先週やってた「コウノドリ」を見た
なんで若い産婦人科の先生の物語を見ようと録画したかと言えば、主人公が産婦人科医に姿を替えた魅力的なピアニストという設定だったからだ
銀のカツラをかぶってそのしなやかな指からこぼれるメロディと日常とかけ離れた世界での活躍というギャップが楽しみだった
さて第4話はそのピアニストでの活躍は皆無だった
僅かに最後に先輩看護師にねだられて、閉店間際の楽器店の展示用ピアノでその力を発揮しただけ
早産の話だった
23週で545gの男の子が生まれた
こんなにちっちゃい
乗せようと思えば片手の掌に乗るくらいだ
不謹慎な例えかもしれないが、僕にはそう形容する資格があると思う
コウノドリ第4話 http://tver.jp/episode/09396075/ (13日21:59終了)
30歳の時、次男が生まれた
多分7か月に入ったところと言われた記憶があるから28週だったのか
この赤ちゃんよりわずかに大きい700g
何にもわからなかった
破水したみたい・・夜遅くに妻がそう言った
いつも診察を受けてる近所の産婦人科に電話した
「様子を見てください」と言われたと思う
でも何時間か後にどうしてもおかしいから強引に 診てください といって連れて行った
すぐに大きな病院を紹介してくれた
くれたと書いたがそんな生易しい気持ではなかった
紹介しやがった あの時すぐに診てくれたら行かなくても済んだかもしれないのに という気持ちを・・まだ若かった僕らは隠しながらその言葉に従った
病院に着いてどれだけ経ったか・・・もう産むしかなかった
二人目だったし普通の赤ちゃんは3000g前後あることは知っていた
700という数字と目の前の小さな命は人間という生き物を実感するには少し時間がかかった
この時初めてNICUというアルファベットの順番を頭に刻まされた
今も忘れていない
面会はできるけれど、消毒をして衛生衣を纏ってじゃないと近づけない
いつもそうしながら面会をした
抱っこはできないけれど触ることはできた
テレビの画面を見てるとあの時の感覚が蘇ってきた
障害が出るかもしれない ということは十分に意識していた
それでもその子がどういう状態なのか まだそれさえも分からなかったのだろう
悪い状況を教えてもらった記憶がない
8月12日に生まれてあと一日頑張れば一か月の誕生日
9月11日、そこで力尽きた
急に悪くなって、亡くなった
生きていたら31歳かぁ
どんな男の子だったんだろうか
小さな棺に入れて小さなお葬式をした
かあちゃんが連れて行かんかったから今も此処に位牌がある
いつも僕が食べる前に朝食を上げてる
大事にしてるよ
なんで若い産婦人科の先生の物語を見ようと録画したかと言えば、主人公が産婦人科医に姿を替えた魅力的なピアニストという設定だったからだ
銀のカツラをかぶってそのしなやかな指からこぼれるメロディと日常とかけ離れた世界での活躍というギャップが楽しみだった
さて第4話はそのピアニストでの活躍は皆無だった
僅かに最後に先輩看護師にねだられて、閉店間際の楽器店の展示用ピアノでその力を発揮しただけ
早産の話だった
23週で545gの男の子が生まれた
こんなにちっちゃい
乗せようと思えば片手の掌に乗るくらいだ
不謹慎な例えかもしれないが、僕にはそう形容する資格があると思う
コウノドリ第4話 http://tver.jp/episode/09396075/ (13日21:59終了)
30歳の時、次男が生まれた
多分7か月に入ったところと言われた記憶があるから28週だったのか
この赤ちゃんよりわずかに大きい700g
何にもわからなかった
破水したみたい・・夜遅くに妻がそう言った
いつも診察を受けてる近所の産婦人科に電話した
「様子を見てください」と言われたと思う
でも何時間か後にどうしてもおかしいから強引に 診てください といって連れて行った
すぐに大きな病院を紹介してくれた
くれたと書いたがそんな生易しい気持ではなかった
紹介しやがった あの時すぐに診てくれたら行かなくても済んだかもしれないのに という気持ちを・・まだ若かった僕らは隠しながらその言葉に従った
病院に着いてどれだけ経ったか・・・もう産むしかなかった
二人目だったし普通の赤ちゃんは3000g前後あることは知っていた
700という数字と目の前の小さな命は人間という生き物を実感するには少し時間がかかった
この時初めてNICUというアルファベットの順番を頭に刻まされた
今も忘れていない
面会はできるけれど、消毒をして衛生衣を纏ってじゃないと近づけない
いつもそうしながら面会をした
抱っこはできないけれど触ることはできた
テレビの画面を見てるとあの時の感覚が蘇ってきた
障害が出るかもしれない ということは十分に意識していた
それでもその子がどういう状態なのか まだそれさえも分からなかったのだろう
悪い状況を教えてもらった記憶がない
8月12日に生まれてあと一日頑張れば一か月の誕生日
9月11日、そこで力尽きた
急に悪くなって、亡くなった
生きていたら31歳かぁ
どんな男の子だったんだろうか
小さな棺に入れて小さなお葬式をした
かあちゃんが連れて行かんかったから今も此処に位牌がある
いつも僕が食べる前に朝食を上げてる
大事にしてるよ