『LSD-兄ケビンのこと』(1991年)M.ヴォイチェホフスカ作 清水真砂子訳 岩波書店
TURNED OUT by Maia Wojciechowska,1968
テーブルに置いてあったこの本の表紙を見て、「え、これも児童文学なの?LSDってあのLSD?」と夫に聞かれました。
ええ!児童文学の中でもヤングアダルトと呼ばれる中高生向きですけどね。児童文学ってふんわりほんわかな世界を描いている、というイメージのある人にとっては、この手の物語は衝撃的なのかも?
こちらは、‟ヒッピーの夏“と呼ばれる1967年のひと夏のことを、1968年にマヤ・ヴォイチェホフスカが描いた物語。
当時としては、旬の問題を描いていたわけです。麻薬が広がっていく状況を憂い、しかし必ずやこの事態も乗り越えられるものと信じ書いたそうです。もつとも、LSD患者も見てきた臨床心理学者の河合隼雄さんから見ると、事実と違う部分もあるようなのですが(そして、肝心などこが違うのかを忘れました)。それでも私は興味深く読みました。
何が興味深いかって?若者がこの先を憂いているさまが、今の日本と重なったから。そして、この完璧だった兄ケビンのように、‟いい子”自分を演じていることから抜け出せない人が多いように感じたから。
兄ケビン自身はヒッピーに憧れる麻薬中毒ですが、ヒッピーではありません。ケビンいわく、はじめ、ヒッピーたちが世に出てきたとき、初期のキリスト教徒みたいに思えてならなかったそう。どう見てもすばらしかった!って。
「だが、それから、どうなったと思う?体制側のやつらが動き始めた。やつらはヒッピーたちに目をつけ、ついには連中をくいものにしはじめた。貧しくあろう、生フランシスコのように生きようとしたら、どうなったか。搾取しようと手ぐすねひいて待っていたやつらは連中を写真にとり、連中が身につけているものと同じものをつくって売りだし、連中のたまり場の上にネオンサインをともし、麻薬を常用するヒッピーとはどんなものか、一目見たがる旅行者に見物料をとって見せるようになった。そうこうするうち、ヒッピーは珍奇な見世物になり、くだらんやつばかりが集まるようになった。今はもう、初めの頃とはすっかり変わってしまった。それだよ、おれが言いたいのは。何もかも腐った今の世の中じゃ、よいもの、すぐれたものはなにひとつ生き永らえることはできないんだ。」(p.118)
腐った世の中・・・希望がない・・・。
兄ケビンは真面目なんです。快楽を求めてというよりも、自分の感情を支配して、内面を探るためにLSDの力を借りたがっている。あとがきの中で清水さんも書かれていますが、一見体制側のモラルに疑問を持ち、次第に体制からドロップ・アウトしていく若者の姿を描こうとしているように見えます。が、実は描いたのは、周囲の期待や思いこみをはねかえし、自分自身の人生を生きだそうとする若者なのです。だから、共感できる人多いんじゃないかな。
原題は、TURNED OUT、ケビンの麻薬中毒が判明し、真実が明るみにだされ、結果自分とは何者かが判明するということでしょうか。
先日、清水真砂子さんの講演会に行ってきたのですが、印象的だった言葉がありました。
それは、日常の機微に喜びを感じることができなければ、太陽を肌で感じることができなければ、子どもにとって一番面白い(刺激的)なのは戦争になる、ということ。つまり、こんな世の中!と希望を失ったとき、自暴自棄になって麻薬に走ったり、戦争に向かうのかもしれません。もっとも、ケビンの場合は、自暴自棄と、真の自分を見出したい、という気持ちが表裏一体なのですが。
日常の中の輝きや楽しみを見出す、実はすごく、すごーく大事なことなのです。