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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

オランダ旅行その11 ザーンセ・スカンス

2013-04-24 00:27:15 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
この野外博物館、少し離れた位置にバスターミナルがあり、その近くに博物館があるのであるが、今回はこちらはパスした。その代りちょっと訪れてみたのがこちら、土産物店兼木靴屋さんである。木靴に関する展示などもあった。
木靴について少し。低湿地帯のオランダの大地で過ごすために開発されたもので、その起源は12世紀にも遡る。実際に手で持ち上げてみると、思ったよりも軽いものである。丈夫で衝撃にも強く、現在でも工場で使用されることがあるのだそうである。一部地域では結婚式用に非常に凝った細工を施す事もあるらしい。ちなみに現在の日本語でも使われる「サボタージュ」「サボる」の「サボ」は「木靴」の意味である。木靴で機械を蹴飛ばして壊したからだとか。
Wikipedia「サボる」
下写真は左から建物外部、2枚目以降は内部の展示である。右から2枚目が結婚式用の木靴。


オランダ旅行その10 ザーンセ・スカンス

2013-04-21 23:05:03 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
内部では実際に木を切って見せてくれていた。丸太を鋸を並べた中に通して行って板にし、それを更に横倒しにして板の両端を切りそろえて行く。最初は新しく作ったなら電動で動いているのか?と思っていたのであるが、本当に100%風力で動いているようだ。ちなみに風車の上部は風向きに合わせて旋回出来る様になっているし、風量に合わせて羽根に布を張ったりして回転速度を調整したりも出来る。巨大な木製構造物だが、実に精巧な仕掛けなのである。また低地の排水をする時、1基の風車では排水しきれない程低い場所にある土地では風車を何台か並べ、段階的に水を排水して行くという手も使ったそうだ。決して自然条件に恵まれない国であるが、昔の人の創意工夫というのは大変なものだったと感心させられる。
風車は前述の如く9000基を数えて産業の一大原動力となっていたのであるが、蒸気、石油を原料とした機関の発達と共に姿を消して行く。風車の大敵は意外かも知れないが落雷だったのである。落雷を受けて破壊されると、そのまま再建されない、というケースが目立ち始め、現在は総数1000基に達するかどうかというところらしい。そのため国も今は積極的に保護に乗り出しているようだ。
下写真は左から1・2枚目は上下する鋸、3枚目は模型図、4枚目は作業する人達である。


オランダ旅行その9 ザーンセ・スカンス

2013-04-21 18:29:59 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
人影が見えた風車はこちら。入口で料金を払うと中に入れる。最初にビデオ室に通されてビデオを見せてもらえる。外が寒くて仕方なかったのでビデオ中にホットチョコも頼んだ。クリームたっぷりで少し暖まる。ビデオによるとJonge Schaap(若い羊)と言うのがこちらの名前らしい。昔から保存された風車ではなく、2007年に風車の保存協会によって昔のままに復元されたものの様である。
風車について少し。オランダの風車の歴史は12世紀にまでさかのぼる。その用途は色々で、粉ひき、スパイスのすり潰し、排水に加えて更には板の鋸びき、油絞りなどにも使用された。全盛期には9000基を超える風車が全土にあったと言う。
ビデオの後風車に入る。2007年作とあって、建物内部には身障者用のエレベーターも設置などの配慮も見られる。こちらの風車はソーミルと言って、丸太を鋸で引いて板にする風車である。上写真が風車の全景、下左から1枚目がビデオ、2枚目がホットチョコ、3枚目が風車内部の紙、4枚目が身障者用のエレベーター、5枚目が鋸(鋸の部分が上下する)、6枚目中央上に見えるのがカムのついた歯車で、風車の力を受けてわずかずつ回って行き、それに伴ってロープが少しずつ引っ張られて丸太が鋸に向かって引き寄せられていく仕掛けである。


オランダ旅行その8 ザーンセ・スカンス

2013-04-20 16:37:42 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
恐らくここに観光に来るのに2月と言うのはベストシーズンではなかったのであろう。兎に角風が強くて寒いのである。見ると用水路などは凍りついていて、氷の上を鳥がヨチヨチ歩いている。橋を渡り終えた辺りには可愛らしい建物が並んでおり、どうやらレストランや土産物屋らしいのだが、7割以上は閉店している印象である。恐らく4月の今頃ならもっと賑やかなのであろう。
川辺の土手道をひたすら風車に向かって歩くのであるが、行けども行けどもどの風車も「まだ休業中」らしく中に入る事は出来ない。益々風は強くなり寒いことこの上無い。「もう帰ろうか。。」と考え始めた頃、一つの風車の建物の中に人影を発見した。どうやらここは開いているらしい。
下左は閉店中の店、中央は凍りついた用水路、右と上写真はまだ閉まっていた風車である。


オランダ旅行その6 ザーンセ・スカンス

2013-04-18 21:36:45 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
Koog-Zaandijk駅までは乗り換えなしで電車1本である。ただ駅にはエレベーターが無いので車いすやベビーカーをお持ちの方は少し困るかも知れない。駅にはZaanse scansの標識が出ているので、それに沿って歩かれれば良いと思う。ただどういう訳か、駅の近くの工場らしき建物から異臭が漂って来て困った。
最初に一基、上写真の大きな風車が見えるが残念ながら内部には入れない。更に歩くと川が見え、橋(可動橋である)を渡る。橋から風車が岸に沿って並んでいる光景が見え、これはそれなりに絵になる。下写真は左から順に、駅から下りた直後の光景、歩くと見えて来る最初の風車、その風車を橋の方向から撮った写真、風車の内側、橋の上から見える風車の列である。


オランダ旅行その5 ザーンセ・スカンスへ

2013-04-02 23:13:18 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さて、中央駅からザーンセ・スカンスに向かう。電車で乗り換えなしで行ける。行き先は下一番左写真にあるKoog-Zaandijk駅である。上写真が乗った電車。
ちなみに荷物をもって移動する方の為に情報である。アムステルダム中央駅にはコインロッカーが存在する。2013年2月現在で利用可能時間は午前7:00から午後10:45まで、料金は小のロッカーで3.18ユーロ、大のロッカーで4.08ユーロである。料金の支払いはクレジットカードのみ、また利用に当たってはカードの4ケタの暗証番号を打ちこむ必要がある。位置は1階の端(「オランダ旅行その2」の写真で右側)で、改札口を通った内側である。何かの参考になれば幸いである。


オランダ旅行その4

2013-04-02 22:01:33 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
町を少し歩いてみると、表示が結構理解できる。以前オランダ人が「スウェーデン語とオランダ語、ドイツ語は全部喋れたとしても全然偉くはないよ!」と謙遜していたのだが、確かにある面真理である。写真はアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)の入り口なのであるが、「入口」がオランダ語で「ingang」と書かれている。こちらスウェーデン語ではingångなのである。他にも類似例は事欠かない。
オランダとくれば平均身長の高い白人というイメージがあるが、実際にアムステルダムの街を歩くと黒人やアジア系の姿がかなり数多い。ウィキペディアによるとアムステルダムの全人口の50%は移民なのだという。オランダは昔から宗教面では寛容で、かつての黄金時代も宗教的寛容さを頼って移住したユダヤ商人たちが大きく貢献した(スペインではカトリックへの改宗が義務であった)のだと言う。現時点でオランダの全人口の11%が海外生まれなのだそうである。もっともこちらもスウェーデン同様、良い事ばかりではないようだ。
Wikipedia「Demographics of the Netherlands(Migration and ethnicity)」
さて、せっかく来たのであるからオランダの典型的風景である風車を見に行くことにする。オランダの風車で有名なのは世界遺産にも指定されているキンデルダイク(Kinderdijk)であるが、こちらアムステルダムからはちと遠い。代わりに行ってみたのがザーンセ・スカンス(Zaanse Schans)である。
Wikipedia「キンデルダイク」
Wikipedia「Zaanse Schans」

オランダ旅行その3

2013-03-31 21:22:06 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
上は中央駅の前の通りの建物、下はホテルの窓からの景色である。古い街並みであるがスウェーデンの都市などと比べると正直「何やら落ち着かない」街並みである。アムステルダムは17世紀には凄まじい人口過密に陥ったため、人々は狭い地域に猛烈な勢いで家を建て増していったのだ。街並みを見るとまず家が異常なまでに縦に細長い。また良く見ると建物が左右対称でなく、下手をすると窓や床が地面と水平になっていない物も見受けられるのだ。
「その2」からの続き。オランダが「恵まれた国」と言い難い理由の2つ目はその地理的条件による。島国の日本からは中々に想像がつかないが、オランダは何と言っても周囲と地続きの上、交通の要衝に位置しているのである。独立以来何度も戦争をくぐり抜けて来た歴史を持つ。特に隣国のドイツには第二次世界大戦で攻撃・占領され現在でもオランダの対独感情は極めて悪い。ベアトリクス女王の夫君はドイツ人(故人)であるが、2人の結婚式の時にはデモ隊が押し寄せ爆弾まで投げ込まれたという。
Wikipedia「クラウス・フォン・アムスベルク」
しかしこれだけ悪条件が揃っていても17世紀には世界でも屈指の強国として君臨していたのであるから大したものである。航海術に長けたオランダ人はインド、インドネシアなど東アジア地域での植民地政策で成功し、17世紀前半には「オランダ海上帝国」と呼ばれる黄金時代を迎えていたのである。日本との交易もこの頃の出来事であり、日本の事物の紹介で有名になったシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)もオランダの商館医であった。
Wikipedia「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」
それ程「豊か」とは言い難い国土を持つ国が列強と伍していくためにはしたたかな戦略が必要である。良くオランダの国民性として「合理性と個人主義」と称されるが、「合理性」を他国から見た時の評価はどうも「ケチ」であるらしい。英語でgo Dutchと言えば「割り勘で行く」の意である。


オランダ旅行その2

2013-03-31 20:35:24 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
電車に乗り到着したのが上写真の中央駅である。古くて美しい建物である。一説には東京駅のモデルとも言われるが、時期的に合わないという意見もあり、真偽の程ははっきりしない。
さて、オランダである。皆様はオランダと言えば風車と木靴とチューリップの国、のどかな風景が広がる国、というイメージを何となくお持ちではなかろうか?あるいは江戸時代の「解体新書」を始めとする「蘭学」、日本と古くから縁のある先進国のイメージがあるかもしれない。確かにいずれも正しい。しかし冷静にこの国の国土を見た時、正直「恵まれた国」とは言い難いと言える。
理由の第一はその気候風土である。英語でオランダは一般的に「Netherland(ネザ-ランド)」と呼ばれるがこれは元来「低地の地方」という意味である。現在オランダ国土の4分の1が海面より低地にある事は有名である。オランダのイメージで語られる上記3つも、水車は溜まった水を排水するため、木靴は水浸しの土地を歩くために開発されたものにほかならぬ。土地が低いことに加えて雨も非常に多い地域であり、昔から洪水との闘いは日常茶飯事であったのだ。オランダ旅行の前にオランダ人に「オランダはどう?」と聞いた事があるが「良いところだけど天気と食べ物は期待しない方が良いよ」との返事であった。(それでも食べ物は現在住んでいる国に比べると(以下略))