『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

第14回児童文学ピクニック

2017-10-30 18:12:57 | 児童文学cafe&picnic


昨晩は、台風の知らせの中、第14回児童文学ピクニック番外編!夜飲みながら語ろう!の会でした~。不良母たちで、すみませぬ

台風の進路が、夜神奈川県に入る予報だったので、やめようと思ったんです。帰りに電車が止まったりしたら、困りますからね。で、参加表明してくれてた人たちにやめますか?とメールしたんですけど、やるなら行きまーす、と言ってくれる人がいて。じゃあ2、3人でもいっか。自己判断でやめてくれていいです~、としたら6人集まりました

今回のテーマは『異文化理解 -隣のあの子ー』だったので、異文化料理であるタイ料理をつまみながら。美味しかったなー

今回は、最初にちょっとしたアンケートというかワークをやってもらったのですが、それは紙にムスリム(イスラム教徒)、ユダヤ人、黒人、韓国人、中国人、白人の西欧人、インド人、東南アジア人に対するイメージを思いつくまま何でも書きだしていってもらうというもの。

次に、やってもらったのが、その同じ人たちに対して、もし彼らが自分の隣の家に引っ越してきたら?言葉は通じず、全く交流がないけれど、その人はよく自分の仲間を家に大勢呼んで集まっていて、賑やかだけれど、何をやっているか不明。という設定で、自分はどう感じるか、を書いてもらいました~。無記名でね。

旅先で出会う、もしくは自分の生活領域に入ってこない範囲のときと、自分の生活に影響がありそうなときとでは、同じ人に対しても構え方が変わってきてしまう

いかに自分たちが、ニュースの印象に左右されているか。いかに、自分が出会ったたった一人の人で、その国の人全体のイメージを決めてしまっているか。もしくは興味なさすぎて、何のイメージも持てない。そんなことが浮き彫りになってきました。


異文化理解にいい児童文学って、自分は偏見持っていないと思ってたのに、あれ?もし自分がこの立場にいたら、果たして偏見持たずに接していられたかな?って考えさせてくれるんですよね。人種差別ひどい!なんて思うこと自体が傲慢傲慢。しないと思ってた自分にすら、自信がなくなってくるんです。

さらっと読めるのに、ドキッとする。相手を責めることなく、自分で自分の中にある偏見に気付かせてくれるのは、児童文学の手腕なのかな、って。

あ~、まだまだ食べたことのない異文化の料理がいっぱいで楽しみ!(←結局そこ
とても、楽しい夜となりました。♪

畑が起こした奇跡の物語!

2017-10-28 22:27:28 | アメリカ文学


『種をまく人』(1998年)ポール・フライシュマン作 片岡しのぶ訳 あすなろ書房

今日の一冊はコチラ。まさに人種のるつぼのアメリカをギュッと凝縮したような貧民街での、奇跡のような物語

その貧民街には、ゴミ溜めのような空き地があるのです。古タイヤや、生ごみのビニール袋が散乱していて、ソファや冷蔵庫などの大型のものも、いわゆる不法投棄だらけ

ある日、ヴェトナムから移民してきた少女キムが、そこにこっそりマメを植える。その輪がどんどん広がって、やがてゴミ溜め場は、菜園に生まれ変わるのです。生まれ変わったのは、‟場”だけじゃない、‟場”が人々をも変えてしまうんですね。そう、畑は、コミュニケーションの場になるのです、しかも言葉のいらない。13人の違った人種、それぞれの背景を背負った人々の菜園をめぐる物語が、オムニバス形式で語られています。

どの人のエピソードも、じいんと来るのだけれど、私が特に印象に残ったのは二人。

まず、グアテマラから移民してきた家族。英語が全く理解できない伯父さんが、身体の大きな赤ん坊のようになってしまうのです、グアテマラでは、の最長老だったというのに。何かぶつぶつつぶやいて、ただウロウロしているあやしい人

ところが、畑と再会して、この伯父さんがしゃん!としてしまうのです。都会では、無能のようにうつっていた伯父さんが急にイキイキしはじめる。伯父さんの子守役をさせられていた甥のゴンサーロは、伯父さんを見直し、こう思うのです。

「食べ物を育てることを、ぼくはなんにも知らないけど、伯父さんはぜんぶ知ってるんだ」(P.23)

とても、考えさせられる言葉。効率優先、経済至上主義の都会では、どうしてもはじかれてしまう人たちが出てきてしまう。こんなにも、認知症の老人を多く出してしまっているのは、この社会の在り方なのでは?そして、私にはこの伯父さんのように、生きる知恵があるかしら?と考えずにはいられませんでした。

もう一つは、メキシコ人のマリセーラ。16歳で妊娠中の彼女は、とても投げやりな気持ちで、殺されたってかまわないと思っているのです。妊娠したティーンエイジャーのためのプログラムで、畑仕事を嫌々させられているので、出会った人たちがくれる野菜も、お産や子育てを教えてくれる話もうざったい。
ところが、ある日畑に雷が落ちて、町中がシーンとするのです。停電で、テレビもラジオも消えてしまう。すると、黒人のリオーナが、こう言うのです。

「停電すると街はなんでもかんでも泊まっちゃうけど、畑はいつもとおんなじね」中略「植物は、電気も時計もいらないのよ。自然界のものは、みんなそう。自然の生命はお日様と、雨と、季節で動いているの。あなたもわたしも、実はそういう自然の一部なんですよ。」(P.76)

頭がガーンとなるマリセーラ。自分も自然の一部なんだ!何百万年も昔から生きてきたいろんなものと、自分もつながっている・・・急にそれを実感するのです。

実際は、この物語のようにうまくいかないかもしれない。それでも、ここに出てくる人たちのような心を信じたくなるのです
人は、自然から離れると、‟不”自然になるのかもしれない。そして、色んな歯車が見えないところで狂っていく・・・。

何かしらの種を、読んだ人の心にも蒔いてくれる、そんな物語です


大人にぜひぜひ勧めたい!孤独と友情の絵本

2017-10-25 06:59:02 | 絵本


今年もじいじが、サンチャゴ巡礼の旅から戻って参りました~
昨年は、6月にこんな記事書いて、若草物語に出てくる『天路歴程』の児童版をご紹介しましたが、あのときはフランスから入るルート。今年はポルトガルから入るルートから歩いたそうです。ちなみに、じいじはクリスチャンではありません

今年見せてもらった写真の中で、惹かれたのが、かかしの写真たち。スペインの村で出会ったそう。いまにもムクムク動き出しそうな、かかしたち。

  

この子たちを見たとき、すぐにこの絵本が思い浮かんだんです。これはねー、もうもう大人にぜひ読んでもらいたい絵本!!!
じんわり、じんわり。とても深くて、味わいがあって、余韻の残る物語、いや文学なんです(絵本だけど、文学)



『かかし』シド・フライシュマン作 ピーター・シス絵 ゴブリン書房


孤独な老人と、かかしと、突如やってきた同じく孤独な青年の、友情の物語。
静かなで繊細な物語。決して、ドラマチックというわけではなく、むしろ淡々としているのに、老人の心の変化に、心動かされずにはいられません。ああ、人生って!と感慨深くなってしまう。心にポッと灯が灯る絵本です

ところで、じいじは今回トルコ空港にストップオーバーだったので、ついにアレをお土産で食べることができました!!!じゃーん↓

 

ターキッシュディライト(ロクム)。そう、ナルニア国物語に出てくるあの有名なお菓子です。日本人にはなじみがないから、と当時瀬田貞二さんが‟プリン”と訳した魅惑のお菓子がコチラ。

味は・・・ナッツ入りのギュウヒ、和菓子みたい!?物語に親しむと、お土産の楽しみも倍増です





涙すら出てこない辛さ

2017-10-23 16:54:33 | オセアニア文学


『ナム・フォンの風』(2003年)ダイアナ・キッド作 もりうちすみこ訳
あかね・ブックライブラリー


台風すごい風でした!というわけで、風つながりで今日の一冊はコチラ↑

ナム・フォンとは、ベトナム語で、『香り高い南風』という意味。
1975年のベトナム戦争終わる前後にボート・ピーポルと呼ばれた難民たちが発生しました。このお話の主人公ナム・フォンもそんなボート・ピープルのうちの一人で、オーストラリアにやってきます。作者のダイアナ・キッドさんは、移民の子どもたちに英語を教えたことが影響して、この物語も生まれたようです。小学校高学年からとありますが、100頁くらい、字も大きめで、主人公の語りなので読みやすい


■ 本当にツライと涙も出ない

この物語の主人公ナム・フォンは、移民先のオーストラリアでクラスメイトにどんなに話しかけられても、しゃべらないんです。笑いも泣きもしない。英語が理解できないわけではなく、心の中では答えてるのです。で、この原書のタイトルがONION TEARS↓



ナム・フォンはベトナム料理屋さんで住み込みで働いているのですが、玉ねぎ(ONION)を大量に毎日切るときには、涙(TEARS)が滝のようにドバドバ出るんです。でも、悲しいこと思い出したり、思いっきり泣きたいときもあるのに、そんなときは涙が出てこないんですね

人って本当にツライ経験をすると、どこかで感覚を閉じてしまうことがある。泣きたいのに泣けない。再びナム・フォンが泣けるようになったとき、ナム・フォンは同時にしゃべれるようになります。ナム・フォンの場合は、突破口となったのは学校の先生でしたが、この先生のさりげなさがまたよかったんですよねえ。ナム・フォンが自分から心を開くまで待つ。


■ 日本人だからこそ読みたい


日本には、難民も来ないし、移民も欧米諸国と比較すると少ない。だからこそ、こういうことがあるんだ、ということを物語で知っておきたいなあと思います。絶版ですが、学校図書には置いてほしい一冊。

ただ、個人的に一つ残念だったのは、ナム・フォンの心の中の語り口調。ちょっとお上品すぎるというか、夢見る乙女口調なのです。そう、村岡花子訳の『赤毛のアン』を読んでるかのよう。

○○なの。○○かしら?○○わ。○○よ。

・・・伝わるでしょうか?ナム・フォンは貧しい田舎の出なので、どちらかというと口調は『大草原の小さな家』のローラのほうのイメージなんだけどなあ。もしかしたら、そういう口調は、今の子には読みづらいかもしれません。読んだ子に感想聞いてみたいな。

とはいえ、ナム・フォンが涙を取り戻し、声に出して言葉を言えるようになるところは感動的です。世界には、色んな人たちがいること、知っておきたいです

図書館本がダメなわけ

2017-10-22 10:18:33 | 徒然


昨日は、次男のクラスメートが出演しているこどもミュージカルを観に、鎌倉芸術館へ
いやあ、出演者の子どもたち、レベルの高さにびっくり。ホント素晴らしくって、引き込まれ、感動しました!

でね、その近くに大きなブックオフさまがあるわけなのですが、そこで次男と買う買わないの押し問答(笑)。

昨日ご紹介した怪盗レッドシリーズ全巻買い揃えたい!というわけです
あ、ところで、金曜日&週末はアクセス数がぐっと減るので、読む人少ないだろうとあんな記事書いたわけなのですが、アクセス数が多くて焦りました(笑)。親子あるあるだったのかな?

さて、次男がほしいのは3巻。2巻はちょうどその日、図書館から借りてきていたので。
そんなに気に入ったのなら、1巻買ったら?それか、全巻まずは借りて読んでみて、それからお気に入りの巻を買ったら?なぜゆえに中途半端な3巻???なぜ、図書館本じゃダメなの???

次男いわく、いつもお友だちから借りて読んでるから、たまにはワシが(自分所有の本を)貸したいんだとか。本の中身うんぬんというより、コミュニケーションツール?

よくよく聞いていくと、図書館で借りるのは嫌なんだそうです。汚いから。ほら、新し目なほうの、この手触り、このめくる感覚!とかやたらマニアックな感覚を熱弁されました

私自身は、図書館でまず借りて読んで、気に入ったら買うという流れなので、図書館本が嫌だという感覚が、まず自分にはない感覚。そんな汚いか?と思って、借りてみたら・・・た、確かに汚い。これは、何か想像したくないよね~、って感じのものが付着していたり(笑)。

で、気付いたのは、私がいつも図書館で借りる児童文学はマイナーなんです。あまり読み込まれてないから、汚れてないことが判明(笑)。あとね、これは仮説なのですが、本好きが読むような本は丁寧に扱われてる気がするんです。漫画チックな会話文だらけの読みやすい本は、なんか粗雑に扱われている・・・。ナルホドねえ。

次男は、別に潔癖症なわけでも何でもないのだけれど、きれいな本のほうがいいという気持ちは、分かった気がしました。私がリサイクルや古着が受け付けないような感覚なんだなー、って。というわけで、買いました、謎の3巻

こんな風に汚いという理由で図書館本がダメな子たちがいるんですね。
そこで、思い出しましたよ、海外の図書館では人気があって痛みがちな本は、頻繁に買い替えているという話。やっぱりキレイな本のほうが子どもたち嬉しいですもんね。手に取りたいと思いますもんね。

でね、重要なのはココから!
図書館が定期的に良い本を買ってくれるから、海外では図書館からの売り上げが見込めるから、本当にいい絵本や児童文学を作ることに取り組むことができるんだそうです。最初にそれ知ったときは目からウロコだったなあ個人個人がお金使って買い支えなくても、いい本が残っていくんです!絵本や本を買ってもらえない子でも、図書館に行けば、素敵な本に出会えるんです

一方の日本の出版社は一部を除き、いかに子どもの心に届けるか、ではなく、いかに売れるかという戦略。だから、地味でいい本ではなく、スピード感のある浅くても手っ取り早く楽しめる本が量産されてしまう。

日本の図書館は予算が厳しい。図書館の重要性がもっともっと伝われば、地味でもいい本が生き残るし、新たに生み出せるという好循環が生まれるんだけどな。汚いから図書館本はダメ、なんて子が増えないよう、何とかしていきたいものです