「親とは違う新たなる可能性を願って子供を育てる戦後の教育は、ここにきてもう無理がでてきた。そもそも、教育方針のない手探りの教育なんてのものが無謀だった。
かといって、もう後戻りも出来ない。
戦前の美しい日本には、もう戻りたくても戻れない。まぁ、本当に美しい日本であったのかは疑問だが、とにかく昔の子供は、親なんか関係なく子供なりにそれなりに楽しくやっていた。
子供に必要なのは、規則正しい生活と静寂に毎日のご飯。ソレさえあれば子供は自分で勝手に楽しめる。親なんて口を出す必要もない。
いつの時代だって子供は未来の可能性なんてチンケなまやかし信じていない。
子供にあるのは『今』だけ。確実にあり確実に楽しめる『今』だけが子供に重要なのだ。
それを親の都合で、子供の『未来のため』に『今』を、苦しい耐える『時』に変えるなら、子供は楽しむはずの『今』を耐えて生きるしかない。
未来なんてあるんだかないんだか分かんない下らねぇモンなんかより、子供には今を純粋に楽しませてやればいいのさ。
未来なんて、大人になってから考えりゃいい。
子供なんかほっときゃ自分勝手に楽しくなっちまう生き物なんだよ。
それを縛るのが親のいう将来や未来だ。
将来や未来なんて、どうなるか分からないモンは『不安』しか生まない。人生設計は苦痛のもとだ。将来を考えれば誰だって不安になり、目指す未来に少しでも近づこうとあせってしまう。下手すると『やり直せたらなぁ』というリセット思考にさえ結びつく。
子供は未来を持つが、子供に未来を期待するのは『親の罪』だ。
だが、悲しいかな。親は『未来』を子供に要求する。
親の身勝手さが子供を狂わせ、時代を閉塞させる」