大な小山を人間の力で盛り上げる事は、到底不可能と思いますし、人間が盛り上げたとしたら、雨で流されて崩れてしまうと思います。
又、奈良盆地が海であったということも情報と合っています。
亀石が西を向けば奈良盆地は海になるというのは、亀はイシカミをあらわすので、
イシカミの事に気づいたらかつて奈良盆地は海であったことがわかるという事と思います
古墳時代はブームのように去ってそれ以後作られなかったというのは、巨人が作った塚の数が限られ、使い切ったので古墳を作りたくても出来なかったと思います。
又、大切な農地の土を、お墓の為に労力を使ってわざわざ盛り上げたくなかったからと思います。
仁徳天皇が亡くなりその人柄を偲んで、回りの人たちが Ω (オーム) の形に似せようと周りをきちっと形作ったので、立派なお墓として残されたそうです。
後の天皇はそれを真似て、イシカミの分身の遺体をお墓にしていったのだと思います。

2004年3月30日
3月30日
「“タカヒトだ? 高みから見るものだ?”と、えらそうな言い方で降りている人がいる」というメールがあり聞くと。

「キンメイ天皇です。
ソラのものに降りて言わなければならないと言われ、伝えてもらおうと思い降りました」と。

「私があの(酒船)石を作るように命令したのです。
なぜかというと仏教の力を強めようと思ったからです。
それには、食べ物を与えてくれたと思っている山になった巨人を崇めている人々の思いを、何とか変えたいと思ったからです。
それで巨人が作った証拠の石の家(鬼のせっちん、まないた)などを、なんとかしようと思い、山から落とさせたのです。
(鬼の雪隠は、鬼のまな板の下に転げ落ちたような形である)
そしてあのような名前を付け、脅かす伝説を作り上げたのです。
山の上にある巨人の顔と思っている丸い岩を船に仕立て上げ、(石神は)もう船出したと民衆に思わせたのです。
そしてあそこで尿をさせ、その山から下がってきた水を加えて、亀に流れ込むようにしたのです。
人々は亀は石神(イシカミ)の化身と思っていたので、自分達の方が上で(石神は)なんら力がないように思わせたのです。
石をそのようにするように(僧侶に)言われたのです。
仏教を広めるためでした」

2006年2月25日
朝方の《夢》
“足元まで水につかって歩いている集団が、陸に向かおうとすると、潮が満ちてきたのか陸の近くに来ると、太ももまで水につかって急いでこちらに来ようとしている集団を、陸地から見ている”

意味は
「これから宇宙の星たちは、地球の水を増やし*ます。
人間は水に意識があると認めないからです。
そして一番の理由は・・・・・・・・(なかなかわからなかった)。
水の原子が嫌がりだしたのです。
水を寺に運び、リュージンに捧げるからです。
奈良の行事*のことです。
悪者がもうすぐそれをするからです」

*)水を増やす=南極の巨大な氷棚が崩れたり、北極の氷が溶け、エスキモーたちが危険にさらされているとは聞いていましたが、先日アラスカの島の永久凍土が溶け出し、島民がアラスカ本土へ全員移住するという計画がたてられているとTVで放映していました。
*)行事=お水取りのこと。仏教とリュージンは共に支配星と関係しているから。観音はリューに乗っているのでわかる)

・東大寺お水取り行事(2月20日から3月13,14日がクライマックス)

瞑想中にエネルギー体に支配された僧侶が始めたことを、仏教全体の力で今日まで続けさせてきましたが、どのようなことがされるか読むと、今のイスラムの世界を彷彿とさせます。
1200年間熱心に信じて保ってきた行事ですが、その間どれだけ戦争があったかと言うことを冷静になって考えると、反対のことばかりであったことがわかります。

宗教や皇室から気持ちが離れたこと(洗脳が解かれたこと)で戦争をしなくなったのです。
若狭の国の遠敷川近くの井戸の水を、わざわざ奈良まで運ばせるのは、そこの水を人々が大切にしていたのを仏教の支配下に置き、人体の多くを構成する水を、仏教の仲間のリュージンが支配するためです。
なぜ、福井の水が大切にされていたかを、ソラからは詳しく知らせています。

すなわち、製鉄など人々に教えて信望を集めていたノアの親子を、ジンムが滅ぼし、父親のノアを倭の国から追放したため、ノアが途中で飲んだ水を、倭の国を含め地元の人たちは大切にしていたのです。

2005年9月28日
#)仏教の被差別への行いを、読者の方がブログで紹介してくださいました。
差別戒名の烙印

以前何かでちらっと読んだのですが、当時は真剣に読んでいませんでしたので、これほどひどい事がなされていたとは知りませんでした。
被差別は現代までなぜ存在し、今もなお差別されているそうですが、なぜ発生したか?をこの情報では詳しく知らせてきていますが、全て筋道が通っています。

被差別はヤマタイコクを封印するために作られた制度で、ヤマタイコクの誉れ高い子孫という事を知れば、差別したい人も何も言えなくなるのでないかと思うのですが、協会に知らせても無視され、現実の事ばかりに目が行って、全く改善させていないようです。

2006年8月25日
*)「反天皇制は解放の核心である」~終戦時10代だった人の論文(PDF文書)
>差別の原因は個々の人間関係を超えた社会の仕組みやさらに歴史に求めるほかなく、これらの領域を見極めることによって、はじめて理解できる。
>「天皇は木曽のご料林はじめ、全国にたくさん土地を持っていて全国一の大地主なんだ。それに日本郵船や大阪郵船などの株主で日本一の大金持ちでもある。このことを忘れるな」
>天皇陛下のために戦い、死ぬことこそが、臣下であるわれわれのつとめだということを、なにかにつけて教えられてきた天皇が、その責任をどうとるのかということに尽きた。
>(天皇巡行で) 軍人としての姿を背広にかえて、天皇でありつづけている。よくこんなことができるな。いい加減な男。近衛はじめ重臣の多くは死を選んだ。自殺することを求めるのではない。せめて天皇の位から降りるのが、礼儀だと思った。
>「天皇制の打倒なくしては民の解放はありえない」1933年(昭和8年)3月全国第11回大会の運動方針討議会の意見書から~「日本における政治的反動と封建制の一切の残存物と強力な主柱である天皇制は、特殊民を封建的身分関係に束縛する根拠である」
>「天皇・華族等のいわゆる貴族搾取階級全体に対して抗議したのである。…身分の低い卑しいものがあるから、崇められるべき、身分の高いものがわかるのであり、天皇その他をあがめさせるためには、ぜひ賤しいものをつくっておかねばならないということである

ソラの情報でも、98年から天皇制の始まりが被差別の始まりと伝えてられています。
ヤマタイコクは四国にあって文字も作られ文化が栄えていたが、ジンム率いるヤマトに攻め滅ぼされ、仏教の88箇所で封印されて四国は死の国と呼ばれ、ヤマタイコクの人々はヤマトへ奴隷として連れて行かれて、被差別民として、田を作らされては取り上げられていたと伝えられました。
ヤマタイコク物語

その後も次々と情報が知らされ、現在残っているいろいろな行事、伝説などと一致し、情報の内容には確信を持っていますし、このことを知ることで差別に苦しんでいる人が一人でも自信を持ってくれるとうれしいと思っていました。

先日から開放指導者が、BBSの掲示板に頭からこの情報を否定し、書き込みをするなと書かれたそうですが、なぜそのような頑固な思い込みをするのか聞くと、次のような言葉が出てきました。

「シリウの仲間の一部が悪い星なのです。
地球を助けると言い、仲間の振りをしながら邪魔をしているのです。
それがアフリカにいるドゴン族に教えたドゴン(シリウB、シリウC?)です。
大きな建物を造ることが出来るシリウスの仲間を見て、人間は動物と同じ生活をすれば良いという頑固な思い込みの持ち主です。
人間は原子生活をすれば良いと、見下しているのがドゴンの星なのです」

【シリウBは消滅した】
【シリウCは消滅した】

早くに開放の指導者に伝えていましたが、相手がどう思おうか自由なのに、このような情報があるということすら、遮断させているのはなぜかと不思議でした。
のBBSにソラの情報は書くなと、書き込みをされたそうで、抗議のメールをしましたら、頭から情報の全てを否定し、無礼者というレスが来ました。
それは開放の指導者達の頑なな、小さなことにこだわり、自分達こそ解放させてやるという、傲慢な考えが底に流れていると思いました。

2006年9月1日
5時ごろ《ビジョン》
“机の前に座って、手紙を見せられていた人?の姿がいろいろ変わり、怒って?出て行くマンガ”
その後一瞬だけニンニクの匂いがする。

意味は
「なぜ被差別が何時までも伝わり、その階層が維持されてきたかというと、朝鮮から来た人に意識を向けさせないためでした。
それらの人を崇めさせるために、被差別の人たちに意識を向けさせたのです。
朝鮮から来た人が天皇になった時、さらにそれがひどくなったのです。
その事を知った開放の指導者が、バツが悪くなって出て行ったことを知らせたのです」

2004年4月1日
2004年3月31日
読者から「板垣退助という言葉が気になる」とメールが来た後。
「板垣退助が降りてきています」と。

「なぜ私(板垣退助)が暴漢に襲われたか本当の事を知らせて欲しいのです。
石をよく知る人、岩倉具視? に言われたのです。(足にサイン)
民主主義にするには今に起こる戦争(日露戦争)を止めさせなければならない。
ひそかに向かう戦争への準備がなされていたのです。
それで嫌になって辞めたのです。
国民の意識を外に向けようと、そして(軍備の)強い国の仲間に入ろうとして、戦争の準備をしていたからなのです。
岩倉具視は天皇が違う人だと知っていたのです。
そして“神ではない普通の人だ”と言ったのです。
私が暴漢に襲われたのは、その事を口外すると誰であろうと命はないと世間に知らしめたのです」

地震雲画像
発生時刻 2008年2月6日 2時9分ごろ
震源地 釧路支庁中南部 深さ 90km 規模 マグニチュード 4.0
震度2 北海道

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

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以上、ソラからの伝言より。
写真は2月3日のソラ。