『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

すごい題材の中高生向き文学

2017-07-08 11:35:05 | YA:アメリカ


『LSD-兄ケビンのこと』(1991年)M.ヴォイチェホフスカ作 清水真砂子訳 岩波書店
TURNED OUT by Maia Wojciechowska,1968


テーブルに置いてあったこの本の表紙を見て、「え、これも児童文学なの?LSDってあのLSD?」と夫に聞かれました
ええ!児童文学の中でもヤングアダルトと呼ばれる中高生向きですけどね。児童文学ってふんわりほんわかな世界を描いている、というイメージのある人にとっては、この手の物語は衝撃的なのかも?

こちらは、‟ヒッピーの夏“と呼ばれる1967年のひと夏のことを、1968年にマヤ・ヴォイチェホフスカが描いた物語。
当時としては、旬の問題を描いていたわけです。麻薬が広がっていく状況を憂い、しかし必ずやこの事態も乗り越えられるものと信じ書いたそうです。もつとも、LSD患者も見てきた臨床心理学者の河合隼雄さんから見ると、事実と違う部分もあるようなのですが(そして、肝心などこが違うのかを忘れました)。それでも私は興味深く読みました。

何が興味深いかって?若者がこの先を憂いているさまが、今の日本と重なったから。そして、この完璧だった兄ケビンのように、‟いい子”自分を演じていることから抜け出せない人が多いように感じたから。

兄ケビン自身はヒッピーに憧れる麻薬中毒ですが、ヒッピーではありません。ケビンいわく、はじめ、ヒッピーたちが世に出てきたとき、初期のキリスト教徒みたいに思えてならなかったそう。どう見てもすばらしかった!って。

「だが、それから、どうなったと思う?体制側のやつらが動き始めた。やつらはヒッピーたちに目をつけ、ついには連中をくいものにしはじめた。貧しくあろう、生フランシスコのように生きようとしたら、どうなったか。搾取しようと手ぐすねひいて待っていたやつらは連中を写真にとり、連中が身につけているものと同じものをつくって売りだし、連中のたまり場の上にネオンサインをともし、麻薬を常用するヒッピーとはどんなものか、一目見たがる旅行者に見物料をとって見せるようになった。そうこうするうち、ヒッピーは珍奇な見世物になり、くだらんやつばかりが集まるようになった。今はもう、初めの頃とはすっかり変わってしまった。それだよ、おれが言いたいのは。何もかも腐った今の世の中じゃ、よいもの、すぐれたものはなにひとつ生き永らえることはできないんだ。」(p.118)

腐った世の中・・・希望がない・・・。
兄ケビンは真面目なんです。快楽を求めてというよりも、自分の感情を支配して、内面を探るためにLSDの力を借りたがっている。あとがきの中で清水さんも書かれていますが、一見体制側のモラルに疑問を持ち、次第に体制からドロップ・アウトしていく若者の姿を描こうとしているように見えます。が、実は描いたのは、周囲の期待や思いこみをはねかえし、自分自身の人生を生きだそうとする若者なのです。だから、共感できる人多いんじゃないかな。

原題は、TURNED OUT、ケビンの麻薬中毒が判明し、真実が明るみにだされ、結果自分とは何者かが判明するということでしょうか。

先日、清水真砂子さんの講演会に行ってきたのですが、印象的だった言葉がありました。
それは、日常の機微に喜びを感じることができなければ、太陽を肌で感じることができなければ、子どもにとって一番面白い(刺激的)なのは戦争になる、ということ。つまり、こんな世の中!と希望を失ったとき、自暴自棄になって麻薬に走ったり、戦争に向かうのかもしれません。もっとも、ケビンの場合は、自暴自棄と、真の自分を見出したい、という気持ちが表裏一体なのですが。

日常の中の輝きや楽しみを見出す、実はすごく、すごーく大事なことなのです


号泣・・・できず『ミアの選択』

2017-03-18 14:12:00 | YA:アメリカ

『ミアの選択』 ゲイル・フォアマン作 三辺律子訳 小学館(SuperYA) 2009年

≪『ミアの選択』あらすじ≫
主人公のミアは、パンクロック好きの家族の中で唯一クラシック音楽のチェロの道を歩んでいる女の子。恋人のアダムもロッカー。アダムと遠く離れてしまうジュリアード音楽院への入学が現実にありそうなある雪の日、家族でのドライブでなんと交通事故に!!!両親は即死、自分も重傷を負い一瞬にして人生が変わってしまいます。幽体離脱したミアは、自分の人生を考え始めます。家族と一緒の場所へ行きたい、生き返っても孤児・・・生きるのか死ぬのか選択を迫られるミア。
世界18か国で翻訳出版された全世界注目のラブストーリー。


あ~、感動した方たち、ゴメンナサイ!!!

心の琴線に触れるストーリー 「カーカス誌」より
読者に生きる価値と意味を教えてくれる。 「パブリッシャーズ・ウィークリー」誌より
魅力的なこの小説に誰もが濃いしてしまう。書評サイト「VOYA」より


などなど各誌の大絶賛が背表紙に掲載されていて期待値があがってしまったからでしょうか・・・

私は号泣できず、でした。
『ワンダー Wonder』のとき(ドキドキしながら書いた批判的な記事はコチラ)もそうでしたが、どうもベストセラー本と私は相性が悪いらしい
好みの問題なんでしょうけれどね

でも、こういう分かりやすいストーリを読みたくなるときもある。疲れているときとか。
深い単館上映系の映画よりも、浅くて手軽に感動できるハリウッド系の映画を見たくなる感覚?
ちなみにこの物語、映画化もされています。こちら↓



う~ん、これは映画のほうがよさそう!見てないけど(笑)。
主役の女の子がいいんですよね

これは、あくまでも個人的な感想なので聞き流していただきたいのですが・・・(じゃあ、書くなよって感じ?)。
分かりやすく感情を揺さぶる物語って、それだけ浅くもある気がするのです、私の場合。
物語というより小説かな。
今回の読んだ感覚は、百田尚樹の『永遠のゼロ』読んだときに似てるかな。確かに分かりやすく感動路線が敷かれているのだけれど、どこかで冷めた自分がいて、それにうまく乗っかれない。設定がうまく行きすぎていることが気になっちゃう

ただ、幽体離脱が特異なこととしてではなく、当たり前のこととして描かれているのは新しいかも。ああ、意識を失っている人に、私たちはかける声を間違えないよういしないと、って思わされました。


『スピリットベアにふれた島』

2016-02-15 14:13:58 | YA:アメリカ
  
『スピリットベアにふれた島』 ベン・マイケルセン作 原田勝訳

今回も比べみましょう~、日本語版と原書の表紙。う~ん、原書の表紙のほうが生々しい内容をよく表してるとは思うのですが、背表紙にクジラも泳いでいる日本語版のほうが好きです。ひとつ前の記事で『ぬすまれた宝物』を取り上げましたが、こちらも犯罪とどうむきあうべきなのか、裁判とはなんのためにするべきなのかを問う物語。図書館だとYA(ヤングアダルト)の棚に分類されることが多いので、大人の目に触れる機会は少ないけれど、これまた大人にこそ読んで考えてもらいたいお話。子どもなら中高生以上かな。

【あらすじ】
両親からの愛に飢え、元々問題ばかり繰り返し起こしていた15歳の少年コール・マシューズ。ついに、同級生が一生の後遺症を負う傷害事件を起こしてしまう。本来ならば刑務所行きになるところを、ネイティブ・アメリカンの血を引く保護観察官ガーヴィーの助言により、「サークル・ジャスティス」の手続きを受け、アラスカ沖の無人島で一人生活することによって更生を試みることとなる。コールはどう怒りと向き合い、どう乗り越えていくのか。古老エドゥインとの交流、自然とのふれあいを通して自分が大きな命のサークルの一部だと悟る再生の物語。



このサークル・ジャスティスという先住民の智恵を取り入れた更生プログラムがすばらしい!しかし、主人公のコール、なかなかイラッとさせられます。すべてが人のせい世の中のせいでふてくされているのです。・・・ん?どこかにもこういう人いたような。我が家にも約1名、怒りの人がおりまして、すべて人のせいにしていた(←希望の意味も込め過去形)ので、こういう物語を読むとひとごととは思えません
ふてくされているから、ガーヴィーや古老エドウィンの愛情に気づくことができないばかりか、足りない足りないと文句ばかり言っているのです。犯罪者と呼ばれる多くの人はコールのような投げやりな気持ちなんだろうな。俺は変わった、というあともどこか傲慢。

そんなコールが過酷な自然と向き合い暮らすことで徐々に変わっていくのですが、スピリットベアの乱闘シーンはあまりにも生々しくて、私は吐き気がしてしまい、読み飛ばしたかった~。コールがなぜ絶望の中でも世界は美しいと感じられたのか、あの描写抜きではやはり説得力に欠けてしまうのかな。この場面見て思い出したのが、映画『イントゥ・ザ・ワイルド』のラストシーン。
最後の最後、その人が絶望を感じたのか、幸福感を覚えたのかは本人にしか分からない。この映画では何とも言えない後味の悪さを感じたけれど、瀕死のコールが感じたことは、もしかしたらこの映画の主人公も同じだったかもしれないという、希望を私に与えてくれました。

『スピリットベアにふれた島』では、トリンギット族の二人との交流も再生への大きな鍵を握っているのだけれど、やっぱりネイティブの人たちの智恵はシンプルで深い!注目すべきは、ガーヴィーもエドウィンも過去に罪を背負っていて、自分自身のためにコールの手助けをしているというところ。他人(コール)のためではなく、あくまでも自分たちの償いのため。だから偽善を感じない。ネイティブだからといって社会的事件を起こさないわけではなく、現代社会の中ではむしろ問題児が多い(それは彼らの価値観、宇宙観を奪われているからなのだけれど)。何をしてしまったか、よりもどう立ち直っていくか。分かりやすいたとえで心に響く教えがたくさんありました。トリンギット族といえばあわせて読みたいのがコチラ↓
 『森と氷河と鯨』(星野道夫)
アラスカの写真家星野道夫さんがワタリガラスの伝説を求めて旅したエッセイで、星野さんのエッセイの中では個人的に一番好きなもの。併せて読むとより『スピリットベア』の世界観が入ってくると思います。

個人的には被害者であるピーターとの和解はもっと時間がかかり、もっと難しいのではないかなと思い、ちょっとあっさりしすぎている感がありました。