木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

15年の時の流れ

2014-11-16 23:57:14 | 仕事
付き合いだして丸一年
今日は幸か不幸かお得意さんの太鼓奏者の「15th anniversary Concert」
二人で行くつもりだったが、急用ができてひとりで行くことになった
この一年間、実によく付き合ってもらったので、たまにはそういう事もしょうがない

平成8年だったか9年だったか、親父がそろそろ引退する時期だったと思う
いつも閑古鳥の鳴いてる我が木工所だったが、一段と暇になったときがあった
まぁ、それはいつの時代でも波というものがあって、忙しかったり暇になったりの繰り返しだったが
この時はちょっと身に迫る何かを感じるものがあった
親父は命とりにはならんような病気ではあるけど、いろいろな病気と付き合っていた
ある日、栄にあるぜんそく専門医へ訪れた時の話を僕にし出した
「今日、待合室で知らんおばあさんが大きな声で話してたんだけど・・・
「わしんとこは太鼓のバチ作っとるんだけど、ま~~いそがしていそがしてたまらんのだわ」 そんなこと話してきたけど、うちも作ってみたらどうだ」
頼まれて、仏具屋さんとかから一組二組作ったことはあるけど、本腰入れて作ったことはなかった
親父の言葉に ちょっとやってみるか と思った
それでいくつかサイズの違うバチを朴とか楓とかで作ってみた
作ったはいいがどこへ持って行こうか全然わからなかった
もうネットで調べられたんだったかなぁ
いや多分最初の一軒目は電話帳だったと思う
思いがけず車で10分足らずのところに太鼓屋さんがあるのを見つけた
早速の飛び込み営業はいいけど、値段の付け方が全く分からなかった
やっぱりまだネットは先の話だ
この時に付けた値段は少し高過ぎたようだった
お店の人は丁寧に聞いてくれたけど、「ちょっと高いから・・」と断られた

それからどれだけ経ったのかなぁ
多分一年くらい
もう太鼓屋さんの存在もわからないし、高いと言われてやる気を失ってたのか、それともそれなりにまたやるべき仕事があってそちらで頑張ってたのか

ある日一本の電話があった
「実は僕はあの時来ていただいた店にいた者ですが、今度独立することになりまして、もしできるなら僕たちにバチを作っていただけませんか? 値段も少し歩み寄っていただきたいのですが・・・」

後日、まだ20代の前半かと思えるような彼のアパートへ行った
家には同じく太鼓の先生であり、演奏家を目指す若奥さんと犬が二匹・・・だったかな
そこで今度名古屋祭りで行列をする子供太鼓隊のバチ200本の注文を受けた

彼の紹介で新しくお客さんになってもらった太鼓屋さんもあり、だんだん普及してきたネットを介して見つけたお客さんもあり、うちの仕事がそちらに流れるようになったわけだ

コンサート見ながらそんなことを振り返ってた
シンプルだった初めのころのコンサートと比べて内容は濃くなり、いろんなゲストも迎えてバラエティにも富んでいる
今日は人形浄瑠璃の舞もあって心揺さぶられた
フィナーレではこの人形が会場まで下りてお客さんに覆いかぶさってきたりした
二人に来たのだけれどそのうちの一人になってしまった(笑) ちょいうれしかった
いいことありそー
また彼らには三人のお子さんが出来て、まだオムツの坊や以外のお姉ちゃん二人が演奏に加わったりしてそこでも感じた、時の流れ
http://www.katch.ne.jp/~kokikaku/
初めてお邪魔した時、奥さんは安室ちゃんそっくりだったんだよ(笑)

あっ、帰りにはもちろんいつものところへ寄ってきましたから。。

コメント (2)
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