工場内部を見学して見る。何と見学は無料だった。ただしガイドは英語である。興味深い展示が多いので、一回見てみることをお勧めする。
映画にも出てきた香水の蒸留装置が上である。映画でも「大量の花を蒸留して、得られる香水はほんの少し」という場面があったがこれは事実で、実際ある種のバラだと1㎏の香水を得るために3.5トンの花を必要とする事もあるとか。
下左1枚目の写真は香料の原材料当てテスト。上に並んでいる白い香料を原材料の写真の上に置きなさいというテストで、自分の正答率は5割であった。意外と難しい。ちなみに一番右上の写真はリコリスである。調香師という仕事についても説明された。特殊な学校に入学し、匂いの成分(1000種類以上)を全て記憶しなくては勤まらないとの由。風邪を引くのも厳禁で、なかなか大変な様だ。現在働いている調香師は殆どフリーランスで、必要に応じて企業と契約して香水の配合を作り出すそうだ。一匹狼で働けるのは良い点かも知れぬ。
内部では香水、石鹸、クリームなどを作っている。中には全日空の機内販売用の商品もあるとの由。工場内部には全体に人が少なめな印象であったが、これはまだ正月休みの影響だと言われた。
さて、無料で見学出来て良かった!と思っていたら最後はしっかり直売店に案内された。別に強制はされなかったが、大体の場合は元々そういう方向に興味のある人が見学に来ている訳で、多くの人は商品を買い入れて工場を出る。ちなみに宣伝パンフレットには右から2枚目写真の様に、しっかり日本語のものもあった。
最後の写真は工場を出た後に見えたエズの全景。バスに乗り、ニースに戻る。






映画にも出てきた香水の蒸留装置が上である。映画でも「大量の花を蒸留して、得られる香水はほんの少し」という場面があったがこれは事実で、実際ある種のバラだと1㎏の香水を得るために3.5トンの花を必要とする事もあるとか。
下左1枚目の写真は香料の原材料当てテスト。上に並んでいる白い香料を原材料の写真の上に置きなさいというテストで、自分の正答率は5割であった。意外と難しい。ちなみに一番右上の写真はリコリスである。調香師という仕事についても説明された。特殊な学校に入学し、匂いの成分(1000種類以上)を全て記憶しなくては勤まらないとの由。風邪を引くのも厳禁で、なかなか大変な様だ。現在働いている調香師は殆どフリーランスで、必要に応じて企業と契約して香水の配合を作り出すそうだ。一匹狼で働けるのは良い点かも知れぬ。
内部では香水、石鹸、クリームなどを作っている。中には全日空の機内販売用の商品もあるとの由。工場内部には全体に人が少なめな印象であったが、これはまだ正月休みの影響だと言われた。
さて、無料で見学出来て良かった!と思っていたら最後はしっかり直売店に案内された。別に強制はされなかったが、大体の場合は元々そういう方向に興味のある人が見学に来ている訳で、多くの人は商品を買い入れて工場を出る。ちなみに宣伝パンフレットには右から2枚目写真の様に、しっかり日本語のものもあった。
最後の写真は工場を出た後に見えたエズの全景。バスに乗り、ニースに戻る。







村から下りて歩けば工場はすぐである。大型バスでも出入りできる大きな入口で、建物までは結構歩く。
ここでフラゴナールについて少し。
Fragonard
南仏で香水と言えば、有名なのはカンヌ近郊のグラース(Grasse)という町である。映画が好きな方であれば、2007年に公開された「パフューム ある人殺しの物語」という映画を思い出されるかも知れない。個人的にはこの映画は中々好きなので、まだ見ていない方は是非一回ご覧あれ。
Wikipedia「パフューム ある人殺しの物語」
フラゴナールはグラースで生まれた会社である。いわゆる同族企業で、現在は4代目だという。グラースでフラゴナールというと、画家にもフラゴナール
Wikipedia「ジャン・オノレ・フラゴナール」
という人がいるのだが、彼はこの一族の一人だそうである。
下左写真は建物。ただしこちら側は出口で、入口は更にこの裏側である。入口に着くと下右の様に香水作りの機具が色々と並んでいる。


ここでフラゴナールについて少し。
Fragonard
南仏で香水と言えば、有名なのはカンヌ近郊のグラース(Grasse)という町である。映画が好きな方であれば、2007年に公開された「パフューム ある人殺しの物語」という映画を思い出されるかも知れない。個人的にはこの映画は中々好きなので、まだ見ていない方は是非一回ご覧あれ。
Wikipedia「パフューム ある人殺しの物語」
フラゴナールはグラースで生まれた会社である。いわゆる同族企業で、現在は4代目だという。グラースでフラゴナールというと、画家にもフラゴナール
Wikipedia「ジャン・オノレ・フラゴナール」
という人がいるのだが、彼はこの一族の一人だそうである。
下左写真は建物。ただしこちら側は出口で、入口は更にこの裏側である。入口に着くと下右の様に香水作りの機具が色々と並んでいる。


ようやく来たバスに乗り20分ほど。坂道や崖路を走ったあと、バスはエズに到着する。途中の山の上にも時々家が見受けられた。
鷲の巣村について少し。中世に現れたサラセン海賊の侵攻に対し、攻められにくい様に山の上に村を築いたのが始まりである。サラセン海賊って?というと、中世に出現したイスラム教徒の海賊達の総称で、実際にはアラブ人、ムーア人、ベルベル人などがごっちゃになった概念の様である。この頃--今でもだが--イスラム世界との接触はヨーロッパにとって一大重大事であった。何となればこの時代にはイスラム教徒の方が文化的にも軍事的にも先進国だったのだ。一時はスペインの殆ど全土、そしてフランスも南部の一部がイスラム教国家の勢力下に入っていた。この近辺は最前線だったのである。
山頂に村を築けば、まず下からは村の様子が良く見えないが、村の方からは敵の様子が良く見える。次いで道を狭く作れば大軍を展開するのが難しい。さらに路地を複雑に入り組んで作れば敵は道に迷いやすくなる。今観光地として風情を醸し出している風景は、いずれも戦術的に理に叶ったものだったのである。実際鷲の巣村の中には、後に第二次世界大戦時にレジスタンス活動にも参加した村もある。
まず、麓から山を見上げて見る。確かに下からは村を全部見渡すのは難しい。教会がそびえているのだけは下からでも眼につく。
鷲の巣村について少し。中世に現れたサラセン海賊の侵攻に対し、攻められにくい様に山の上に村を築いたのが始まりである。サラセン海賊って?というと、中世に出現したイスラム教徒の海賊達の総称で、実際にはアラブ人、ムーア人、ベルベル人などがごっちゃになった概念の様である。この頃--今でもだが--イスラム世界との接触はヨーロッパにとって一大重大事であった。何となればこの時代にはイスラム教徒の方が文化的にも軍事的にも先進国だったのだ。一時はスペインの殆ど全土、そしてフランスも南部の一部がイスラム教国家の勢力下に入っていた。この近辺は最前線だったのである。
山頂に村を築けば、まず下からは村の様子が良く見えないが、村の方からは敵の様子が良く見える。次いで道を狭く作れば大軍を展開するのが難しい。さらに路地を複雑に入り組んで作れば敵は道に迷いやすくなる。今観光地として風情を醸し出している風景は、いずれも戦術的に理に叶ったものだったのである。実際鷲の巣村の中には、後に第二次世界大戦時にレジスタンス活動にも参加した村もある。
まず、麓から山を見上げて見る。確かに下からは村を全部見渡すのは難しい。教会がそびえているのだけは下からでも眼につく。
翌日に行こうと思い立ったのはエズ(Eze)である。中世に山の上に築かれた「鷲の巣村」という村らしく、景色が抜群らしい。しかもニースからはバスでせいぜい20分だという。何はともあれ高い場所からの景色というのは何処でも一見の価値はありそうである。
最初に紹介した旧市街近くのガリバルディ広場
南仏旅行その3
に向かう。この広場から少し行ったところ--その3の写真で言えば、ガリバルディの像の背中側の通りを少し左奥の方角に向かった場所--にバス停がある。82番と書かれたバスと112番のバスが向かう筈である。
しかし82番のバスの時刻表は写真の通り。1時間に1本ペースである。112番のバスに至っては更に本数が少ない。時刻表を見るとあと20分くらい待てばバスが来るらしい。。ので待つ事にした。しかし待てど暮らせどバスは来ない。仕方なくバス停で待っているうちに同じくエズに行くという旅行者の女性と知り合った。しかし待っているうちに彼女もイライラし始める。「どうなっているの!カモーン!!!」。結局待つ事30分以上、ようやくバスが現れる。ふと以前ロシア人から聞いたエピソードを思い出した。
イタリアの話
ニースもイタリア文化圏の影響が強い町という事を考えると、我々はまだまだ修行が足りないらしい。
最初に紹介した旧市街近くのガリバルディ広場
南仏旅行その3
に向かう。この広場から少し行ったところ--その3の写真で言えば、ガリバルディの像の背中側の通りを少し左奥の方角に向かった場所--にバス停がある。82番と書かれたバスと112番のバスが向かう筈である。
しかし82番のバスの時刻表は写真の通り。1時間に1本ペースである。112番のバスに至っては更に本数が少ない。時刻表を見るとあと20分くらい待てばバスが来るらしい。。ので待つ事にした。しかし待てど暮らせどバスは来ない。仕方なくバス停で待っているうちに同じくエズに行くという旅行者の女性と知り合った。しかし待っているうちに彼女もイライラし始める。「どうなっているの!カモーン!!!」。結局待つ事30分以上、ようやくバスが現れる。ふと以前ロシア人から聞いたエピソードを思い出した。
イタリアの話
ニースもイタリア文化圏の影響が強い町という事を考えると、我々はまだまだ修行が足りないらしい。
モナコからニースに電車で戻る。もう日が暮れかかっている。とはいえ日照時間はスウェーデンとは比較にならないが。。中央駅から市街を歩いてホテルへと向かう。
上写真と下左から1枚目:ノートルダム大聖堂(La Basilique Notre-Dame)。ニース最大の教会である。これはニースがフランスに帰属してから建設されたもの。確かに見ていても雰囲気が旧市街の教会とは少し違う。
2枚目:スーパーマーケット、モノプリ(Monoprix)。昨年のパリ旅行でもあちこちで見かけた。ちょっと高級な部類に属するスーパーマーケットである。ここでも色々買い入れてみたが、それはまた後日アップしたい。
3枚目:スウェーデンでもベルギーでもスペインでもモナコでもお寿司屋さんを見かけたが、もちろんニースにも寿司屋はしっかりある。スウェーデンと比べてどっちが日本の味に近いのかは不明。
4~6枚目:先日「お仕置きでも受けているのか?」と思ったマセナ広場のモニュメントであるが、夜になると発光する事が判明した。しかも見ていると少しずつ色が変わって行くのである。中々面白い。
ホテルに着けばすっかり夜である。疲れたので早めに休み、明日に備える。





上写真と下左から1枚目:ノートルダム大聖堂(La Basilique Notre-Dame)。ニース最大の教会である。これはニースがフランスに帰属してから建設されたもの。確かに見ていても雰囲気が旧市街の教会とは少し違う。
2枚目:スーパーマーケット、モノプリ(Monoprix)。昨年のパリ旅行でもあちこちで見かけた。ちょっと高級な部類に属するスーパーマーケットである。ここでも色々買い入れてみたが、それはまた後日アップしたい。
3枚目:スウェーデンでもベルギーでもスペインでもモナコでもお寿司屋さんを見かけたが、もちろんニースにも寿司屋はしっかりある。スウェーデンと比べてどっちが日本の味に近いのかは不明。
4~6枚目:先日「お仕置きでも受けているのか?」と思ったマセナ広場のモニュメントであるが、夜になると発光する事が判明した。しかも見ていると少しずつ色が変わって行くのである。中々面白い。
ホテルに着けばすっかり夜である。疲れたので早めに休み、明日に備える。





