「話は変わるが、今の人間は時間を連続としてとらえるので、時間を川や帯などのように例えるが、『今』を証明しないかぎり時間は比喩できるようなものではない。
人間はアナログであるとされる。だが、アナログの概念は、あるないで表現するデジタルの出現に対抗して出来た概念であって、デジタル時計が存在する以前はアナログ時計なんて物は世界のどこにもなかった。
デジタルが出現する前のアナログ時計はただの時計だったのだ。だが、デジタルが登場した時にアナログという概念も同時に生まれた。
デジタルは確かにある。電球の点滅に、ついたら「ある」、きえてたら「ない」と意味をもたせ、並べる電球の数を増やすなら、無限に意味を表現できる。
じゃ、アナログってなんだ。
デジタル式でないもの全てだよな。
ふざけた話だよ。新しい概念が生まれると、ソレ以前は、なんたらだと言葉でくくる。
でも、くくって分けなきゃ世界が分からない。
だが、くくったとたんに世界は閉塞する。
出口の少ない空間は狂気に向かう。
くくればくくるほど出入り口は減って、逃げ道はなくなる。
くくりはカタログだ。
誰それはなになに。アレコレはなんとか系。この道具のメーカーはどこ。いま食べてる米の産地はあそこ。
くくれれば、これはそれ以外ではないと分けられて安心だ。
安心の為に全てをくくろうと望み、くくられない物を不安に思う。
だから、人間は万物のカタログ化を望み、自分がくくられる事にさえ納得する。
だが、くくりが多いほど世界は閉塞し、逃げ場がなくなる。その弊害には気づいていても安心の為に目をつぶる」
私は木村みのりです。
えーと、なんだか最初は小説をめざしてはじめましたが、このダラダラ続いている変な作文の登場人物である「死神」は小説になる事を無視しています。
死神の役目は、私にマシンガンを手渡す事、ただそれだけです。
初期計画では、私がマシンガンを受け取れば死神は退場する予定でした。
死神は、どうも、私にマシンガンを渡したくないようです。もっとさらにいっぱい話したくて仕方ないみたいです。
一生懸命に私は小説をめざしますが、死神には全くその気はありません。
私は私なりに、少しでも「小説」に近づこうと努力しますが、なんだか無理っぽい、予定不調和の死神はただ嬉しそうに話し続けます。
「国はあんたにゃ直接にゃ関係ないと思うかもしれないけど、とにかく現代の日本の子供達を取り巻く環境は、子供を狂わせる方向にしか向いていない。こんな国じゃ狂わない奴のほうが頭がおかしい。
そう、この国はおかしいのだ。そのおかしさは理路整然と狂っている狂人に近い。狂ってんだけど、なんとなく筋道だって狂っているから、なかなか狂気に気づけない。そして、狂気に気づいたとしても相手は狂人だから『狂ってますよ』と正直に言いにくい。狂っている事を自覚していない狂人ほど怖い奴はいない。逆に自分をキチガイ扱いしたと攻撃される怖れさえある。
何も、こんな時代は今だけじゃない。
どの時代の大人も、大人であるという時点で狂気をはらんでいる。
違うな、その時代のスタンダードな大人の生き方は、その時代の狂気を受け入れる事なしには習得できないのだ。
狂気とまでは言わないにしても、その時代のスタンダード。普通に行われる行為が後の時代から翻ってみれば、かなりおかしいという事は、テレビの時代劇やら歴史の教科書をみれば分かる事だ。
その、後の時代から見ればおかしいんじゃないのという、おかしさが現代にはないと信じ込んで生きているのが、現代のスタンダードに合わせて生きる大人達だ。
この時代は昔ほど狂ってないはずだと無垢に信じて、素直に時代の狂気を身に付け大人になる。そして、さらなる狂気を子供に押し付ける。
大東亜戦争の勝利を信じて『鬼畜米英!』を叫ぶ大人と、『猫ちゃんは可愛いから殺しちゃダメ!』と言う大人では、どちらがどれだけ狂っているか?
似たようなもんだよ。立ち位置の差だ。
時代の常識が狂気だ。
常識的な大人ほど、理路整然と狂っていやがる。
大人なんかみんなキチガイだ。
大人で正気なのは、キチガイを利用して金儲けができるだけの理性をもつ金持ちだけだ。
時代の狂気を利用して金儲けしようと考えられる客観性を持ち得ているだけでも正気に近い。後の残りは全てキチガイだ。
ニートや路上生活者は、時代の要求する常識を理解できず、あるいは理解する能力も無く、またはこばみ、脱落した心の弱いキチガイであろう。
肉体労働者も時代の常識を受け入れられないがために貧者に甘んじる。
その原因は時代の要求する努力をこなそうとしなかった報いだ。
その為に、肉体的にきつい、あるいは生命の危険すらある仕事をやらされるのだが、実は彼らが人間的には一番むきだしで、時代の狂気とは遠い所にいる人間だ。だが、肉体的苦痛からくる彼らの嫉妬が彼らを狂気に向かわせてしまう。
ホワイトカラーこそ、時代の狂気を背負った真性のキチガイだ。
政治を担う者は、時代の狂気以上の狂気を持ったキチガイだ。
子供はキチガイ以前なんだけど、心を病む子がいる原因は、母親の過保護でも、学校のあり方でも、行政のまずさでもない。それら全てをひっくるめた日本のシステムの問題なんだ。
システムとは、現代という時代であり、現代という狂気だ。
すでに、日本というシステムの中では子供は正常に育たない。
現代の子供は、個性尊重やらオンリー・ワンやらと大きな自我をしょわされて、わがまま自分勝手に育てられる。
自我だけ誇大にされ、その気にさえなれば、なんでも手に入るような感じで育てらたのに、いざ大人になると手に出来るのはごくわずか。
なのに、いくら手に入れても満たされないほどの欲望が目の前にあふれかえっている。
個性をのばせと教わる一方で、学校や親からは、欲望に対する我慢や他者への疑心暗鬼を無意識に強制される。
表向きの教育と強制される物は思いきり矛盾している。
だが、もちろん、子供は親や社会に従うしかない。
我慢できない子供に『我慢』を強要するのが今の日本のシステムだ。
さらに、我慢しにくいようにテレビのコマーシャルは消費者になる事をさかんにあおっている。
こんなのはキチガイ教育だ。
今の日本の子供は親からキチガイになるようにしむけているとしか言いようもない」