木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

それぞれの人生

2014-12-19 23:22:48 | 友達
今日は夕方MRIの検査を受けてきた
後頭部を型の中に入れてキャッチャーマスクの枠の部分状のもので固定されて狭いドームの中へ
閉所恐怖症の人はあまり気持ちの良くないところへ導かれる
工事現場のような騒音の中にさらされます
耳栓を入れて、耳の周りを固められた状態で25分くらいか
痛くもかゆくもないけどうるさい金属音
まぁあんまりやりたくない検査ですが、検査というものはそういうものでしょう
2年前にやったCTの方が楽でしたね
一週間後、どんな結果が待ってるのでしょうか
ご心配かけております


話変わって、昨日敬ちゃんと石やんと三人でささやか忘年会をしてきました
場所はみぃんち
キムチ鍋を用意してもらって、楽しく過ごしました
相変わらず、敬ちゃんの独り舞台
僕は聞き役なんだけど、大抵裏でコーディネートしております(笑)
彼の奥さんは3月に大きな病院の待合室で倒れた
心筋梗塞で、倒れる場所がそこでなかったら、絶対に助からない状況だった
九死に一生というより九十九死に一生くらいの難関を潜り抜けて
今も違う病院にいる
1つの難関を潜り抜けるとまた次の難関がやってくるの連続
まだ歩くことが出来なくて、車いすの生活を迎えることになるだろうが
それが一生続くかどうか、これからも難関がやってきそうだ
僕の一番の親友の今年は試練の年だった
この春定年を迎えて、勤務が半分以下に減ったことも彼の看病生活の支えになった
巡り合わせを吉と感じている

一方、独身時代のバンド仲間であり、うちのマンションの設計士、石やん
三歳年上の彼の人生は波乱に富んでる
33で一回り下の彼女と結婚し、4人の子供をもうけた
バブルの真っ最中に自分で設計した3500万のマンションを手に入れた
ひと月で500万くらい値上がりした と喜んでいたのに、バブル崩壊
彼には早いうちに試練の時が来た
設計事務所で部長という肩書をもらってたのに、突然のリストラ
非情な会社だったと思う
忙しい時には散々こき使っておきながら、その終わり方は何だよ って僕が思った
彼は、とてもいい人だった
だからもっと大きい会社が再雇用してくれた が僕には都合のいい使われ方をされたとしか思えなかった
そんなころ、奥さんが家出。
しょうもない男にとっぷりと浸かってしまって彼女だけホントの意味で落ちていった
4人の子供と彼の5人6脚の生活が始まる
思うように伸びない収入
毎月7万ボーナス月36万の出費はかなりきつかったに違いない
それでも手に入れた住まいを手放さずにがんばってきた
大きな会社も辞めることになり独立
人柄が彼の生活を支えることになる
一級建築士の肩書も勿論だが、長年築いてきた人脈がその家族を見捨てることはなかった
厳しい時代も建築だけじゃなくて、老人ホームの館長という地位も元々の仕事からの自然な流れだったのかもしれない
ただその職は建築士との併用の職、今はまた本来の仕事に精を出してる
建築会社の経営する老健だったからだ
4人のうち2人が独立して、今は3人4脚
経済的にも少し余裕が出来て、今年の春、中古のハーレー・ダビットソンを手に入れた
夏には北海道の爽やかな風にその身を晒したと
彼は今64歳を満喫している

ずっと幸せ街道まっしぐらだった敬ちゃん
紆余曲折の人生を辿ってきた石やん
いやいやその形容詞は僕の身勝手な飾り方だと分かってはいる
でも、いろんな人生が上がったり下がったり、それは間違いのない人生の機微だ
そこに僕の人生も絡んでく

悪くはない。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする