『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

環境問題入り口に 『フクロウはだれの名を呼ぶ』

2017-01-21 06:30:25 | アメリカ文学



『フクロウはだれの名を呼ぶ』 ジーン・クレイグヘッド・ジョージ作 千葉茂樹訳 あすなろ書房 
1995年(原書初版)2001年(翻訳初版)156頁


環境問題入門書としても。とても読みやすく、自然保護派VS林業で生計を立ててる人の葛藤を分かりやすく描いてくれています。

≪『フクロウはだれの名を呼ぶ』あらすじ≫
舞台はアメリカ北西部の原生林。絶滅の危機に瀕していたマダラフクロウの保護のため、林業に携わってた人たちが職を失ってしまう。フクロウへの殺意をいだいた少年は、ライフルを手に、深い森へと入っていくが、逆にフクロウのヒナを救ってしまい、家で保護することに・・・。フクロウを憎んでいたはずの父親も、無職で暇なこともあり次第にフクロウにのめりこんでいく。アメリカ北西部の原生林を舞台に、ナチュラリスト作家が贈る、自然と人間の共生の物語。


人って職を失うと心もすさんでいく・・・きれい事じゃすまないんだなあ。自然保護派の理科の先生と主人公のお父さんが殴り合いのケンカになってしまうところなど、どちらの立場も分かるだけにもうどうしたらいいの、と。「人間よりもフクロウの方が大事なのか!」と叫ぶボーデン。前半はフクロウへの憎しみでいっぱいで殺伐としていますが、フクロウへ情が移る後半はほっこり。でも、全体を通して言えば問題提起の物語であり、この表紙絵はちょっとイメージ違うかなあ。フクロウの赤ちゃんを可愛くて愛しいものとして描いてはいるけれど、この表紙のほのぼの系イメージは違う気がする。ちなみに原書の表紙はこんな感じ↓



作者のジーン・クレイグヘッド・ジョージは『ぼくだけの山の家』を書いた人だったんですね。



こちらの本、ほかに優先させたい本が山積みだったこともあり、最後まで読めず挫折した本でした
なんだろ・・・『フクロウはだれの名を呼ぶ』も物語としては読みやすいし、面白いんです。ナルホド課題図書にぴったりで、読書感想文コンクール(中学生の部)の課題図書にもなってますね。環境問題を自分なりに考えるいいきっかけをくれる本ではあります。
でも・・・「さあ、みんな考えてみて。感じてみて」という作者の思いが見え隠れすると、個人的にはちょっとだけ冷めてしまうんだな。実際にはこんなうまくことは運ばないよなあ、なんて思いもよぎったり。いい物語だと心で感じるより、頭で思ってる感じ

とはいえ、“森は海の恋人”と言われるように、森の木がなければ川も海もダメになる、ひいては人間もダメになる、っていう“つながり”を分かりやすく教えてくれるいい物語です。そうか、目でとらえるより音で獲物をとらえるのかあ、とかフクロウの生態も少し身近になる♪
読書好きの子だったら小学校中学年からいけそうな本なので、親子で読んで、一緒にこの問題について考えてみる時間もいいかも


お狸さま我が家に現る

2017-01-20 21:25:55 | 日本文学


『おきんとおたぬきさま』筒井敬介作 若葉珪画 小学館


一昨日、かわいいかわいいお客さまと遭遇。まだ真っ暗な明け方、玄関を開けてみればそこには、お狸さまが~
しまい忘れていた宅配BOXの中のパン(上の段のBOXをどけ、真ん中の段にあったもの!)を食べていらっしゃいまして、目があってハッ!逃げるどころか固まるタヌキ。しばらく見つめ合ってしまいました。くうぅ~、かわいすぎる。最近はリスも毎日のように家のウッドデッキを駆け抜けていくのですが、これらのリスは台湾リスで駆除の対象。だけど、だけど、かわいいんだなあ。やっぱりかわいいって得♪見た目重要(笑)。

そんなお狸さまが出てくるけれど、ちょっとかわいくない狸(笑)のお話が上記の絵本。置いていない図書館も多いかな
働けど働けど貧しい母娘がお供えするご馳走で、怠けて暮らしていた狸の一家。ある日その真相を知ってしまった、おきんは納得がいかない。最後は爽快です

一方、かわいい狸ちゃんたちが出てきて、ほっこりするのはこちらのお話↓



『遠い野ばらの村』安房直子著 味戸ケイコ画 偕成社文庫(ちくま文庫もあり)


安房直子さんの童話は物悲しいものが多いのですが、これは一抹の切なさはありながらも、ほっこり。表紙絵がちょっと心霊チックですが
谷間の小さな村で雑貨屋さんを営んでいるおばあさん。身よりがないのだけれど、遠い村には息子がいて、孫が三人いてと空想で話しているうちに、本当に彼らが存在すると思うようになってくるんですね。そしたら、本当に孫が現れるんです!お父さん(おばあさんの息子)が作ったという野ばら堂の石けんをたくさん抱えて。孫の正体は子狸ちゃんたちなのですが、『おきんとおたぬきさま』に出てくる甘えん坊の子どもたちと違って、恥ずかしがり屋でとおっても愛おしいの。心の中にポッと明りが灯る、そんなお話です

ほかにもすうっとあちらの国へ行ってしまう、美しくてちょっぴり切ないお話が何篇か入っています。安房直子さんの童話は大人こそ胸に響くものがあるなあ、と毎回思うのでした

酉年に 『三千と一羽がうたう卵の歌』

2017-01-19 06:11:49 | アメリカ文学


『三千と一羽がうたう卵の歌』ジョン・カウリー著 デヴィッド・エリオット絵 杉田七重訳 192頁
2008年(原書初版)・2014年(翻訳初版)・小学校中級~


ニワトリって個人的には何かちょっと怖くって(追っかけてこられるイメージ!?)、ニワトリが出てくる話は興味わかなかったんです。でも、酉年だからか、図書館で「さあ、読んでください!」といわんばかりに目立つように置いてあって、そのアピールに応えて読んでみました

≪『三千と一羽がうたう卵の歌』あらすじ≫
丘の上の養鶏場に暮らすジョシュのペットはメンドリのセモリナ。人間の言葉をしゃべるといってもだれも信じてくれないのは、セモリアが口をきくのはジョシュだけだったから。ビールがすきで、おこりっぽくて、おしゃれな老メンドリが語る生命の神秘と、新たな命の誕生をむかえる少年と家族の物語。(BOOKデータベースよりそのまま転載)

農場暮らしは『シャーロットのおくりもの』を思い出します。主人公ジョシュの家は養鶏場だからニワトリしかいないのだけれど

【ココがポイント】
・子どもに安心して手渡せる児童書(まあ、大人にはちょっと物足りなくもあるのだけれど・・・ボソッ
・ビール好きなメンドリがユーモラスで飽きさせない!(個人的にはちょっとイラっともするけど
・メンドリの視点からの生命の話が、人間中心でなくてイイ
・主人公のジョシュが、キツネ側に立っても物事を考えられるのがイイ
・三千と一羽がうたう場面が圧巻!


ジョシュのお母さんは合併症で、赤ん坊が生まれるまで入院しています。命が生まれるって奇跡なんだなあ。命がテーマの本なのだけれど、実は個人的にはそこはあまり引っかかってこなくて。個人的には、主人公が10歳くらいの年で、本物のエンジン付きのボートを作り上げてしまうところに目がハートになりました。好きなことを極めるって素敵、そして、極められる環境が素敵すぎー

ちなみに、この物語にもおばあちゃんが出てくるのですが、これが現代の子離れできない、過干渉タイプのいや~なおばあちゃんでして。娘のほうが大人で、ハイハイ、と聞き流している感じ。最後のほうには、実はおばあちゃんもいいじゃない!とはなるのですが、ジョシュが「どうしておばあちゃんはああなのか、もっとお母さん(娘)に優しくしてあげればいいのに」、と不満をぶつけたときの父親の返答がいいんですねえ

「やさしさっていうのは、ひととおりじゃないんだ。おばあちゃんは愛情をたっぷり持って生まれてきた、だからこそ、人のことを心配しすぎてるんだろう。口うるさい人間っていうのは、たいがいそうさ。そういう人とうまくやっていくには、こっちも愛情たっぷりで接しないといけない。・・・・・・おじいちゃんが死んでから、おばあちゃんはものすごくさみしい思いをしていたんだ。おまえがもっといっしょにいる時間をふやしてやれば、喜ぶと思うぞ」

う~ん、私なら「ホント、ホント、いい加減子離れしてほしいよね!」とか言っちゃいそう。児童書読むと、毎度大人のあり方も学ばされるのでありました。


『かおるが見つけた小さな家』

2017-01-17 22:26:36 | 日本文学


『かおるが見つけた小さな家』征矢清作 大社玲子画 あかね書房
小学校中級以上・161頁・1975年


今月のテーマ『鳥』を読みつつも、11月の児童文学ピクニックのテーマだった『老人と子ども』が面白すぎて、引き続き読み続けています。
この昭和の時代を感じる『かおるが見つけた小さな家』作者の征矢清さんは、元々は福音館の「こどものとも」編集者だったんですね~。もちろん絶版のこの本、中古で32,800円ですって!高っ!かおる三部作のうちの一つだそう。
中途半端な時代の古さもあり、今の子たちはちょっと違和感覚えるかも。でも、この時期の子どもの抱えているモヤモヤとかはいつの時代も共通していて、とても共感できそうな気がします。東京子ども図書館発行の『ブツクトークのきほん』というブックレットの事例に出てきた本で、そうでなかったら手に取ることはなかったかな。コチラ↓



さすが、ブックトーク!読みたくなって探したというわけです

【『かおるが見つけた小さな家』あらすじ】
かおるは小学5年生。最近自分で自分のことがよく分からない。人に何か言われると腹が立ったり、反対のこと言ったりしたくなったり。家族はいるけど、どこかほかにもっと自分が本当にほっとできるところがあるような気がしていたところ、かおるが見つけたのは“ふしぎな家”でした。誰も住んでいないと思っていたら、ピアノの上手なおばあさんがいて、かおるはおばあさんと仲良くなります。ところが、同級生の横田さんはなぜかそのおばあさんの悪口をたくさん言ってきて、かおると喧嘩に。でも、横田さんがおばあさんの悪口を言うのにはワケがあったのです・・・。


少女たちのひと夏の物語です。お友だちを苗字のさん付けで呼んだり、同級生へのしゃべり方も丁寧だったりするところに昭和の時代を感じさせますが、何とも言えず優しい気持ちになれる物語

このおばあさんの家が、物語に出てくるようなワクワクするような家なんですねえ(ってこれも物語なのだけれど)。古くておんぼろで小さいけれど、クリーム色の壁に、黒くぬった木でふちどりした小さな窓、屋根は赤い瓦・・・そして、ピアノ。おばあさんは、ちょっと馴れ馴れしいというか、人との距離感が近くて、最初とまどうかおるの気持ちもよく分かります。核家族だとこうなっちゃいますよね。そんなところへ、同級生の横田さんがおばあさんの悪口を言ってくるわけです。横田さんのお父さんは建設会社の社員で、宅地造成地域に入っているのに立ち退いてくれないおばあさんに手を焼いているのです。バージニア・リー・バートンの名作絵本『ちいさいおうち』みたいと思っていたら、この本にも『小さいおうち』がでてきました。



この横田さんって子がね、かおるの目から見るといや~な子だったのですが、実は違かったこと、人は知らないだけで、色んな事情があることをこの物語は教えてくれます。実は昔おばあさんにピアノを習っていて、おばあさんと大の仲良しだった横田さんの思いを聞いたとき、もうぶわっと涙が止まりませんでした。少女たちの胸のうちを、分かりやすい言葉で丁寧に描いた物語です

結末で意見分かれる『赤い鳥の国へ』

2017-01-16 21:40:38 | 北欧文学


『赤い鳥の国へ』
アストリッド・リンドグレーン作 マリット・テルンクヴィスト絵 石井登志子訳 徳間書店 2005年翻訳初版

リンドグレーンといえば、『長くつしたのピッピ』シリーズや『やかまし村』シリーズなど、底抜けに明るくて愉快なイメージがありますが、暗くて悲しい物語も実はけっこう書いているんですよね。『赤い鳥の国へ』は短編集『ちいさいきょうだい』の中で、大塚勇三さんが「小さいきょうだい」と訳した物語を、オールカラーの挿絵を入れて、石井登志子さんが翻訳しなおしたもの。



『小さいきょうだい』のときのイロン・ヴィークランドさんの挿絵も好きでしたが、今回のマリット・テルンクヴィストさんの挿絵も、特に春の国へときの挿絵(写真ちょっとブレてますが)が明るくて素敵です↓



楽しそう!私もこんな場所で小舟作って小川に流したり、一緒に遊び小屋作ったりしたーい
ストーリーは、ネタばれ含みますので、知りたくない方は以下読まないように。

≪『赤い鳥の国へ』あらすじ≫
みなしごになったマティアスとアンナの兄弟は、ある村のお百姓さんのところで働かせてもらいますが、ツライ毎日。冬になれば学校へ行ける、とそれだけを希望に毎日毎日を必死で生き抜いていきます。ところが、あれだけ恋焦がれた学校でも先生は厳しく、子どもたちからは貧しいことを馬鹿にされる。学校も灰色でした。そんなある日二人は帰り道に真っ赤な鳥を見つけます。その鳥に導かれ、見つけた扉の向こうは春の国でした。たくさんの子どもたちと遊ぶマティアスとアンナ。そこにはみんなのお母さんがいて、おなかいっぱい食べさせてくれます。灰色の現実と春の国を何度か行ったり来たりしていた二人でしたが、最後に下した決断は・・・。


ネタばれになりますが、赤い鳥に導かれてたどりつく春の国ミナミノハラでは、いつも扉が少し空いている。閉めない理由は一度閉めたら二度とあかないからなんですね。で、学校が最後の日(それ以降はまたお百姓さんのところでのツライ日々のみが待ち受けている)、マティアスとアンナは扉を閉めてしまうんです!二度とあかないように。

最後二人が死んでしまったんだろうなあ、天国へ行ってしまったんだろうなあ、ってことは大人が読めば感じることであり、多分多くの子どもも分かること。ちなみに読解力のないうちの子(小2)は分かりませんで、悲しい結末とはとらえず、お百姓さんに二度と会わなくてよくなったハッピーエンドと捉えてました。昔話的なとらえかたなのかしら?悪い者との縁がバッサリ切れて安心♪みたいな。

この結末はずいぶん意見も分かれるみたいですね。さくまゆみこさんのホームページにある子どもの本で言いたい放題はいつも面白くて拝見しているのですが、この物語に関しては、意外にもネガティブに受け止められてる方が多くてびっくり。悲しすぎて、自分のところの学校や図書館には置かないとか・・・。中でも「苦しかったら死んじゃいな」というようなメッセージに読めたという方もいてビックリビックリ

私自身は「苦しかったら逃げちゃいな(逃げてもいいんだよ)」というメッセージには思えましたが、“逃げる=自殺”は考えつかなかったな。私はどちらかというとこのミナミノハラに希望を見出したほうです。この物語では、あちらの世界に行きっぱなしなので、物語に造形の深い方々にとっては“行きて帰りし物語”でないことも反発を覚えるのかもしれませんね。私は必ずしも戻らなくてもいいのではとは思ったのですが、扉は閉めないでおいてほしかったかな。そうすれば、ほかにもマティアスとアンナのような子が入って来れるから。彼らには扉をしめなくても、自分たちの意志でそこに居続けてほしかった・・・と思うのは、苦しんでいない大人の勝手な意見かもしれませんが。

この兄弟は物理的、環境的に逃げ場がありませんでしたが、今の子は精神的逃げ場がないなあ、って思う今日この頃なんです。本を読む子も減ってきて、空想の世界に逃げれる子が減ってきている。自分自身の体験を振り返ってみると、幼い頃友だちとうまく行かないときは、いつも空想の世界に逃げていました。そして、そこで力を得て現実世界へ戻っきていたんですよね。だから、私は強かった
もし、心の中だけでもミナミノハラを住まわせることができて、そこに逃げれることができたなら・・・それは、その子にとって希望であり救いになる、と私は思うんだけどなあ

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