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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

南仏旅行その19 ロスチャイルド邸

2012-01-14 21:23:14 | 旅行(フランス・ニース2012)
順風満帆に見えたベアトリスの人生であるが、全てが順調に終わる人生などある筈もない。やがて試練の時がやって来る。病気にかかり、16カ月もの療養を余儀なくされてしまうのである。更に病気からは何とか復帰できたものの、子供を産めない体になってしまう。追い打ちをかけたのはモーリスの博打好きで、莫大な負債を作り出してしまい、遂にはベアトリスは別居を余儀なくされてしまった。この時彼女40歳。ところがこの状況で父親が死去、彼女は莫大な遺産を相続する。弟と分けあった遺産の総額は現在の金額で7億ユーロ(700億円)に達したという。彼女が家や庭に情熱を傾けたのは以上の背景によるので、単純に金持ちの道楽と決めつける事は出来ない。
ベアトリスはその育ちもあって芸術作品には目が利いた。彼女の趣味にあうものを選び、時にはそれを改良する事もいとわなかった。例えば2階の寝室の電灯は鳥籠の形をしているが、これは骨董として買い入れた古い鳥籠を改造して、電球を取り付けたものである。またこの時代としては珍しく、石炭を使ったセントラルヒーティングシステムを家に取り付けていた。
ベアトリスは病気から復帰後は交友関係を以前より狭めたという。気の置けない友人を家に招いたり、旅をしたりして暮らした。彼女が旅行先のスイスで死去したのは1934年。死の前年、彼女はこの家屋敷の全てをフランス美術協会に寄付する事を遺言していた。かくて今美術館として一般に開放される事となったのである。
家の内部を見ているうちにすっかり日が落ちてしまった。昨日に続いて美しい満月である。庭園の東側の海面には満月が美しく照り返している。これに対して西側の海では夕日が沈んでいく姿が見え、確かにこの庭が自然を見る上では最高の立地条件である事が良く分かる。庭園を散策してみた。庭園の奥にある、下左から1枚目と2枚目の小さなあずまやはトリアノン宮殿の「愛の神殿」
フランス旅行その36 小トリアノン宮殿
を模したものである。邸を出る時にはすっかり暗闇になってしまった。最後の写真はバス停の近くから見える入口の表示。なお邸内への入場にはパスポートなど、身分を証明するものが必要である。2012年1月現在、入場料は12ユーロであった。受付では日本語のオーディオガイドを貸し出してくれる。
この屋敷の近辺はフェラ岬(Cap Ferrat)といい、古くから富豪の別荘が集まるところである。有名な所ではベルギー国王レオポルド2世、作家のサマセット・モームなどが屋敷を持っていた。一般に公開されているものとしては、この家の他にヴィラ・ケリロス(Villa Kérylos)という屋敷もここから800m程行った場所にあるので、興味のある方はそちらも訪れられたし。なお、この屋敷の所有者はモーリス・エフージと血縁関係のある人物であった。ギリシャ時代の邸宅を正確に再現した屋敷である。
Villa Kérylos
Wikipedia「Villa Kérylos」


南仏旅行その18 ロスチャイルド邸

2012-01-14 18:48:48 | 旅行(フランス・ニース2012)
もし今、ニースに旅行に行く時にどこかお勧めな場所はないか?と聞かれたら、ここを挙げたいと思う。ロスチャイルド邸である。
Villa Ephrussi de Rothschild
ちょっと遠いのが難点であるが、足を運ぶ価値は間違いなくある場所だと思う。市内から81番と書かれたバスに乗れれば、Passableというバス停から下りてすぐである(ホームページでは100番のバスでも行けるとあるが、あまりお勧めしない)。あの銀行一家のロスチャイルド一族の女性が建てた豪邸である。女性の名はベアトリス・エフージ・デ・ロートシルト(Béatrice Ephrussi de Rothschild)という。
Wikipedia「Béatrice Ephrussi de Rothschild」
本来はRothschildはロートシルトと読むのが正しいし、ロスチャイルド邸というのも正確にはエフージ・デ・ロートシルト邸(Villa Ephrussi de Rothschild)と呼ぶのが正しいと思うのだが、ここは通例に従ってロスチャイルド邸と呼ぶ事にする。
ロスチャイルド一族について簡単に。元はユダヤ系ドイツ人、マイアー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild)が18世紀にドイツのフランクフルトで古銭の売買を始めたのが最初である。やがて頭角を現して富豪となり、息子たちを欧州の各都市に派遣する。このうち末子のジェームスがパリに派遣された。
Wikipedia「ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド」
彼は当時黎明期だった鉄道に着目、これに投資して大富豪となる。そしてその孫娘がベアトリスである。
写真を見ても分かる通り、彼女は中々の美形であり、加えて大富豪の一族であった。彼女に求婚者が引きも切らなかったのは道理である。最終的に彼女が選んだのは15歳年上のユダヤ系ロシア人、モーリス・エフージ(Maurice Ephrussi)である。当時注目され始めていた石油の利権を持つ一族であり、父親の友人でもあった。
その彼女が財産をつぎ込んで作り上げた豪邸がこれである。1905年から7年間を費やして建てられた。凄まじい豪邸である。建物そのものはさして大きくはないが、お金がかかっている事は素人が見ても明らかである。上が外見。下左から2枚目が玄関を入ったところ。3枚目はサロンで、中央の奥にかかっている布はドン・キホーテの一場面を書いたもの。そして暖炉の前にある小さな衝立はマリー・アントワネットが作らせた特注品である。4枚目もサロンだが、手前のソファの下に引いてある絨毯はルイ15世が作らせた特注品で、5枚続きの品であるが、残り4枚は革命で焼失したためこの1枚のみが世界で唯一現存するもの。一時が万事この調子である。6枚目は2階から庭を眺めた所であるが、これは旅行で乗った船が印象に残った為、船の甲板を模して作ったものである。最後は庭から見えるヴィルフランシュ・シュル・メール(Villefranche-sur-Mer)の町の景色である。この邸宅は左右いずれからも海が望めるという絶好の立地条件に作られているのだ。


南仏旅行その17 城跡公園→バス停

2012-01-14 18:21:06 | 旅行(フランス・ニース2012)
城跡公園で数時間を過ごした後、この日最後の観光スポットに向かう。城跡から地図を頼りにバス停へ。途中の風景を並べてみる。上と下の左から3枚はコルシカ島に向かうフェリー。結構スピードが速く、しばらくすると海の向こうに消えて行った。左から4枚目はギャラリーラファイエット(Galeries Lafayette)、高級デパートであるが、今回の旅では結局入っていない。5枚目と6枚目はマセナ広場(Pace Masséna)にあるモニュメント。お仕置きでもくらっている所なのだろうか?7枚目は道路脇に植えられている花。1月でもそこかしこに花が植えられている。特にスウェーデンから来ると、こういう事に幸せを感じる。最後はセグウェイに乗って観光する人達。見ているとセグウェイは結構スピードが出るものの様である。


南仏旅行その16 城跡公園の人口滝

2012-01-14 14:52:24 | 旅行(フランス・ニース2012)
城跡公園を降りる時、少し歩くと人口の滝が現れる。この近辺は特に景色の良いところである。太陽光線が強いせいか、写真の様に滝の水しぶきの中に虹が見える。これは他の方のブログでも記載されているので、恐らく年中見られるものなのであろう。記念撮影をする人が目立った。



南仏旅行その15 城跡公園

2012-01-14 14:02:02 | 旅行(フランス・ニース2012)
観光地は何処でもそうだが、高台からの景色というのはどこも美しいものである。城跡からはニースの町、また城跡の反対側にある湾も一望できる。上写真と下の1番左はニースの湾、下左から2枚目は旧市街で、テントの屋根が並んでいるところがサレヤ広場、3枚目は反対側の湾の奥に見える山。雪に覆われている。4枚目と5枚目はその湾の光景。一体いくつのクルーザーが泊っているのだろうか。6枚目は反対側の半島の先端。豪邸らしきものがいくつか見える。7枚目は城跡公園の中にある子供用公園。かなり大きく、無料である。思えば防寒具を着せずに子供を思い切り遊ばせるというのは贅沢かも知れない。ただ遊んでいる子供たちを良く見ていると、3歳くらいの女の子でも綺麗なエナメルの靴を履いて毛皮らしきコートを着ていたりしており、太陽とは関係なく贅沢な人達とも思える。8枚目はエレベーターの出口(中央の建物の裏側に扉がある)。ちょっと狭いので、この部分だけは車いすの方、あるいは大き目のベビーカーを持った方などは少し苦労されるかもしれない。最後は石垣の上に咲く花で、1月なのにあちこちに咲いていた。


南仏旅行その14 城跡公園

2012-01-14 13:34:23 | 旅行(フランス・ニース2012)
散歩道をダラダラと城跡公園に向かって歩いてみる。散歩する人達の姿が多い。道は広くて平坦であり、年配の人や子供連れの人の姿も目立つ。やがて写真の光景が見えてくる。城跡公園である。これこそニース発祥の地である。最初に町が建設されたのはこの近辺なのだ。
良く目を凝らしてみると、下左の様に階段を登って城跡に向かう人も多い。ただ自分にはそこまでの体力は無いので、エレベーターを使う事にした。左から2枚目がエレベーターの入り口、3枚目は振り返ってみた海岸線の風景、4枚目はエレベーターに向かう通路、5枚目はエレベーターである。古いエレベーターらしく、時々手で扉を開けなくてはならない時があった。自分が行った時は無料だったが、年中ずっと無料なのかどうかは知らない。


南仏旅行その13 ニース10kmマラソン

2012-01-14 12:23:41 | 旅行(フランス・ニース2012)
ぼんやりと道を歩いていたら、どうも道路の陸側の方に人だかりが出来ている。何だろう?と思っていたら、マラソンの大集団が走って来た。10kmマラソンをやっている様である。真剣に走っているランナーもいるが、中にはシャンパンのかぶりものをしたり、乳母車を押しながら走っているランナーもいる。確かにここでマラソンというのは健康法として良いかも知れない。もっとも自分はウォーキングだけにしておくつもりであるが。


南仏旅行その12 プロムナード・デザングレ

2012-01-14 11:15:24 | 旅行(フランス・ニース2012)
朝起きる。どうも海沿いでもそこそこ乾燥しているらしく、喉に少しくる感じである。ただ旅行で疲れたのか、あるいは久し振りに太陽光線を大量に浴びたせいか、少し体調は良くなった気がする。
海岸通りに出てみる。この通りがプロムナード・デザングレ(Promenade des Anglas)、すなわち「イギリス人の散歩道」である。海が一望できる。美しい景色で、ぼんやり海を見ていても飽きない。見るとあちこちにベンチがあり、そこに座って本を読んでいたり、海を見ながら煙草を黙ってふかしている人などが見受けられる。最も正しいバカンスの使い方かも知れない。
下写真はいずれも海岸通りのもの。下左から海辺の景色を並べてみた。左から1枚目と2枚目は海岸におりての光景。ニースの海岸線は砂浜ではなく、小さな玉砂利の海岸である。最後から2枚目は1912年建設のネグレスコ・ホテル(Negresco Hotel)でこの近辺の最高級ホテル。ルーマニア人の実業家の名前に由来する。設計はパリのムーラン・ルージュを設計した建築家が担当した。最後の写真は2月に開かれるカーニバルの山車。今年のカーニバルは2月17日から開始らしいが、この時期にニースに来るのは無理そう。調べて頂ければ分かるが、ホテルの値段が半端無く上がるのである。


南仏旅行その11 夜の旧市街

2012-01-13 22:53:43 | 旅行(フランス・ニース2012)
海岸をフラフラした後、夜の旧市街を少し歩いて抜け、ホテルへと戻った。ニースの治安は悪くないと観光ガイドには書いてあるが、やはり日が落ちると若干人通りが減り、ちょっと怪しげな人が増えるのは間違いない。用心に越した事はなさそうである。
上写真は城跡公園の上に見える満月。クリスマス休みの名残なのか、まだ町のあちこちに電飾が残されている。適当に写真を並べてみた。



南仏旅行その10 地中海の夕日

2012-01-13 22:36:23 | 旅行(フランス・ニース2012)
結局小さな店に入ってダラダラと夕食を食べ、気付けばすっかり日が暮れかかっている。海岸沿いを歩いて見た。地中海に夕日が沈んでいき、実に美しい。思えばバルセロナは西側が山なので、夕日が海の方に沈んでいく形にはならなかったのだ。ニースの場合は水平線一帯が夕日に染まって行く。やがて日が落ちる。海岸沿いの道路は結構車の交通量が多く、遥か遠くまで続く道へ車が次々に走って行く。写真の様にこの道路の海側には椰子の木が並んでいる。このため遠くの道路を見ると、車のライトが椰子の木の間を抜ける度にチラチラとまたたく様に見えるのである。非常に小さな電飾が横一列に隙間なく並んでチカチカ光っている様な景色、と言えば良いだろうか。一見の価値ありの光景である。
思えば芸術家が集まったのもここの自然に惹かれて来たのである。ニースで最も見るべき観光名所はこの自然かも知れない。