『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

『物語の役割』 by 小川洋子

2016-03-31 21:07:14 | エッセイ


『物語の役割』小川洋子著 ちくまプリマ―新書


物語について小川洋子さんが語った講演を元にまとめたもので、とっても読みやすいです。

第一部:物語の役割
第二部:物語が生まれる現場
第三部:物語と私

という構成で、第三部には私も大好きな『トムは真夜中の庭で』をはじめとした児童文学も登場してきますよ~

小川洋子さんといえば『博士の愛した数式』しか読んだことはないけれど、あれは数字アレルギーの私に数字の世界の美しさを見せてくれたという点で衝撃的でした。無機的だと思っていた世界に、こんな美しい世界が広がっているのか、と。この『物語の役割』の中では、いかにして『博士の愛した数式』という物語が生まれたのかという、物語の生まれる裏側にも触れられていて興味深いです。

私が好きだなあと思う物語の作家さんはみな物語が「降りてきた」ようなことをいうんですよねえ。上橋菜穂子さんしかり。イメージがまず目に浮かんで、それからは何かに操られるかのように書かされて、時として自分が意図した方向とは違う結末になる、と。

作家も現実のなかにすでにあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、鉱石を掘り起こすようにスコップで一生懸命掘り出して、それに言葉を与えるのです。自分が考えついたわけではなく、実はすでにそこにあったのだ、という気持ちになったとき、本物の小説が書けるのではないかという気がしています

と小川洋子さんは述べていらっしゃるけれど、そういう物語が普遍性を持つんだと思います。

作家から何かを仕掛けるというのではなく、向こうからやってきたものを受け止めただけ、ストーリーは作家が考えるものではなくて、実は既にあって、それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目である

と述べられてますが、テーマがありありと分かるもの、作者の意図が読め過ぎてしまうものってなんだか白けてしまうんですよねえ。これ書くと叩かれそうだし、私の思い違いかもしれないけれど・・・、例えばゲド戦記シリーズ4巻の『帰還』は前作3巻と比較してあれ?って思ったんです。作者の書きたいことが前に出過ぎてるって。ストーリーを拾いに行ったのではなくて、作者がしかけてるな、って。だから好きになれませんでした(はあ、ドキドキ!書いちゃった)。
あと、YA(ヤングアダルト)に分類される本もどこがいけないってわけじゃないけれど、どこか狙った感が透けて見えて自分にはしっくりこないことが多いのですが、作者がしかけることが多いからなのかも、と思い当たりました。

第三部の、幼い頃小川洋子さんがどう物語から影響を受けていたかのお話も興味深いです。
本を開くと本の世界へ行って、閉じるとまたこちらの世界へ戻ってこられる。本を開くというのは、あっちに行ったりこっちに行ったり自由に繰り返すことなんだ
って。当時個室は与えられてなかったそうですが、本箱の中に自分だけの部屋を持つことができた、って素敵じゃありませんか。そして、不器用でボタンがうまく留められない自分に対して、「ボタンちゃんとボタンホールちゃん」という物語を考え、ボタンがうまくはめられないのは、ボタンちゃんが冒険に出ているからで自分のせいではないという言い訳を思いついた、と。自分の内側に物語を据えることによって、外側の現実のありようを変化させた、と述べられていますが、今の子どもたちには物語が足りないといわれる意味が分かるような気がします。自殺された息子さんに対して柳田邦夫さんの作り出した物語も印象的でした。自分の中に物語があれば、人は色んなことを乗り越えていけるんですよね。




『虫眼とアニ眼』

2016-03-29 08:11:40 | エッセイ
  

養老孟司と宮崎駿の対談集です。新潮文庫。

何がいいってまず冒頭に数ページに渡って描かれているイラスト!!!荒川修作氏の案を元に描かれたもので、理想の保育園や町がどれも緑と土の匂いにあふれていてポカポカと陽だまりのようにあったかいんです。こんな町があったら移り住みたい!!!大事なのは凸凹、うねりのある地面で、それは感覚を呼び覚ましてくれる、と。お二人の対談にはハッとさせられることが散りばめられていました。

養老孟司の虫眼は、『虫捕る子だけが生き残る~「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか』(小学館)という本を以前読んで衝撃を受けました。だって、私は典型的な虫嫌いな女子だったから。「虫いや~!!!」から「虫、面白いではないか!!!」にコロッと変わりましたね(←単純)。我が子たちが虫への興味が思ったよりも少ないことに、今や焦りすら覚えるほどです

ジブリの作品については、私自身はいわゆる熱狂的なジブリファンではなく、普通にいいねえという感じなのですが、アニメの風景を見ていて涙が出そうになるのはジブリくらいです。原風景を描いてるからなのかな?『思い出のマーニー』を見たときに、月夜に照らされた湖面の美しさにゾクゾクっとしました。
宮崎駿は、『本へのとびら ー 岩波少年文庫を語る』(岩波新書)がブックガイドとしてもとてもよかったです。個人的には、この本読んだ当時はまだ大人が児童文学を読んでもいいのかな?という思いを心のどこかで抱えていた時期だったので、ああいいんだ、と肯定してもらえたような気がしたものです

さて、『虫眼とアニメ眼』、中盤までがとても面白かったです。特に養老孟司さんの「感性」に関する話が面白かった~。感性の基本には、ある種の「差異」を見分ける能力があると思う、と。「なんかほかと違うぞ」って変化が分かること。ところが、現代っ子の問題はそれを人間関係の中だけに見てしまっていること。イジメが深刻になっちゃう根本には、人間ごとにしか関心が向かない狭い世界だから・・・と。そうなんですよねえ、我が子見てても、人間関係しか見てないからとても苦しそう

都会人の典型的な特徴は「人のせいにする」ことだと養老孟司は言います。都会というのは人が作ったものしかないから、何が起こっても追及すれば人のせいにできると。ところが、これが自然の中なら「仕方ない」で済む。沖縄へ昆虫採集に行ってハブに咬まれれば「仕方ない」で済むけれど、都市では必ず背後に人間の行為があって、誰が放したんだという責任問題になる、と。う~ん、これは考えさせられますね。学校問題って責任ばかり追ってる気がして、そこじゃないんじゃないかというモヤモヤした思いがあったから。

文部省が毎年行ってる新任の先生たちの研修に、養老氏が呼ばれたときのエピソードも面白かったです。400名の新任教師が10日間船に乗って旅しながらの研修プログラムなのですが、どの先生も「忙しくて海なんか見てる暇ないです」っていうんですって。で、養老氏にしてみれば海眺めてそこからインスピレーションもらって面白い研究授業を思いついてもらいたいと思ったのでしょう。ヒヨコからニワトリ育てて、親になったら首絞めてスープにして調理実習の食材に使うのはどうだ、といったような提案を期待していたらそんなのはゼロ。自由な討論の場だったのに、すべてが!すべてが人間関係についての発表だったそうです。いじめをなくすとか、落ちこぼれをつくらないとか・・・いかに社会に適応させるかを善意で考えている(うん、善意なんだけどね)。これじゃあ、子どもたちは逃げ場がないよなあ

「生きる力なんて、子どもははじめから持っている。それをわざわざ、ああでもない、こうでもないと、ていねいに殺しているのが、大人」という養老氏の最後の言葉をかみしめます。

私が大人の小説から離れて行ったのは、人間関係だけが描かれている世界に疲れたからなのかもしれない。子どもの物語にはまだ残ってるんですよねえ、人間が大いなる存在の中のちっぽけな一部だってことが。人間以外の流れている世界が。だから、私は子どもの本から力をもらえるのかもしれません。

残念ながら我が子たちは今のところ読書には興味ないけれど、でも木登りしてれば安心。生きる力ははじめから持ってる。親がすべきことはそれを阻害しないよう、芽を摘まないように注意することだけなんだなあって再確認させられました。

『ミンティたちの森のかくれ家』

2016-03-26 21:24:18 | アメリカ文学


昨日で学校も終わり今日から春休みです

学校も終了したことだし、特別なランチが食べたいと言い出す次男。特別って何かと思いきやリクエストは・・・パンケーキ。え?そんなんでいいんですかい!?
美味しい美味しいと大好評だったレシピは白崎茶会のレシピから↑。卵も牛乳も使わなくてもコクもあってちゃあんと美味しい。粉のおいしさをかみしめる感じ

で、私の分にはこのレシピにシナモンとナツメグを追加します・・・そう、この本を読んで以来↓


  

『ミンティたちの森のかくれ家』キャロル・ライリー・ブリンク作 谷口由美子訳 文渓堂

これぞ大人が子どもに安心して手渡せる良書という感じ。大人が読むと少々物足りないところもあるのだけれど、ウィスコンシンの森が舞台なところもいい!そして、中村悦子さんの挿絵もまたいいんですよねえ(写真右は原書版)。ポカポカした気持ちになりたいときにおすすめの一冊
ここにしょっちゅう出てきてこの物語の大きな鍵を握るのがパンケーキなのですが、そこにナツメグが入っているんです。読み終わった後むしょうにパンケーキが食べたくなるので、材料を用意してからお読みください

【あらすじ】
1930年の大恐慌時代のアメリカ。失業したパパとその子どもたち、ミンティとエッグズは、町を出て、伯母のところにむかいます。ところが、その途中、車が故障。先へ進むことができなくなってしまったミンティたちは、そこで見つけた誰かの別荘でひと冬こっそりとすごっせてもらうことにするのですが、そこへ医者を志す家出少年ジョーが現れたり、吹雪の中に謎の親子が現れて・・・。


ここに出てくるパパなのですが、びっくりするくらい楽天的で、ちょいとイラっと来ます(笑)。だって、真面目な娘がどうやって別荘を貸してもらっているお金を払おうかと頭を悩まし、勝手に使っていることで罪悪感で押しつぶされそうになっているのに、釣りして詩なんぞ口ずさんでカントリーライフを謳歌してるんですから。でも、子どもたちからちゃんと尊敬されているところを見ると、このパパさん憎めない人柄なのかな。このパパさんにかかると空き家を拝借してなぜ悪い?という気分になるから不思議。けど、ここで全員が開き直ってしまうのではなく、ミンティのようにちゃあんと罪悪感おぼえたり、責任を果たしたいと思う子もいるからほっとします。田舎暮らしの様子も魅力的!

吹雪の中謎の親子が現れるところは、ドキドキハラハラ。ミンティの観察力にも感心しますが、色んなことが辻褄が合い始めて、人間の思い込みってコワイなあということにも気づかされます。
ミンティはこの親子をラジオで流された逃亡した強盗2人組だと思うのですが、そこで素晴らしかったのは「人は幸せな時には悪いことをしないものだ」と思い、できるだけこの親子と楽しい時を持とうとするんです。ミンティいい子!!!
そして、ミンティたちの考え出した楽しいことのワクワクすること。「つまらないことをとびきりおもしろくして、それを一生懸命することが、どんなに愉快か」と。たった二人の大人の観客のために芝居のチケットプログラムまで発行したり、新聞作っちゃったり。やった、やった、小さい頃こういうの!と~っても懐かしい気持ちになりました。読み聞かせてあげるのなら小学校低学年からでもいけるかも。中高生でも楽しめると思います♪

植物枯らす人とイキイキさせる人

2016-03-25 08:41:32 | 絵本


昨日はお引越ししてしまう子二人の送別会で学校へ。たったの一クラスしかないとってもアットホームな小さな学校
一年間の様子をDVDに編集してくれたお母さまがいて親子で鑑賞したのですが、これが大感動でした。一年生って特別なかわいさがある。やる気に満ちていてみ~んな目が輝いていてキラッキラしてるの。一年生のキラキラ度はんぱない!!!
誰かうつるたびに「○○ちゃーん」「○○くんだ~」の大合唱。そして、BGMの曲に合わせて、誰も指示していないのにそれはもう大熱唱の大合唱がもう大感動で。歌わされてないから、自ら(←ここポイント)歌いたくて歌いたくてたまらなくて歌ってるからかわいい。やらされてる感がゼロだからキラッキラしてる。一年生最高だわ~

今の学校教育は終わってるとか言われがちだけれど、私たちの時代よりよっぽどいいと思うけどなあ・・・って覚えてないだけかもしれないけど。「育てる」授業も多くて。畑や田んぼの実習もあるし(公立です)、お餅つきだって自分たちで植えたもち米で、大豆を植えてそこからきな粉を作るところまでやってみたり、ポップコーンを作ったり。
海が近いという土地柄もあるけれど、畑のお芋のツルでリース作って、その飾りつけの貝殻やビーチグラスはみんなで浜辺に拾いに行くんです
次男はお花が大好きなので、学校での鉢植え観察も楽しくてたまらなかった模様。で、学校ももうすぐ終わりということで一年生はアネモネの花を持って帰ってきました。夏は朝顔が入っていた鉢植え。ご自分で管理願いますよ

というのもですねえ、私枯らしちゃうタイプなんです。軒並み枯らす!私には呪いがかかってるのかと思うくらい
緑は大好きなんです。でも育てられないから、庭より借景派
へこんだ時期もあったけれど、植物って“尽くすタイプ”で、人にエネルギーを与えて与えて与えてくれて自分は枯れたりすることがあるそうで。ああ、私はエネルギーを緑からもらってるんだなあ、って謙虚に受け取ろうって思うようになりました(って開き直るな、って感じですが)。

その鉢植えをイキイキさせる子といえば、この子↓



『はちうえはぼくにまかせて』ジーン・ジオン著 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 ペンギン社


タイトルまんまの内容です♪すごく楽しい絵本。
夏休みお父さんの仕事の都合でどこにも行けないトミーは、近所の人たちから夏休みの間鉢植えを預かり、管理するということを思いつきます(お金もちゃあんと取ります)。家中鉢植えだらけ(笑)。リビングやお風呂場がジャングルみたいになっていく様子は見ていてワクワク。嫌そ~な顔するお父さんがこれまたなんかいいんですよねえ。例え親からの応援が得られなくても、トミーの探求心は止まらない。図書館へ通ったり園芸店に通ったり、どうすれば植物たちをイキイキさせられるか剪定の技術も自らの好奇心で習得していくさまも清々しい!
子どもの好奇心、探求心、理解できなくても止めちゃいけないなあって反省させられます。
大人にも子どもにもおすすめの絵本です♪

『春になったら苺を摘みに』

2016-03-23 21:28:22 | エッセイ


タンポポが咲き始めましたね。タンポポもコマになるってベイブレードに夢中な子どもたちが教えてくれました。へえええ!

さてさて、昨日我が家で起こったTHE☆苺事件。
苺をめぐる争い。それは次男のお友だちがおやつに持ってきた苺1パックから始まった・・・。

男子5人、1パックが足りるはずもなく、ジャンケン大会。しか~し、まだジャンケン大会をよく理解できてない3歳児がパクッと食べちゃったんですねえ。それをいつまでも責め立てる4年生、そしてそれを聞いて兄弟愛を発揮する我が息子。「弟いじめるなら帰れ!!!」との命令にあらら、帰っちゃいましたよ、お友だち。子どもの世界は残酷でござんす。
そして、苺といえば思い出すのがこのエッセイ↓



『春になったら苺を摘みに』梨木香歩作 新潮文庫

タイトルからして、ちょっと素敵なイギリス生活を綴った軽めのエッセイかと思いきや・・・ガツーンとやられます。いい意味で裏切られる骨太の(?)エッセイ。ちょっと気が重くなる人もいるかもしれない内容なので、自分が落ちているときは読むのはキツイかも。
しかし、梨木さんの深い洞察力に感心し、人生とは深いものだと心にしみいるエッセイです。犬養道子さんの『お嬢さん放浪記』をちょっと思い起こさせる。
梨木さんは、きっとお育ちがいいんだろうな。文章から品格とゆるぎない芯を感じます
ブレない人、そういう印象。

内容は留学時代の下宿先の大家さんウェスト夫人や海外旅行した際に出会った人々とのことを綴ったもの。
私が梨木香歩さんが好きなのは、日常の中に尊さを見出し、一つ一つを丁寧に掘り下げて考えるから。それもニュートラルな視点で。

博愛主義のウエスト夫人から学ぶものも大きいのですが、個人的には電車の中で偶然隣に座ったアメリカ生まれの日本人の老人のお話が強烈でした。アメリカ人として生きてきたのに戦争で受ける理不尽さ。そして祖国へ帰還したものの落胆し、戦争が終わって何十年たっても自分の中では気持ちの整理がつかない・・・平和ボケした私はもっとこういう人たちのことを知らなければと思います。
平和のデモなどが無意味だとは思いませんし、してくれている友人や人たちをリスペクトしています。
でもね、私にとっては一人の個人の物語、軌跡を知るほうが心に響き、影響を受けるんです。
だから、きっと私は物語を読み続けるのでしょう。

もう一つ、このエッセイの中で印象的だったというか、私がずっと感じてはいたけれどうまく表現できなかったことを梨木さんが代弁してくれたところがありました。それは、
「ディベイトという名のスポーツを、私は信じない」
という下り。ブラボー
議論の根底にあるものが嫉妬や劣等感であるなら、いくら議論しても互いの合意点には到達しない。「本当の争点は個人の身の上に何が起こったのかということ」と梨木さんは言います。うんうん
個人的に捉えなければ聞き流せるし、感情的にならない。違った意見に反応するのは個人的に何かが侮辱されたと感じるから。そんな議論、いらない。だから、大人な人は議論はしない。
「本当は私たちはみな共感してもらいたい。分かり合いたい」
という言葉をかみしめます。春になると読み返したくなるエッセイです