「世界があるから自分があるんじゃない。自分がいてこその世界なんだ。主観こそが世界の中心であり、その意味においてはオンリー・ワンは正しい考え方なのだ! スマップだってたまにゃー良いことを言う!」
「どういう意味ですか?」
私の質問を無視して、死神はマシンガンをあぐらの膝の上に置き、ビールを飲みながら左手で闇の隙間をまさぐる。すぐに目当ての物を見つけたらしい。ラップに包まれたお惣菜らしき物体を取り出した。
「これさぁ、近所のスーパーおおたで買ってきた『焼豚』なんだけどビールに合うんだ。あんたも食べる?」
コーラに焼豚。変な取り合わせだし、夜中にそんな物を食べたら虫歯になりそうだ。私は首を横にふる。
死神はかまわず私に割り箸をわたして言う。
「まぁ、焼豚はこの真ん中に置いとくから、気が向いたらつまみなよ。で、さっきの話の続きなんだけど、例えば『世界』を、この『焼豚』に例えるとする!」
私は、その例えを了解したという意味でこくんとうなづいた。
「例えるとぉー」
死神は少し考えて叫んだ。
「あぁっダメダメダ。この例えはキャンセル! 焼豚と世界はまったく繋がらん。焼豚で世界を比喩しようもない。焼豚は焼豚だ。だから、今のは無し」
オイオイ。
「ようするにだ。空き地の真ん中のはらっぱにタンポポが咲いているとする。このタンポポは存在するかしないか!」
「咲いてんだからあるんでしょ」
当たり前だ。
「うん、そうだよな確かに咲いてんだからある。でも、はらっぱにゃ草がうっそうと生い茂り、そのタンポポはタンポポより背の高い草でかくれていて、誰もそのタンポポが咲いている事になんか気づかない。誰も気づいてないタンポポは確かにそこにあるのかな?」
「あるよぉ、咲いているんだもの」
「そうだな、そうのはずだが、はらっぱの草をかきわけ自分の目でタンポポを確認しないかぎりは、あるとは言い切れない。タンポポを自分で見つけ出さないかぎりはタンポポがあることにさえ気づかない」
うん。
「誰かが見つけてそこにタンポポがあるとしないかぎり、タンポポはあるのかないのか分からない。そんな物を『ある』と言い切れるのか、いや言い切れないだろう」
ふーん、咲いてても見つかんないタンポポを無いかもしれないとするんだ。
「例えば、昔の人にとって『宇宙空間』はなかった。現代の人間から見れば確かに『宇宙』はあるのにってかんじだけど、昔の人にゃただ、地面と空があっただけ。昔の人は、この世界を大地を基準に無限に広がるドーム空間のように考えていた。まさか、この大地がまんまるのボールで真空の宇宙に浮かんでいるだなんてこと普通の人は思いつきもしなかったはずだ。思いつきもしないから、昔の人には『宇宙空間』なんてなかった」
「解らない、見えない物は、無いに等しいって言いたいんでしょ」
そう言うと死神は答えた。
「基準を何にするかだ。たしかにタンポポは咲き、宇宙はある。が、それを知らなければ無いのと同じだ。そう考えるなら世界の主役はいつでも見る側にある。見る側ってのは俺とかあんたとかで、俺やあんたとかに見えない世界なんてあるんだかないんだか分からないし関係もない。確かに存在していてもだ」
「だから、オンリーワンてわけ」
死神は言う。
「そうだよ、あんたは物わかりがいい。世界はそれとしてちゃんとあるんだけども、知らなければ無いのと同じ。知る事ができて、知った事を受け取るのはいつでも自分だけ。人間は自分が知ってる範囲でしか世界を受けとめられない。だから、世界という舞台装置があってそこにそれぞれの人間がいるのではなくて、人間ってのはいつでも世界という舞台をながめているだけの観客だ。舞台裏なんて探ろうとでもしなきゃ分からない。世界が回るから人間も回るのではなくて、観客が世界は回っているんだと理解するから世界は回っているように見える」
「それで?」
「だから、世界は自分を中心に回るのさ。とゆーか、そうとしか人間は世界を感受できないはず。まさに、オンリー・ワン。直訳するなら『1人だけ』」
そうかもしれないね。