『シャーロットのおくりもの』E.B.ホワイト作 ガース・ウィリアムズ絵 さくまゆみこ訳 あすなろ書房
あまりにも有名だったりするとなんとなく今さら読めない・・・なんてことありません?ん?私だけ?
今回読んだ『シャーロットのおくりもの』もそんな感じの本のうちの一冊。2006年に映画化もされていたので、この物語が1952年(!古っ!)に書かれた古典だと知ったときはなんだかちょっと意外でした。挿絵は『大草原の小さな家』シリーズでおなじみのガース・ウィリアムズですよ~。
≪『シャーロットのおくりもの』あらすじ≫
小さくて弱くてできそこないのブタとして生まれてきたウィルバー。農場の娘ファーンのペットとなり幸せな日々を過ごしていたものの、大きくなってしまったので、知り合いの農場に移されます。そこで友だちになったのがクモのシャーロット。ハムにされるウィルバーを救うため、シャーロットが考え付いたこととは、そして起こった「奇跡」とは・・・。
ブタはともかく、クモにスポットライトが当たるところがユニークだな~、と。クモって苦手な人が私の周りには多くて、ここ鎌倉では巨大な家グモがいっぱいいるので、「うぎゃー!」ってよく叫ばれます。私自身はムカデとゴキはどうしてもダメだけれど、後は・・・慣れました。ゲジゲジなんかは見た目があれなので、「きゃっ!」ってなるけれど、害がないので箒とチリトリでさささっと外に出ていただきます(強くなった、私)。クモも決して得意ではなかったけれど、私の天敵ゴキを食べてくれるという話を聞いて以来、じゃあ、いてもらったほうがよい・・・?なんて目で見れるように。とはいえ、やっぱり好きではありませんでした。
そんなクモが活躍するこの物語。何が意外って、クモに気品があることですよ!私教養がないので、勝手にあのグロテスクなイメージから男性をイメージしてたら、そもそもフランスなどでは女性名詞。信憑性が薄いのでプロフェッショナルな人は引用してはいけない、と言われているWikiediaを平気で引用しますと(笑)、もともとギリシア神話にでてくるアラクネーという優れた機織り手の女性が蜘蛛に姿をかえられたのが語源だそう。
ほかの家畜たちがにぎやかでちょっとお馬鹿さんに映るのに対し、このクモのシャーロットは実に品があって、優しくて、なんというか包容力があるというか慈愛に満ちているというか・・・とにかく素敵なんです。まあ、あれだけ素敵なレースを編めるのだから、外見はどうあれ中身は素敵な人(クモ)じゃなければ織れないかも、とちょっと納得。そして、ちょうどこの本を読んでいるとき借りてきていた絵本もクモに関するもので、そのシンクロにもびっくりしたのですが、その絵本は後日紹介しますね。
大人になってから読むとなかなか素直には読めないかもしれません。以前ベジタリアンだった私は、そんな、ウィルバーが殺されないようにって願ってウィルバーが救われたことを喜びながら、今晩も食卓に豚肉が並んじゃうんでしょ・・・!?とつい思ってしまいます。
子どもが読めば純粋に感動すると思います。そして、お別れ、死について強烈な印象が残ると思います。核家族化で死が身近でなくなってしまった今の子たちにこそ、この物語は必要かも。私も子どもの頃に出会っていたかったなあ。
それにしても、クモに対する印象が全く変わってしまいました!以前卵のう(たまごぶくろ)を抱えた巨大なクモが我が家の網戸外側に張り付いていたことがあるんですね。「虫捕る子だけが生き残るのよね?」と理性で興味を持ちつつ、子どものために写メをパシャリ。けれど、感情的には「うう、気持ち悪っっ」が本音でした。しかーし!この本を読み終えた後では、ちゃあんと感情も「おおおお、卵のう」と感動しちゃいそうです(←単純)。
いや、でもすごいですよね。本一冊で見えてくる世界が変わっちゃうんですから!大人の小説はあまりにも人間世界に限られ過ぎていて、こうはいかない。やっぱり好きです、児童文学。では、今日はこれから東京に行ってきまーす。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます