『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

武士道・騎士道・野生道!?:新訳ジャングル・ブック

2017-12-04 08:25:30 | イギリス文学


『ジャングル・ブック』(2015年)ラドヤード・キプリング著 三辺律子訳 五十嵐大介絵 岩波少年文庫


11月の児童文学ピクニックのテーマは、『秋の夜長に読みたい名作 映像化された物語たち』でした。その中で紹介したうちの一つが、今日の一冊『ジャングル・ブック』。

昨年の夏休みには実写化もされて、うちの子たちもじいじと見に行っていましたが、その前のディズニーのアニメ版も有名。イラストだけは見たことがある人多いのでは?どちらも映像化のほうは、私はまだ見ていないのですが、あのジャングルの風景を映像で見てみたい!という気はして、予告編探しちゃいました

そして、今回は2015年に新訳で出た原作を読んでみました。読みやすい!冒険ものがあまり得意ではない私は、テーマ本だし、仕方ない読むか~、くらいだったのですが、面白い!
ジャングル・ブックって、もともとは二冊15編の短編からなっていたんですってね、シラナカッタ。その中から、主人公のモウグリが登場する8篇を選んで訳されたのが、この岩波少年文庫版の新訳。ちなみに、あの(←‟あの”の理由はコチラ)金原瑞人氏が監訳したバージョン(文春文庫)もあります。三辺さんが足元にも及ばないと述べていらっしゃったので、こちらも読んでみたいなあ↓




■武士道・騎士道・野生道!?

今回、読んでみて一番感銘を受けたのは、これ野生道とでも言ったらいいのかな?ジャングルの掟。武士道、騎士道に通ずる気高さがあるのですよ、これが

訳者の三辺律子さんは、あとがきのなかでこう述べられています。

「映画の印象のまま本を開くと、いい意味で裏切られることになります。・・・中略・・・キプリングの描く動物たちは、決して単なるゆかいな楽しい仲間などではありません。豊かな恵みと同時に危険に満ちたジャングルで、動物たちはそれぞれのおきてを守り、必要以上に相手の領域にふみこむことなく、おのおの誇りを持って暮らしています。」(P.372-373)

ジャングルの生活は自由で楽しい。でも、自由って自由奔放で好きなことをすること?

いいえ!

掟を守り、弱肉強食の世界ではあるものの、好き勝手に狩りをしていいわけではない。‟必要以上に相手の領域にふみこむことなく”ってところが、たまらなくいいな~。
違う種のものが均衡を保って、共存するということは、ゆかいな仲間で仲良くやっていくことではないんです。仲良くなる必要はない。ただ、厳しい自然の中で生きていくためには、それぞれがルールを守らなければいけない。

こういう物語を読んだ子は、ジャングルへの憧れが芽生えると同時に、異質なものと均衡を保って共存していくには掟が必要なこと、潜在意識の中に残るんじゃないかな。


■やっぱり西欧の価値観、だけど感動


さて、一度は人間の元に行ったものの、やはりジャングルの暮らしがいい、と言って戻ってくるモウグリ。人間の元に行ったときに、母親代わりになってかわいがってくれたメスワたちが村人たち火あぶりにあいそうになっていることを聞きだし、助けに行きます。火あぶりの理由は、悪魔の子(モウグリ)の両親であるから。
さあ、そこからがすごい復讐劇なのです!だって、ジャングル呼び寄せて、村ごとつぶしちゃうんだもの。子どもが読むと気分爽快なのかな?でも、今の私は“罰する”という行為に善悪の二項対立を見てしまって、なんだかモヤっとするのです。闘いはつきものだし、やるかやられるかの世界ならやっぱりやるんだけれど・・・上橋菜穂子さんの物語のように、闘ってもそこに善悪はなくて、ただ立場の違いがあるだけ、という物語が好きなんだな。

また、モウグリがジャングルの中で威張っているのも、子どもらしいといえば子どもらしいのだけれど・・・、自分を「ジャングルの主」と呼び、動物の頂点に人間を置くところが、ああ西欧の価値観だな、と。日本の感覚とは違うよなあ。森羅万象の中に、動物も人間も一点としてただただ在る、のではなく、人間(といってもジャングルに育てられたモウグリだけど)が自然界をあたかも支配できるような雰囲気が、ちょっとだけ気になる。

とはいえ、面白くて一気読みだし、最後は感動。一度は出会っておきたい古典名作です

進路これでいいの?

2017-09-12 19:53:23 | イギリス文学


『剣と絵筆』(1981年)バーバラ・レオニ・ピカード作 平野ふみ子訳 すぐ書房


先々週末は、代々木上原のモスク訪問のあとは、東京子ども図書館の『森の読書会』へ!
(上京するときは、ここぞとばかりの予定をいっぱい入れます

というわけで、今日の一冊は、そのときの課題図書のうちの一冊より。

おおーっ、久々のTHE☆古典児童文学の王道!って感じでございましたよ。‟この装丁じゃねえ・・・”ってとこまで含めて(笑)。全然知らなかったけれど、名作です。でも、お決まりのごとく絶版

読書会のみなさんが声をそろえて言うことには、これはぜひ進路に悩む子ども、そして社会人になった大人にも読んでもらいたい!装丁&出版社を変えて(笑)。

こういうズンと来る物語を読むと、今書店に並んでいる児童書の中身の薄っぺらさに、ため息が出てしまいます。使い捨てのような本ばかりが並び、こういった残しておきたい名作が消えていく。図書館ですら、地下書架にあることが多いという事実。手渡す人がいなければ、読まれない本の類ですが、読書会でシェアすると、お一人お一人の個人的な思いに本当に感動しました。

東京子ども図書館の読書会は、分析とか文学論とかそういうのじゃないんです。本当にみなさん、ただ個人的な感想を述べてるだけ。それが、感動するのですよ。全体の雰囲気も批判や否定がないからか、ただただあったかくて、包み込まれるかのよう


【『剣と絵筆』あらすじ】

舞台は14世紀のイングランド。名門ド・ボーヴィル家に生まれたものの、幼い頃のトラウマが原因で犬恐怖症であったスティーブン。そのことで、臆病者とされ、兄弟親戚から執拗なイジメにあう。また、スティーヴンは騎士には向かないと父に判断され、本人の意志は無視され、修道院に入れられてしまう。
修道院では悪いことばかりではなく、絵の才能も開花しかかったが、騎士になる夢を諦めきれず、親兄弟を見返したいスティーブンは家出を決意。そこで、出会ったペイガン卿により、彼の人生は大きく方向転換する。犬恐怖症克服のきっかけとなった、愛犬アミール、大いなるメンターであり心の友となったペイガン卿、自分を慕ってくれた問題児トマス、そして、偏屈頑固職人肌のアーヌルフ修道士・・・さまざまな出会いと別れを繰り返し、スティーブンは本当の自分を見出していく。


正直ね、騎士時代とか苦手・・・な私でもグイグイ読めました!


■ キーワードは自己肯定感

最初はあまりにもあまりにも陰険ないじめに、正直読み進むのがつらかったです。あれ?昔のいじめってもっとカラっとしてたんじゃなかったの???ガキ大将的なイジメじゃなかったの????
なんだか、現代のいじめが特別に陰険に感じますが、実は14世紀の時代も変わらないというこに驚き

そして、いまの子たちのキーワードにもなっている‟自己肯定感”、これもまさにテーマだなあ、と。スティーブンはイジメの原因となっていた犬恐怖症を克服しても、イジメが終わらないんですね。なぜなら、臆病者でないことを願っていながら、自らが臆病だと思い込んでいたから。自己肯定感が低かったから。だから、実際は違うのに、そうと分かるまでに、信じられないくらい時間がかかってしまう。そういう子、たくさんいるんじゃないかな。自己肯定感を取り戻していくストーリーは、もがいてる現代の子どもたちにも十分通じる!って思います。

ちなみに原作はコチラ↓



One is One、あなたはあなた。まさに、自己肯定!



■ 人との出会いが人を成長させる


人だけじゃなくて、動物しかり、なんですけどね。人が成長するのって、やっぱり‟出会い”によってなんだなあ、って。親には限界があるというか、近すぎて、その子の良さが客観的に見れなかったりする
‟かわいい子には旅をさせよ”
って本当だなあ、ってしみじみ思う。スティーブンはかわいがられてたわけではなく、どちらかというと厄介払いなところがあったけれど。家族に認められない、疎まれる苦しみ、みじめさってどれほどだろうって思うと、胸が苦しくなる
さらに、スティーブンは、大切な人と次々に悲痛な別れも訪れるのですが、でも、失うものばかりじゃないんですね。目に見えない大切なものを得てもいっている。その過程には、静かな感動があります


■ 会話が重厚


児童文学の古典って、会話の一つ一つが重みがあるというか、心に染み入るんです。ネタバレになるので、あえて書きませんが、ズシンと来る。抜き出して書いてみると、それ自体が名言というわけではないのですが、物語ですから、それまでの過程を知ったうえでの言葉となると、重みがある。会話に引きこまれること間違いナシです
今の私たちって、言葉はあふれてるけれど、無駄なものが多いんだなあ、と感じてしまうのです


進路ってね、そう簡単に決められものじゃないんです。寄り道、周り道して、やっと見つけられる人もいる。でも、辿って来た道に無駄は一つもなくて。ありふれた言葉になってしまうけれど、人生ってよくできてるなあ、ってしみじみ思う
読む楽しみを奪いたいくないので、どうしても抽象的な紹介になってしまうけれど
名作です!ぜひ。

こんな形の愛はあり?なし?

2017-07-19 14:51:05 | イギリス文学


『夏至祭の女王』(1994年)ウィリアム・メイン作 森丘道訳 偕成社 ラズロ・アクス絵
MAX’S DREA,1977


物語の舞台は、19世紀も終わりに近いヴィクトリア朝後期のイギリスの荒野の中の小さな村。ムーア、ヒース、ハリエニシダにヘザー。『嵐が丘』好きとしては、これらの言葉を聞くだけでもうたまりません。最初の数ページで、もう、ぐぐっとこの物語に惹かれてしまう。


≪『夏至祭の女王』あらすじ≫
階級制度がまだ厳しかった時代。村の子どもたちは夏至祭の王に、下半身不随のみなしごマックスを選ぶ。ところが、マックスが相手の女王役に選んだのは、夢の中で出会った少女だった。マックスのお世話係の村娘ケイティーは、ひそかに愛するマックスのために、夢のあとを辿ることに。そして、ついに夢の中の少女ヘレンを探しあてる。身分違いの古風な愛の物語。



以下ネタばれも含みますので、知りたくない方はここまでで


物語は、村娘ケイティーの一人称語りで始まります。老人になったケイティーが、自分が12歳か13歳くらいだったころの回想録。教育を受けてこなかった身分の出であることが、その秩序立って話せない語り口からも分かります。

一方のマックスは、今や出自もワカラナイものの、その話し方で上流階級の出だと分かる。だから、村人はみなマックスに一目置き、ヴィアリイの奥さんもどこの誰とも分からないマックスの世話をずっと買って出てるんですね。でも、そこに‟不平等だ!”といった感じはなく、みな自分の身分をわきまえて、それぞれの場所で生きている感じ。

ケイティーはマックスの夢の描写が、バーマウス行きのフェリーが出てる場所にそっくりということに気付き、本当の場所の話をしていると確信します。それを辿っていくところは、何とも言えないドキドキ。

そして、恋から愛へ変わる思い。マックスのお妃さまを見つけてしまったケイティーは何とも複雑な思いに苦しむのですが、やがて、そのお妃さまヘレンのこともマックスと同じように愛せる自分を発見するのです

児童書評サイトの中で、ある方がこの物語の感想をこんな風に述べています↓
読後、この〈愛〉がなぜかストンと胸に落ちない。苛立たしさと気持ち悪さを感じてしまう。その愛とは、マックスを愛するのと同じようにヘレンをも愛させるような、残りの人生を二人に捧げ尽くしてしまうような、献身的で偉大で崇高な愛である。作者がかつての時代こんな風に人を愛し生きた女性がいたんだと伝えたかった気持ちは解る。が、九四年翻訳出版されている。今、何故この愛なのか? 現代を生きる若い人たちは、この物語をどんなふうに読むのでしょう?(全文はコチラをクリック

確かに現代っ子たちがどう読むかは興味ありますが、私はこの方とは反対にこの〈愛〉がストンと胸に落ちました。相手のことが好きすぎて、相手が好きなもの(恋人)含めた全てを好きになってしまう。崇拝してしまう。それは、自分と結ばれるかどうかとかは関係がなくて・・・。この形で、ケイティーは幸せだったのです。相手の幸せのお役に立てたのですから。

何もすべてが今の時代と合わなくてもよいのでは?こういう時代もあった、そして、どんな環境の中でも、自分なりのベストを見出していった、それでいいのではないでしょうか。個人的には、こういう物語大好きで、地味だけれど堅実に生きたケイティーに幸あれ!と、静かな感動がありました

血のつながりって大事???

2017-07-01 22:47:36 | イギリス文学


『トムのほんとうのうち』(2001年)ジョーン・リンガード作 こだまともこ訳 
田口智子絵 徳間書店 128頁
 TOM AND THE TREE HOUSE,1998


アクセス数ががくんと減る週末はマイナーな本をば(←え?いつもマイナー???)

というわけで、今日の一冊はコチラ。

≪『トムのほんとうのうち』あらすじ≫
トムは「とくべつな子ども」です。それは、トムが、おとうさんとおかあさんに「えらばれた」子どもだからです。そう、トムは養子でした。けれども、おとうさんとおかあさんに、ほんとうの赤ちゃんができると、トムは、「もらい子なんかより、ほんとうの子どものほうが、いいにきまっているじゃないか…」と、考えるようになりました。それからというもの、トムは、庭の木の上につくったかくれがで、ひとりすごすことが多くなり…血のつながらない親子が心のすれちがいをのりこえ、ほんとうの家族になるまでをえがいた、心あたたまる物語。スコットランド文化庁賞受賞作。小学校低・中学年~。(BOOKデータベースより転載)


いかにも洋書って感じの表紙に挿絵だなと思いきや、挿絵を担当してるのは日本人!ちなみに原書はこんな感じです↓


字大きめ、ページ数も少なく、小学校低学年からいけそうです。子どもが読めば、きっとカシの木の上に作ったツリーハウスにワクワクすることでしょう!自分もほしいってね。いや、大人でもほしいけど

このツリーハウスね、縦横1m50cmくらいの木箱を一度解体して、もう一度木の上で組み立てたもので、シンプル。だから、自分も出来そうな気がしてワクワクするんです
木箱のままだと味気ないので、トムは壁紙の余りを貼ります。恐竜模様なので、全部に貼ると圧迫感が出るから、奥の壁だけ。天井は白、左右の壁はうすい黄色に塗り、床には古いカーペットを敷くのです。椅子の代わりにはオレンジ色のふかふかのクッション、テーブルには電線を巻き付けたあった木のやつ(←おしゃれなカフェとかにオブジェ置きとしてあるあれです!)。ガラスの代わりに、お父さんがプラスチックの板の窓をつけてくれれば、隣のカエデの木でツグミが巣を作り始める様子も見れちゃうんです

とはいえね、大人が読むと子どもの必死な心に胸がきゅっとしめつけられます。私も身近に養子を育ててる人が何人かいるので、余計に思うのかも。血のつながっていない親に育てられるのはかわいそう???いやいや。でも、複雑な思いを抱く時期があるのは仕方ないですよね。

実は、翻訳者のこだまともこさんご自身も養子を育ててると知ってびっくり。こだまさんご夫妻は、親のことを告知するか悩んだあげく、20歳までは何も告げずに育てよう、その代り真実を知ったときに、それをすなおに受け取れるような子どもに育てようと決めたそうです。日本は海外と違って、まだまだ周りの理解が少ないですからね

「実の」親子でなくても「ほんとうの」親子になることはできる

子どもの複雑な気持ち、やきもちなどを丁寧に描いた物語です

希望が見えなくなったら『青空のかけら』

2017-05-15 15:44:11 | イギリス文学


『青空のかけら』(2016年)
S・E・デュラント作 杉田七重訳 鈴木出版
Little Bits of Sky (2016)


やまない雨はない。いつかは青空が広がる。
今日の一冊は、1980年代イギリスの児童養護施設を舞台にした『青空のかけら』です

あ~、これは個人的にはとっても大切な物語になりました!
うちも細々とではありますが、児童養護施設の里子ちゃんのホームステイを受け入れているので、親を思う気持ちなど共感できる部分が多くて、多くて

ただ、海外の児童養護施設と日本のそれの大きな違いは、養子縁組が主体か否かなんですよね。
海外と違い、日本の場合は、実親が養子縁組させない場合が多い。だから、児童養護施設は“仮の場所(=早く出ていきたい場所)”ではなく、高3卒業までいる“居場所”であるのが大きな違いだなあ、と。養子になりたいと切に願う感覚は、日本にはない。

≪『青空のかけら』あらすじ≫
1987年に児童擁護施設にやってきたミラとザックの姉弟。次々と他の子の養子縁組が決まるなか、姉弟まとめての引き取り手はなかなか現れない。そんな中、ミラは偶然自分の部屋の床下から「この部屋で暮らすあなたへ」という手紙を発見!日付は1947年の9月。空想上の親友を手に入れたミラ。そして、ついにミラとザックにも休暇中引き取り手が見つかるものの、二人は失態ばかり。果たしてどうなるのか・・・。



■空想が救う現実の世界

この主人公ミラは空想家。ちょっと『赤毛のアン』とかぶります。けれど、アンのようにおしゃべりでもないし、ワクワクの空想を他人と共有するわけでもない。なので、もっと淡々と地味な感じ。

ミラは日記を書いていたのですが、その理由は存在感のない自分たちだったけれど、誰かに自分たちが生きていたことを伝えたかったからなんですね。そして、もし何かいいことが起きなかったら魔女やお城を登場させたりハラハラドキドキの人生をでっち上げるつもりだった、と言います。現実は動かせなくても、空想の世界なら自在に描ける!こういう子は現実世界でもたくましく生きていけるんですよねえ。

そして、1947年に自分のいた部屋に住んでいた女の子グレンダを見出してからは、彼女はミラの親友になります。見えたり見えなかったりするのだけれど。そこからは、ミラはもう寂しくなくなるのです。空想は、厳しい現実を生きていく際の心の支えになるんだな


■空想+そっと寄り添う自然の無言の力
ミラとザックがスキリーハウスに来たときに、まず心奪われたのは自然豊かな庭!
自然は一人静かになるときも、居場所を作ってくれる存在だなあ、としみじみ。これがあるとないとでは、差が大きい!

そして、その後二人は田舎町に休暇のホームステイに招かれるのですが、これも児童文学の鉄板ですね
田舎に行って、人柄まで明るく変わっちゃう。いかに、自然の果たす役割が大きいことか。
自然と生活が結びついている。頭だけ動かしているのではなく、身体と感覚と感性もフル回転なんですね、だから生きてるって感じて、自分を取り戻せるのかも。色々あるけれど、いつも自然は無言で寄り添ってくれるんです。
“神様は庭にいる”(←これ名言!)と言って、ステイ先のマーサは教会へ行かない(牧師の娘なのに)のですが、そういうことなんだな。
空想と自然があれば最強!


■どんな人にも背景がある、誰にも子ども時代があった
さて、ミラとザックのいるスキリー・ハウスには愛情たっぷりのスタッフが二人いるのですが、長であるミセス・クランクスは、何とも言えずいや~な感じなんですよ。どこが、何が嫌かって、はっきり言えない分モヤモヤするというか。愛情にかけてて、冷たい人間(のように見える)。

ミラも当然嫌っているのですが、ふとしたことで、もしかしたらミセス・クランクスもそう悪くはないかも、と思うんですね。
なぜ心閉ざした人になってしまうのか、人にはそれぞれ背景があるんです。見えてる部分が全てじゃない。これ、とっても大事な気づきだと思うんですね。

もし、ミセス・クランクスを完全な悪者にしてしまったなら、物語はもっと盛り上がったことでしょう。古典児童文学によくみられるような善人VS悪人の構図ね。小公女セーラに出てくるミンチン先生大っキライみたいな。それは、それで読み物として分かりやすいし、面白いのだけれど、やはりその人がどうしてそうなってしまったのか。そういうことに思いを馳せる物語もやっぱり存在していてもらいたい。

ミセス・クランクスの生い立ちは、ある意味衝撃で、あのような大人になってしまったことはとても残念。けれど、とても現実的だなあ、と。

相手が悪なら、滅ぼさなきゃいけなくなる(←セカオワ)。もしくは、それを願ってしまう。
そうじゃないんだよ、って教えてくれる物語が、これからの時代には必要なんだと個人的には思いました。