墨汁日記

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いでや

2006-03-27 19:11:41 | 駄目

 いでやと『徒然草』の2周目をはじめてから、毎日が自分の文章の手直しである。ちっとも前に進まない。
 だが、しかし、手直しすればするほど、自分の文章がビンビンにとんがって、鋭く固くなっていく事が実感できる。チンコはあいかわらずシナシナのシナチクなんだけど、俺は思いつきだけの人間じゃなかったんだなと少しだけ自分を見直した。でも、直しだすとマジきりがない。


徒然草 第四段 後の

2006-03-27 18:59:49 | 新訳 徒然草

 後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし。

<口語訳>

 後の世のこと心に忘れない、仏の道に疎くはない、心憎い。

<意訳>

 死んだ後のことを心に刻み、仏の教えに疎くないのは、理想。

<感想>

 この第4段は、みじかくて訳なんかなくても意味は分かる。
 「後の世」とは、死んじゃった後に訪れるであろう世界の事で、現在では「来世」とか「あの世」とでも言った方が通りがいいだろう。
 人は死んでも、その魂は「後世」で生き続ける。魂が生きる場所は「極楽浄土」だったり「地獄」だったり。あるいは「転生」して生まれ変わったり。それが、仏教の基本的な考え方だ。
 素直に読めば、この段は、「来世のことを心に忘れず、仏の教えに詳しいのは、素敵なこと」という文章になる。
 この段だけで読むのならその通りで、それだけの話だ。
 しかし、この第4段は、第1段から第3段まで続いた、生まれた以上は当然に持ってしまう「望み」について書かれた事の、「結論」だと俺は考える。

 第1段からおさらいしてみよう。
『いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ』
 と、兼好は第1段を書きはじめた。
「この世に生まれちゃった以上は願い事が多すぎる」と言っているワケだ。
 第1段では、天皇や上流貴族でもない、ただの人間がそれなりに出世して威張るのは、みっともないと兼好は言う。
 次に、坊主が出世を望むのは、仏の教えに背いている上に、あつかましいと言う。
 容姿が美しいのは「望み」だけど、アタマが悪けりゃ世間につぶされちまう。
 とりあえず勉強して賢くなろう。それでいて酒飲みだったりしたら、理想の男だよなと言う。

 第2段では、朝廷の施政者(天皇や関白)の過剰な「望み」は危険であり、贅沢に気をとられすぎると国を傾ける原因になりかねないと兼好は語る。

 第3段では、恋を知らない男はなにかが足りないと言った上で、恋の素晴らしさを語り、女にただ者じゃないと思われるのが「望み」だと兼好は告白する。

 このように兼好は、第1段から第3段まで全て「望み」というキーワードで話を進めてきた。
 『いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ』という第1段冒頭の文章が、第3段の終わりまでかかっているのだ。かかりがあれば当然に結びがある。
 その結びこそ、生まれついて持つ「望み」について、いろいろ語った事への結論こそが、『後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし』という、この第4段なのではないだろうか。

 生まれちゃった以上「望み」を持つのは当然だと、兼好は語る。
 「望み」は必ずしも全て叶うものではない。生まれながらの身分や容姿なんてものは、どんなに望んでも手に入らない。だが、誰もが自分以上の何かを望んでしまう。
 「望み」の持つはかなさや、危険性。さらに、望んでやまない異性への情熱などを、第1段から3段で兼好は語り続けた。
 「望み」そのものに対して、兼好は基本的には「生まれた以上は仕方ない」と思っているようだが、けして歓迎すべきものではないとも警戒している。

 「いでや、この世に」で始めた書き出しを、文章のかかりであると理解して、この第4段を、1・2・3段の結論として位置づけるなら、第4段は、こうも解釈できる。

「(望みは多いが)どうせ何を望んだって、いずれ死ぬんだ。なら、仏教の勉強をして念仏でも唱えて暮らすのもいいかもしれない」

 なんにしろ、「死んだ後のことを心に刻み、仏の教えに疎くないのは、理想」だと、この段で兼好は言っている。
 だが、実はそれすらも「望み」であるというパラドックス。
 「望み」なんかなくして念仏でも唱えながら静かに暮らしたいというのも、一つの「望み」なのである。

 人は「望み」なしには生きられない。向いた方向にしか進めない。


月曜の朝

2006-03-27 05:59:07 | 携帯から
今朝は晴れて風もない。市民ホールから病院まで続く桜並木の桜も、だいぶ花をつけた。

昨日は人が来て、やりたかった事の半分も片付かなかったが、仕方がない。

仕事まで、小平の駅前にある公園で10分ほど時間調整するが、公園はいつになくゴミだらけだ。きっと昨日は多くの人が利用したのだろう。