木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

介護の日々

2009-08-25 18:11:12 | Weblog
テレビを見たりラジオを聞いたり 人様のブログ読んでも介護の話がよく出てくる
僕のブログを読んでてくださる人の半分以上は僕が2年前に父親を見送ったことを知っててくださるんじゃないかと思うけど
たまにその時に書いた日記に戻って読んでみることがある
実はこのブログではない
これは仕事を知ってもらおうと立ち上げたもので日々の生活のことは他の日記に書いてある
まあ今はこっちの方でしか書いてないのでこっちに生活基盤が移ってしまってるんですが(笑)

親父は2年前の6月の終わりに入院して一度転院してからそこで亡くなった
最初の病院では大事にしてもらってて でも夜になるとやたらに看護師さんを呼ぶような昼間と違う行動を起こすようになって
転院する一ヶ月ちょっと前から母と僕が毎日交代で夜中だけだが付き添う生活が続いた
やがて転院して移った病院はなんというか・・老人病院の感があり
僕から見れば可哀そうな入院生活だったように思えてなりません
こんな日記を書いたことがある


2007年 10月9日(火)


6時半に間に合うようにまた病院へ
車椅子に乗せられて一人ナースステーションの前にいた 
「すいませーん すいませーん・・・」
あの眠れない夜に聞かされたフレーズを繰り返していた
看護師さんは聞こえないふりをしてる
しょうがないかもしれない
この声に反応しても進展はない
「何を頼もうとしてるんだ」
僕が横から声をかけた
「○○か?」
疑問形で僕の名を呼んだ
このところ意識が正常じゃない
「眠たいので寝かせてほしい」
はっきりと口にはしないがそんなことを言ってるようだ
「今寝ると夜眠れなくなっちゃうでしょ」
僕を意識して看護師さんの声がする
僕に説明してる
そのまま車椅子を押して部屋に戻り一枚上着を着せて 膝掛けを用意して
少し寒くなった町に出た
もう暗くなってる 普通の夜とほとんど変わりない
咳が漏れる
いつもより頻繁だ
10分くらいしてから
「寒いか? 帰るか?」
「うん」と頷く
急ぎ足で病棟へ戻り 部屋に入った
「どうしたんだ 表情が全然ないし リハビリやって元気になって帰ろうという気持ちが見えん」
「意欲がない」小さい声が返ってきた
「気持ちが萎えたら もう終わりだぞ 頑張って歩けるようになってうちへ帰りたくないんか
 このままじゃ帰っても寝たきりで 回復できんぞ」
わかってるというようにゆっくり首を縦にした
「今日もマッサージしてもらったのか?」
親父の車椅子の前に椅子を置いて座った
今日は両足とも包帯で巻いてあった
左足を取って僕の膝の上に載せる
昨年くらいまで父親に触ったことなど一度もなかった
それが車の乗り降りする時に体を支えるために初めて手を貸した
今は触れることに躊躇はない
包帯からはみ出てる部分が冷たい 僕の手はいつも嫌になるくらい温かい
訓練師さんのように足先から膝の方に向けてさすってやる
少しずつ揉みほぐしながら・・・
やけに細い脚 なんかこみ上げてきてしまった
親父に気付かれないように話をそらして今度は右足をさすってやった
こっちの足はパンパンに腫れてる
包帯の隙間を温めてやる・・・・・

可哀そうだと思ったことは内緒にした







この1ヶ月後11月11日に父はこの世を去りました
この一ヶ月と少し
父は寂しかったんだと思う
6月に入院してから僕は一日だけ日帰り旅行の日を除いて毎日欠かさず見舞いに行った
そして父の容態が許せばいつも車椅子に乗せて2・30分病院の近所を散歩した
自分でできることはやったという自信はあるけど
やっぱり本心から父の隣にいたいわけじゃなかったんで
散歩から帰ると10分なり20分なりで帰ってきてしまう
新しい病院では前の時と比べてドライに扱われてたから
寂しそうだった・・・

きっといつか僕もそうなるんだろうね
この日の日記を読み直すたびに自分に降りかかってくるような気がする

順番順番 って

と、ちょっと寂しくて ちょっと瞳が溺れる


ポタの相手もしてやらなくちゃね・・・

介護をしておられる方々本当にご苦労様です



コメント (28)
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