『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

ブックガイドとしても!『絵本・児童文学における老人像』

2017-01-08 21:12:31 | 児童文学論


『絵本・児童文学における老人像』宮地敏子著 グランまま社 1999年


11月に行った『老人と子ども』テーマの児童文学ピクニックの奥が深すぎて、いまだにこのテーマのものが読み終わらず。今月のテーマ(鳥)本になかなか読み移れない状態です
上記の本もこの年末年始にやっと読み終えたのですが、これは良いブックガイド!!!表紙地味だし、あの残念本『リトルトリー』も良書として取り上げられてるし(おそらく書かれた時代はあの事実は日本ではまだ知られていなかったのだけれど)、実はあまり期待してなかったんです。そしたら、思いがけずよくて、ここに掲載されている本ぜんぶ読みたくなってしまいました。もうね、本の紹介読んでるだけで、ウルッと来てしまったり

著者の宮地さんは保育専門学校やニューヨーク補習授業校を経て、短大の幼児教育科などで教えてこられた方。やっぱり現場から生まれた声はいいですね。心を打つ。たくさんの生徒さんたちと、色んな絵本や児童文学を読み合ってきた中で出てきた発見がたくさん書かれています。この方、きっと温かい方なんだろうな。文章を読んでいて視点に温かさを感じました

老人と子どもがテーマの絵本や児童文学ってね、いわゆる面白可笑しいものは少なくて、地味なものが多いです。まあ、最近は分かりやすく感動を狙ったお涙頂戴ものも流行ってますが、個人的にはそういうのは逆に冷めた目で見てしまいます・・・。すぐには伝わらない、反応がない、だからといって重要でないということではないんですね。発酵し、熟す年月が必要。

印象的だったのは、死に関するテーマのところで、子どもたちは「ほんとうのこと」を求めているということ。老人の死が自然死であろうと苦しみの多い死であろうと、それが問題なのではなく、子どもたちは真摯に生きることを学びとっているということ。本質を見ることに関しては、子どもは大人よりも上ですもんね。ただ、11月のピクニックでも疑問があがったのですが、それは「老人と暮らしたことのない子どもにこういう本伝わるのかなあ」ということ。老人が身近にいなくて死が遠くなってしまってる。そしたらですね、著者の宮地さん同居経験の有無で老人観に違いがあるかどうか、青年期の人たちを対象に調査したことがあるそうです。気になる結論は、同居の有無よりも、祖父母とどのようなかかわりをしたか、という関わりの質が重要だったそう。そんな知りたかった答えもたくさん書かれていました。

また、『八郎』(斉藤隆介作 滝平二郎画 福音館書店)という命を捨てて村人を守るお話があるのですが、コチラ↓



『八郎』と『アンパンマン』を読み合うと、子どもが『アンパンマン』から卒業していく理由を学生が指摘してくるというところも非常に興味深かったです。ほんとうの自己犠牲は、簡単に他人に頭を再生してもらえるようなものではない、と・・・!!!

傍線引きたいところはたくさんあったのですが、ココ読んで激しく頷いてしまいました↓

ある本を大人が書き、別の大人が共感し、子どもに伝える。その本を共に読み合うことは、大人も子どもも共に癒されることなのです。登場人物がもつ善く生きようとするエネルギーは、共感の環を広げ、その輪のなかで大人も子どもも心を開いていきます。
 また優れた文学は、作者と伝え手と二重の絆で子どもと「関わり」を結びます。作者の伝えたいエネルギーが、子どもに伝えたい大人のエネルギーで増強されるかのようです。そして、無意識に全身全霊で生きる意味をもとめている子どもに吸収されると、この本との出会いは原体験となり、その後の経験に「砂漠の井戸」のような影響を与えます。


そう、私も癒されているの。何かを子どもにしてあげたい!とかそういう上から目線じゃなくて、共に読み合うって素敵だな、って。私よく夫から「セルフエスティーム高いよね」と言われるのですが、セルフエスティームって“うぬぼれ”ではなく、“自尊心”のほう。自己肯定感が高いらしいのですが、それは多分私には子どもの頃に吸収した、こうした井戸がたくさんあるからなんだと思います。別にその井戸は読書からである必要はないのだけれど、でもでも、やっぱり読書って素敵です