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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

オランダ旅行その21 ダム広場周辺

2013-05-05 11:32:03 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
中華料理を腹に詰め込んだあとダム広場に戻る。上写真は王宮(Koninklijk Paleis)で、オランダ王室の迎賓館である。そう言えば最近日本の皇太子殿下ご夫妻もオランダに行かれた様であるが、この建物にも訪れられたのであろうか。
その広場を挟んで反対側にあるのが戦没者慰霊塔(下左写真)である。これまでオランダのために戦って戦死した人を祀ってある。もちろん隣国ドイツの戦闘での人もいるが、日本軍との戦闘で戦死した人も含まれている事は知っておく必要がある。第二次世界大戦時、日本軍はオランダ植民地のインドネシアを攻略、陸海軍ともオランダ軍と戦っているのだ。オランダ極東艦隊の司令官・ドールマン少将は乗艦に日本海軍の魚雷攻撃を受けて戦死、その名前は戦後にオランダ軍の軍艦の名前に冠されている。
Wikipedia「カレル・ドールマン」
Wikipedia「カレル・ドールマン (フリゲート)」
さて、この段階でまだ時間は午後3時頃。どうしたものか今後の計画を考える。ひとまずトラムに乗って中央駅に向かった。


オランダ旅行その20 中華料理

2013-05-03 22:10:56 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
オランダと来るとコロッケの原型と言われる「クロケット(kroket)」あるいは「ハーリング(Soused herring)」という生ニシンなどの名物料理があるのだが、
Wikipedia「ハーリング (料理)」
ダム広場から見渡してみると下左から2枚目の如し。中華料理、インド料理、さらに何故かアルゼンチン料理などの店がひしめき合い、オランダ伝統料理などほとんど見かけないのだ。どこか良い店はないものか。。と歩いて行くと発見したのがこちら、「海城大酒楼(英語名:Oriental City)」と書いてある建物である。こちらはネットでも名前を見かけるレストランなので、訪れてみた。
1階と2階両方にレストランがあるのだが、残念ながら2階の方は長蛇の列で、1階の方に入ってみる。上写真の通り「福臨門食家(英語名:Golden Chopsticks)」というレストランである。味の方は中々。薄味で日本人の舌にも合う。チャーハンは普通に日本の中華料理店で出てきそうな味である。
下写真は一番左がダム広場(左の白い塔が戦没者慰霊塔、奥が王宮)、3枚目が海城大酒楼の建物の外見、4枚目は牛肉入り麺、5枚目がチャーハンである。


オランダ旅行その19 飾り窓地区

2013-05-02 22:39:44 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
後で調べて知ったのであるが、この裏道は既にいわゆる「飾り窓地区」の一部であったのだ。明らかに風態が微妙な人の数が増えて来る。そして店の方もいささか微妙である。下の様な商品を扱う店が昼間から普通に営業しているし、また大麻と思われる商品を扱う店も多い。「アイスクリーム、コカの葉入り」などの宣伝を窓に張っているカフェが普通にあるのだ。皆様御存じとは思うがオランダは「ソフトドラッグ」と呼ばれる薬については少なくとも「訴追されない」のである。ただし「ハードドラッグ」と呼ばれる薬物に関してはむしろ取り締まりは厳しいともいう。詳細は以下を参照あれ。ちなみに北欧ではデンマークのコペンハーゲンが同様の政策の導入を検討中であるという。
Wikipedia「オランダの薬物政策」
http://www.thelocal.se/44584/20121122/
しばらく歩くとダム広場である。さてどこで食事をしたものか。





オランダ旅行その18 アムステルダム旧市街

2013-05-01 22:26:50 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
船から降りるともうお昼である。調べると旧市街の中心、ダム広場(de Dam)の付近にはレストランが多いようだ。大通りを進んでも良かったのだが少し近道を進もうと1本裏の道に入ってダム広場に向かってみた。もっとも大通りと比べるとちと風紀が今一つ悪い気もしたが。。。さて如何に。

オランダ旅行その17 運河観光船

2013-04-30 22:50:01 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さて、世界遺産にも指定されたアムステルダムの運河である。とりあえず写真をペタペタと並べてみたい。上写真は橋が遠くまで並んでいる様に見える有名な撮影スポット。左から2‐4枚目はハウスボート。人口過密に陥ったアムステルダムで運河の上で暮らす事が考えられた訳で、当初は違法だったのだという。左から7枚目がマヘレの跳ね橋(Magere Brug)である。ただし写真ではよく写っていないが、水の方は余り綺麗とは言い難い。結構ゴミなどがプカプカ浮いているのだ。夜景の方が綺麗に見えるのかも。
Wikipedia「アムステルダムの運河」
Wikipedia「マヘレの跳ね橋」


オランダ旅行その16 運河観光船

2013-04-29 23:07:43 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
美術館の後トラムに乗って中央駅に出る。中央駅から程近く、観光船の乗り場があるのだ。ベルギーのブルージュもそうだが、水の多い町は船から一回見てみたいものである。
ベルギー旅行その37 ブルージュ
ベルギー旅行その45 ブルージュ運河巡り
ベルギー旅行その46 ブルージュ運河巡り
ベルギー旅行その47 ブルージュ運河巡り
船はどれも背が低く作られている。乗ってみると理由が分かる。橋などが恐ろしく低く作られているのだ。下一番右の写真を見ると、橋の高さは0.5mしかないようだ。実際背の低い船でちょうど良いくらいの高さである。橋の下を幾つか抜けて町の方角に船は向かう。


オランダ旅行その15 エルミタージュ美術館別館(ゴッホ美術館)

2013-04-29 00:06:59 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さてさて、もし皆様の身内の一人が若いころに教師・牧師などの複数の職を渡り歩いたがいずれも解雇され、28歳にして突然「プロの画家になりたい」と言いだしたら如何思われるであろうか?しかもそれまで画家として受けたトレーニングもアマチュアでの実績も皆無、油絵具を初めて手にして興奮していると言う状況である。恐らくであるが--皆様の大半の方は反対されるのではあるまいか。「本当にプロになる人って言うのは、アマチュアで十分な実績を残してからやるものだよ!」くらいの事は言うのではあるまいか。自分ももし自分の子供がそう言い出したら反対すると思う。
その人物こそがビンセント・ファン・ゴッホその人である。実際彼の初期の作品も展示されているが、見てみると本当に絵がたどたどしいのである。素人目にも中学生くらいの絵に見える。また金銭的にも困っていたのか、紙に油絵で絵を描き、それを板に打ち付けたという作品もある。後年あちこちの絵の学校には入るものの、実際にはあちこちの美術館や友人の絵を見て作風を確立して行った様である。彼は絵を描く事を最後まで「study(修練、とでも訳すべきであろうか?)」と呼び、ミレーなどの絵の模写も盛んに行っている。面白いのは日本の浮世絵も模写している事で、絵の脇にある漢字まで模写している。
Wikipedia「フィンセント・ファン・ゴッホ」
Wikipedia「ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)」
皆様も御存じとは思うが生前の彼は金銭的に報われる事はなく、終生経済的困難が付きまとった。生前に売れた絵はたった1枚だけ、弟テオの援助が無くては絵具代もままならなかった。最後は精神病にも苦しみ、謎のピストル自殺で37歳の人生を終える。彼が有名になったのは死後、義理の妹ヨハンナの尽力による部分が多い。それでもかなりの作品は散逸しており、行方知れずの作品も多いそうである。
Wikipedia「ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル」
人生とは難しいものである。ただ28歳で初めて絵具を触った人間が37歳で死去するまでに20世紀屈指の画家となった訳で、人生に絶対不可能なものはない、信じるものがあるなら一回きりの人生、突き進む事はありだと言う事を教えてくれる。写真はアムステルダム市内を走る観光バスの後部。

オランダ旅行その14 エルミタージュ美術館別館(ゴッホ美術館)

2013-04-27 22:48:29 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さて翌朝目が覚めて。向かう先はエルミタージュ美術館別館である。こちら、ロシアのエルミタージュ美術館の別館なのであるが、今回のお目当てはゴッホ美術館である。本来は市内の別の場所にゴッホ美術館(Van Gogh Museum)があるのであるが改装中で、昨年の9月から今年の4月25日(ごく最近までである!)までこのエルミタージュ美術館別館でゴッホ美術館の絵を展示していたのだ。
Wikipedia「ゴッホ美術館」
この時2月であったが、やはりオランダの方がスウェーデンより暖かいことは確かのようだ。建物は四角形で中央が中庭なのだが、そこにクロッカスやスノードロップが咲いていた。写真の通り、入口から右に入るとゴッホ美術館であった。
クロッカス
スノードロップ


オランダ旅行その13 路面電車と夜の市街

2013-04-26 22:58:28 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
ザーンセ・スカンスからアムステルダム中央駅に戻る。既に夕方である。ロッカーの荷物を取り、路面電車に乗ってホテルを目指す。
路面電車は2人乗りであった。一人は運転手で、もう一人は車掌である。乗りこむ時は車両の中で開くドアは一つだけ、そこから乗ると下一番右写真の如く車両の中に窓口があり、中にいる車掌から切符が買える様になっている。車内で買えるのは一回券のみ。ちなみに駅の近く、観光案内所の隣にGVB社(アムステルダム市営交通会社)のオフィスがあるので、ここで24時間券なども買う事が出来る。
Wikipedia「アムステルダム市営交通会社」
Wikipedia「トラム (アムステルダム)」
トラムの窓から暮れゆくアムステルダムの街並みが見える。下左から3枚目はムント塔(Munttoren)。右から2枚目はトラムの切符である。
Wikipedia「ムント塔」


オランダ旅行その12 ザーンセ・スカンス

2013-04-25 23:40:52 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
内部では木靴の政策を実演して見せてくれる。こちら中々効率的と言うか、前に作った靴の形をなぞって木の塊から新しい靴を削り出す機械があるのである。これが伝統の製法なのだと言う。上写真に2本の鉄の棒を並行に揃えた機械が見えるであろうか?この鉄の棒の片方を前の靴の内部に突っ込み、もう一方を新しい木の塊に突っ込むのである。こうして古い木靴をなぞって行くと、木の塊から新しい靴が出来あがる訳である。内部では今でも靴を大量に販売している。見ていても楽しかった。
冬場と言う事もあって他には余り開いている店が無かったが、チーズを製造している店も開いてはいたので寄ってみた。ただこちらは製法の説明などは無しである。ちょっと寄ってみたがチーズは買わずに帰った。来た道を戻り、駅からアムステルダム中央駅に帰る。
下写真は左から3枚が木靴の店、そこからさらに3枚がチーズの店。最後は駅で通過して行った電車である(乗ったのは行きと同じタイプの電車である)