墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

☆おいし占い☆

2006-03-10 21:07:37 | こうさぎ
行成運下降気味

 今、皇太子に、『紫の、朱奪うことをにくむ』という行成を御覧になりたいと希望されて、『論語』から原行成を捜しているのだが、見つからないのだ。

☆愛のアドバイス☆

 雨にも負けて、風にも負けて、冬の寒さにへこたれるマダムです。
 だがだがだけど!
 春のポカポカはかなり得意です。
 得意分野と言い切りましょう。
 しかしかかしおかし。
 ですが、春眠暁を覚えずの「春眠」は、かなり不得意分野。
 できるものなら寒い冬のあいだは「冬眠」したいぐらいのマダムですので、お眠り系にはめっぽう弱いのです。
 もしも、私が「勇者」で、道ばたで出会ったモンスターに眠りの呪文を唱えらたなら、即座に盾のかげで剣を支えに眠りにつく自信があります。

 春。
 暖かくなると、学生時代、春のポカポカほかほかの陽気にボカボカ負けて、窓際でよだれを教科書やノートに浸水させながら春眠していたものでした。
 それでしょちゅう、先生に指差されつつ怒られつつ起こされてました。
 あー。先生ごめんなさい。
 自分は寝てました。
 でも、春でしょ、春は眠いんです。
 春眠なんとかとか言いますよね。
 そんなで、 
 春眠だけにしゅんみんません。

 あー、苦しい。あまりの苦しい落ちに「苦死」しそうだ。

*これはBlogPetおいしによる今日の占いです。
占い監修:マダムprotozoa


徒然草 第二百三十九段

2006-03-10 20:39:47 | 徒然草

 八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。

<口語訳>
 八月十五日・九月十三日は、婁宿だ。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とする。

<意訳>
 八月の十五夜と、九月の十三夜は、婁宿の日だ。
 この婁宿の日、月は清く明るい。
 月を見るのに良い夜とする。

<感想>
「中国古代の天文学において、黄道に沿って、それに近い二十八の星座をもって、天球上の日・月の位置を示す基準とした。これを二十八宿(宿は星座の意)といい、「婁宿」はその一。当時行われていた宣明暦では、二十八宿のうち、牛宿を除く二十七宿をもって、一年中の日をこの二十七宿に配当しているが、それによると、八月十五日・九月十三日は婁宿の日に当たる。」(新訂 徒然草・岩波書店)

 俺は「サソリ座」の男なんだが、「婁宿(ろうしゅく)」は「婁座」とでも考えれば良い。
 古代中国の天文学では、黄道に沿って見える星座を月日の基準とした。
 これは二十八宿(宿は星座の意味)に分けられた。「婁宿」はそのひとつだ。
 兼好が生きていた時代に使われていた「宣明暦」という暦では、二十八宿のうち「牛宿」を除いた二十七宿で、一年を毎日、日替わりで二十七宿に分けていて。それによれば、旧暦の8月15日と9月13日は、婁宿の日となる。

 ようするに、西洋占星術では星座の巡りはひと月交代だが、中国占星術では毎日、日替わりでその日の星座が交代したのだ。

 ところで、この段の原文
『八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。』
を素直に解釈すると、
「八月十五日、九月十三日は婁宿である。この婁宿は清く明るい故に、月を見るのに良い夜とする。」
となる。
 これでも意味は通るけど、これではあまりに座りが悪い。星の清く明るい様子と月になんの関係があるのだろうか?
 たぶん、兼好はかなり省略して書いているはずだ。

 それで、俺はこう解釈してみた。
「八月十五日と九月十三日は、婁宿(の日)である。この婁宿(の日の)、(月が)清く明るいが故に、月を見るのに良い夜とする。」

原作 兼好法師


金曜の朝

2006-03-10 05:56:32 | 携帯から
今朝はくもりで、風が吹き小雨がパラつく。濡れるほどの雨ではないので、傘をささずに出かける。

雨は、ちょっと前から降り出したようだ。路面の濡れ方もわずかで、自転車のサドルにも雨粒がポツポツついている程度だ。

通勤電車の車内に、脚本をひろげて熱心に読んでいる女性がいた。役者さんなのだろうか。