木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

2011-11-15 22:43:29 | タイムマシン
独身の頃金沢に女友達がいた
彼女は作曲が得意でシンガーソングライター的なことをしていた
ポプコンの第10回11回、北陸代表として名古屋で開催された中部大会で連続グランプリを取った
最初のを取ってから友達になった・・んかな?
環境が環境だったんで友達以上は考えてなかった人
具体的に言うと一人っ子の跡取り娘だったわけだ
そういうことがあると真面目な僕はそれ以上進もうとしない かつては・・(笑)
それで僕が結婚するまでいい友達だった
正確には結婚が決まった時点からずっと連絡がない状態だった

そうなる直前彼女はビクターのちょっとしたコンテストに応募していい成績だったらしく
東京へ出て歌手にならないかと誘われたらしい
はっきり断るんだよね
まぁもしかしたら結果的にそれは正解だったかもしれないけど
その時の僕らの感覚では「勿体ないことをする」だった
やっぱり家を離れるのは論外だったようだ


その彼女に2003年会った
21年ぶりくらいかな?
金沢に団体旅行をした時3時間くらいツアー行動から抜け出して彼女のいた街を歩いてみた
あれだけ拘っていた実家を離れてないんじゃないか
そういう勝手な想像の元その家があったはずの近辺を散策したが全く様子が変わっていて
もう僕の記憶の外の街になっていた
そこで近所のおばさんに尋ねてみた
彼女の家は結構大きなインテリアの店だったはず
それを聞いたらすぐにそのおばさんは一軒のビルまで案内してくれた
そこはジーンズのお店
その脇にあるインターフォンで勝手に呼び出す
21年ぶりの声がした
彼女は元気だった
突然現れた昔の男友達に対して・・・
どうしたと思う?
出てきてくれたんだよね 少し化粧に時間がかかったけど。
それから喫茶店で話した 

これは前置きやん
この時に出た言葉でとても印象的な言葉があった
それは
「あの頃作曲して歌ってそれが評価されて また次の曲が出来る
 それもまたみんなに聞いてもらえる
 順調に順調に物事が進んで行って・・
 今思うとそれは奇跡の連続だったんだよね
 今は自分がしてきたこと自体が信じられない
 絶対にできないことをやってきた
 
 人間はそういう信じられないことができる時があるがいねぇ(無理やり金沢弁)」


僕にはそんな飛びぬけた業績なぞ何もなかったけど
彼女の言ってることはなんとなくわかった
それは多分若いから出来たわけじゃなくて
人間にはそういう旬の時が与えられてるんだと思う

いつ来るかわからん”旬”
楽しみに生きていこうぜ

オレはもう終わってっかなぁ・・・・
コメント (6)
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