『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

意外な?リンドグレーンの人生

2017-09-28 17:04:25 | 北欧文学


『さすらいの孤児ラスムス』アストリッド・リンドグレーン作 尾崎義訳 岩波書店

今日の一冊は、小学生のころ好きだったコチラ。
『長くつしたのピッピ』でお馴染みのリンドグレーンによるもので、ロードムービーにしたい一冊

このお話は小学生当時ホーント大好きで、どのくらい好きか、って小学校の卒業文集の将来なりたいものの欄に‟『さすらいの孤児ラスムス』に出てくるような風来坊になりたい”って書いたほど。
ほかの子はケーキ屋さん♪とかお花屋さんとか書いていたのにね。『さすらいの孤児ラスムス』知ってる人も、風来坊という言葉知ってる人もいなかっただろうなあ(笑)。

そしてね、そんなにも好きだったのに、ナント!!!・・・内容全然覚えてなかったんです。そんなもん。というわけで、三十年ぶり?に読み返してみました。

«『さすらいの孤児ラスムス』あらすじ》
孤児院をぬけだした少年ラスムスは、アコーディオンをかなでる陽気な風来坊オスカルに出会い、いっしょに旅をします。ところが、ラスムスがピストル強盗事件の現場を見てしまったことから、ふたりは犯人に命をねらわれてしまいます。小学4・5年以上。(BOOKデータベースより転載)


え!?待って待って?これも絶版なの~???
うーむ。でも、読むと時代を感じます。今の子たちは感情移入できないかなあ・・・?ラスムスは孤児院では問題児だったり、強盗事件に巻き込まれたりするんですけど、全体的にどこかのほほんとしてる。今の時代みたいにギスギスしていないんですね。この程度、問題児じゃなくて、愛おしいし!


小学校3年生くらいから6年生くらいまでの間、リンドグレーンの書く物語に夢中でした。といっても、内容をきちんと覚えているのはピッピくらいで、どれも‟なんかワクワクする!”‟おもしろかった~!”ということしか覚えてないのだけれど。

子どもの頃って、作者がどんな人生歩んできた人か、どんな活動しているか、なんて興味ないですよね。だから、リンドグレーンについて知ったのは大人になってから。しかもわりと最近。2年前かな?NPO図書館とともだち・鎌倉がリンドグレーン展を展示していたのを見て、初めて熱心な平和や人権活動家だったことなど知ったんです

驚いたのは、18歳で未婚の母となっていたこと。当時はね、もう大スキャンダルですよ、これ。小さな村でしたし。お相手は30歳以上も年の離れた人だったとか。決して明るいだけの人生だったわけじゃないんです

子どもの頃は、「わたしたちが遊び死にしなかったのは、不思議なくらいでした」と自身で語っているように、遊んで遊んで笑い転げた、幸せな子ども時代を過ごしたリンドグレーン。まさに『やかまし村の子どもたち』ですね。ところが、10代に入ったとたん、急に「もう遊んでいられない」と気づいてしまうのです。そして、闇の時代、10代で未婚の母という苦労の時代へ。リンドグレーンにも、‟さんねん寝たろう”の時期があったんですね!

養母に預けていたラッセをようやく引き取れたのはラッセが3歳のとき。その後、職場の上司と結婚し、娘カーリンも生まれます。このカーリンがたくさんお話をねだったことから、ピッピなどが生まれてくるのです。家庭の主婦となったアストリッドは、楽しかった子ども時代を再び手に入れ、黄金期へ。でも、ただただおもしろおかしいだけじゃない。常に社会の弱者への温かいまなざしを忘れず、おかしいと思ったら社会に立ち向かって、闘っていったんです。

幸せな幼少期ってホント大事なんだな。その後生き抜く力になるんだな。そんなリンドグレーンの子ども時代を知ることのできる、こちらの一冊もおすすめです↓


人をとやかくいえるのは・・・

2017-09-27 16:36:49 | アメリカ文学


『めぐりめぐる月』(2005年)シャロン・クリーチ作 もきかずこ訳 偕成社

今月の児童文学ピクニックのテーマは、『ロードムービーにしたい児童文学』だったのですが、取り上げたものの中でも、思いがけずよかったのが、この『めぐりめぐる月』
上記は復刻版(しかし、既に絶版)で、もともとは講談社から1996年に出ていたコチラでした↓



«『めぐりめぐる月』あらすじ》
十三歳の少女サラは、家をでた母親をたずね、北米横断三千キロの旅にでます。祖父母の愛につつまれながら旅をするあいだ、サラは親友フィービィとその家族にまつわる話を語ります。成長する少女の心を、アメリカの広大な風景とともに描いた、ニューベリー賞受賞作。小学上級から。(BOOKデータベースより転載)


家を出たまま帰らない母さんに会いに、祖父母とともにアメリカを東から西まで車で横断。広大なアメリカの大地も感じることのできる、まさにロードムービーです。展開をあまり知らないほうが、楽しめるので、あまり話せないのですが・・・サラは母親が戻ってこないことをどうしても受け入れられないんですね。愛してるハズの自分を置いて行くなんて信じられない!と。母親はなぜ出て行ってしまったのか。なぜ戻ってこないのか。

そして、親友のフィービー(この子の性悪説な妄想もすごい!結構強烈なキャラ)の母親も家を出て行ってしまいます。こちらは、なぞの手紙が家の前に届けられたり、不審な青年が周りをウロウロしていたり、ミステリー要素も。フィービーの家はきちんとしているのですが、サラはそんな家にフィービーのお母さんが疲れていることも見抜きます。そして、祖父母にフィービーのうちの話をするうちに、自分の母親のことも重なって・・・。

ここに出てくるハチャメチャでラブラブなサラの祖父母がもうもういいんですよ~。こんな風に歳を取れたらなあ、って思う。

ちなみに原書のタイトルは Walk Two Moons



「人のことをとやかくいえるのは、その人のモカシンおはいてふたつの月が過ぎたあと」というネイティブアメリカンの言葉から来ています。フィービーの家の玄関先に置かれたナゾの手紙にも書かれていたこと。表面だけ見て、人のことまるで知ったかのようにとやかう言うな、ってこと。その人の立場に立ちなさい、って。

ああ、内容が書けないのが、もどかしいのですが、ぜひ読んでみて!としか言えない。母親からの自立の物語であり、家族の絆の物語。最後は、胸にこみあげるものがあります。内容知ってても、読み返すと泣いてしまいます。心に残る一冊です。ぜひ。

ところで角野栄子さんのご自宅の書棚にも、この講談社版があったんです~!え?なんで知ってるかって?
実はね・・・見てきたわけじゃないんですけど、こちらの角野さんのライフスタイル本に書棚が写っていたんですよ↓


角野さんのオシャレやセンスに目を奪われます。こちらもオススメ♪

第13回児童文学カフェ

2017-09-26 19:50:52 | 児童文学cafe&picnic


今月の児童文学ピクニックは、流れで急きょ北鎌倉のカフェにて開催

三男は、青空自主保育に通っていて、その活動時間中にやろうと思うと、これが直前に集合解散場所が変わるんですよ(涙)。自主保育あるある
で、今回は急きょ六国見山に行くということで、北鎌倉集合解散。場所変更ゆえに来れなくなってしまった、みなさんゴメンナサイ。でも、こうなったら、北鎌倉を楽しもう!ということで、カフェを探したのですが・・・お目当てだったカフェは臨時休業だったり、なんと改装中で閉まっていたり、時間が早すぎて入れなかったり

偶然(いや、必然!?)導かれるようにして、たどり着いたのが、東慶寺の入り口のところにあった喫茶吉野さんでした。落ち着い佇まい。レトロで薄暗い店の奥ではサイフォンが静かな光を放っていて、吸い込まれるように入っていきました。

知らなかったのですが、なんでも東慶寺は文学に大変ゆかりの深い寺だそうで。多数の文学作品に描かれていたり、境内には文学碑や文人の墓が多いんだとか。文人の墓には、あの岩波書店創業者の岩波茂雄氏も!岩波少年文庫サイコー!作ってくださって、ありがとうございます!!!

文学語るのに、ここ以上にぴったりな場所があるでしょうか!?そんな私たちが座ったのは、サンルーム側。金木犀やリスを眺めながら、ほぼ貸し切り状態で、のんびり長居させていただきました



さて、今回のテーマは、‟ロードムービーにしたい児童文学 -旅せよ!少年少女!-”


いい児童文学における旅や冒険ってね、とある法則があるんです。それは・・・

‟行きて帰りし物語”

であること。
そう、『ホビットの冒険』に書かれている有名な言葉。どんなに冒険が魅惑的でも、どんなに待ち受けてる元の世界が変わらなくても、必ず戻ってくるんです。現実逃避じゃない。旅の中の困難を通じて、生きる力を得て、元の世界へ戻ってくる。自分を取り巻く環境は変わっていなくても、自分が変われば、生きていけるんですね。周りの問題じゃあ、ないんです。

ところが、最近の物語は、行きっぱなしで帰ってこないものも多いらしい

こういうきちんとした。‟行きて帰りし物語”を読むと、いま自分の子がツライ目にあっていても、見守っていようと思えます。つい口出して、アドバイスしたくなるけれど・・・なんとかするのは、親や周りじゃない。本人しかないのです。もちろん、応援することはできるけれど。そこを混同しちゃいけない。その子が自分で乗り越える力を周りが奪っちゃいけない。

これ主人公や舞台を日本に置き換えて映画化したら面白いんじゃない?など妄想トークも炸裂でした
今回は、来たかったのに場所変更により、来れなくなってしまった人も何人かいたので、後日初試みとしてZoomでオンラインピクニックをやってみようと思います!



町はあちらこちらに、金木犀の小さなオレンジ色の星たちが満開でした

今回のテーマのリストが欲しい方は、Facebook『大人のための児童文学』ページからメッセージいただければ

兄弟関係って難しい

2017-09-25 17:15:04 | アメリカ文学


『ぼくたちの宝島』(1991年)C.S.アドラー著 久米穣訳 金の星社 絶版


今日の一冊はコチラ。もうね、題名だけでワクワクしちゃいますよね~。もちろん、絶版ですけど。Amazonマーケットプレイスで1円ですけど(涙)。

アドラーは、『銀の馬車』(←名作!記事はコチラ)や『おき去りにされた猫』(記事はコチラ)などにもみられるように、子どもの心を丁寧に丁寧に描く作家さん。
いいんだけどなあ。やっぱり地味だから消えちゃうのかしら?

«『ぼくたちの宝島』あらすじ》
ふたごの兄たちに、毎日いじめられ、学校でも友だちのいない少年、トッドが夢見たこと―それは、家のすぐ裏、岸から7メートルばかりはなれた、川の中にある島に、自分だけのキャンプ場を、つくることだった。1人でやろうとするトッドも、しだいに、仲間といっしょに力をあわせ、夢を実現させていく楽しさを知る。はじめての、キャンプの夜、トッドはすばらしい“宝物”を手に入れた。小学校上級~中学生むき。(BOOKデータベースより転載)



«こんな人におススメ»

■ 兄弟関係がうまくいってないとき

■ 優秀すぎるために、周りからねたまれる人に

■ いじめられないために目立たなく、目立たなく生きようとしてる人に

■ なんだか空回りしてしまう人に

■ 自分の力で何かをやり遂げたい人に

■ 子どもだけの秘密基地でワクワクしたいときに



主人公トッドの兄たちのいじめってね、そりゃもうひどいんです。バスルームに閉じ込めちゃったりね。どうしてそこまで憎まれるのか、分からないトッド。お母さんに訴えても、お母さんの叱りは甘いと感じる・・・。ええ、ええ、兄弟あるある!でもね、母が誰かに味方すればするほど、その子が疎まれる、憎しみの対象になるという悪循環。我が家も同じだったから、頷きながら読みました。

大人が読むとドキっとすることがたくさん。ああこういう親の言動が、兄弟関係を複雑にさせてるのか、とか子どもを傷つけているのか、とか。

秘密基地のワクワクよりも、もどかしい思い、悔しい思い、切ない思いが大半を占める物語です。でも、爽やかな読了感

生きてるって光の存在ってこと

2017-09-24 17:05:07 | ファンタジー・日本


『ロップのふしぎな髪かざり』(2011年)新藤悦子作 講談社 絶版


今日の一冊はコチラ。ジンと呼ばれる精霊をめぐる、心温まる優しいファンタジーです
ジンとは、アラブの人たちの間で信じられ、恐れられている妖怪・精霊・魔人などの総称。

日本人が海外舞台に、しかも現地の人主人公で物語を書くのって、ずーっと違和感があって敬遠していました。だって、変じゃない?日本人なのに?ちょっとWannabe(外見だけを真似て本質を伴わない)みたいで

でも、違和感なく、すんなりそれを実現させちゃうのが、新藤悦子さん。梨木果歩さんの『岸辺のヤービ』の世界観にも通じるものがあるかもしれません。

«『ロップのふしぎな髪かざり』あらすじ》
アーモンド島にすむ精霊の女の子ロップはある日、海にうかぶボートの中で眠っていた人間の男の子、バハルを見つける。ジンは気にいった人間にとりついて、その魂をわけてもらうことで一人前になれるため、ロップの父はその男の子にとりついてみるようロップにすすめるのですが…。人間に憧れる精霊の少女ロップとジンの島に流れ着いた人間の少年バハル、そして二人を見守る楽しいジンの仲間たち…。五感で楽しむ珠玉のファンタジー。(BOOKデータベースより転載)



■優しいけれど厳しい現実も

新藤さんって、きっと性善説の人なんだろうな。出てくるアーモンド島のジンたちがみな温かくて、思いやりに満ちていてほっとするんです。ギスギスしてるなあ、と思う時、読むといいかもしれない。優しい気持ちにあふれているのだけれど、決してふわふわ夢見がちなわけでもなくて。バハルは戦争が原因でお母さんと離れ離れになってしまうんです。そんな厳しい現実もちゃんと描かれている。


■部外者だからこそ書ける視点

アラブの人たちにとって、ジンとはその言葉を口にするのもはばかれるくらい恐れられているんですって。悪いジンだけでなくて、良いジンもいるらしいんですけどね、とにかく口にしないほうがいい存在。

なぜジンは人間に憑りつくのか。ジンに対して、潜在的な恐怖感のない新藤さんだったからこそ、人間に憧れるジンの気持ちが描けたのだと思います。ジンは人間と比べて存在自体が薄い、感情も薄い。ジンよりもずっと濃い人間の心の味、感情を味わいたくて、ジンは人間に憑りつく。
そんなジンの物語の絵本も新藤さんは出しています。ロップがジンはジンでも地中海(ギリシアあたり?)のイメージなのに対し、こちらはアラブ舞台で、美しい細密画で描かれてます↓




■ 生きてることは光の存在ということ

これは、書こうかどうか迷ったのですが・・・
このお話、スピリチュアル的にもかなり的を得ているんです。スピ系敬遠してる私としてはこういうのあまり書きたくないんですけどね

ジンは人間の心の窓が開くと憑りつけるのですが、どういうときに心の窓があくかというと、悩みがあるときなんですね。以前知人のお祓い師の人が言ってたのですが、ネガティブな感情でいっぱいな人は肩甲骨の辺りが開いて、そこから悪霊が出入りするそうです。
一時期長男が手がつけられないくらい荒れていたのですが、このときはその状態。その人が、肩甲骨を閉めてくれたら、ピタっと症状が治まりました
・・・うっそーん!と思ったけれど、鎌倉あたりでは珍しくない話なんです。まあ、鎌倉自体が墓場みたいなもんですから

また、バハルは、お母さんを見失ったと分かって意気消沈してから、影が薄くなっているのですが、会話で‟母さん”と口にすると、身体が光を放って輝くんです。ああ、やっぱり生きてるって、光の存在ってことなんだな、ってしみじみ。

個人的な話ですが、亡き母が倒れていたとき、第一発見者だった私。そのとき母とその周りのそこはかとない闇に恐怖で震えしました。吸い込まれそうな底なしの闇。‟死神”を感じました。母はクリスチャンだったので、死は怖くないものだと思っていたのですが、死はやっぱり恐ろしいものだったの?私が思ってたのと違うの?トラウマになりそうでした。

何か月もたってから、ヒーラーをしている元同僚にそのことを手紙に書いたところ、それは魂が身体から抜けた空っぽの状態だったのでは?とのお返事が。生きているとは光の存在だということ。私がそれほどの闇を感じたのは、逆に母が生前それほど強い光を放っていたっていうことなのでは?、と言われ、ストンと腑に落ちたのです。恐怖が消えました。


■ 魂は減らない


ところで、人々がジンを恐れる理由の一つに、憑りつかれることで魂が減ってしまうということがあります。それをロップのお母さんはこんな風に説明します。

「ごかいよ。人間はたましいをなくしはしないわ。ちょっと分けてもらうだけだもの。それに、ジンがぬけ出るとき、人間にはまた新しいたましいが生まれるの。お母さんが赤ん坊にお乳をのませると、からっぽいなったおっぱいにまたお乳がいっぱいになるようにね。」(P.75)

そしてね、憑りついていた人間の悩みが消えると、ジンはその人間からはじき出されてしまうのです。悩んでるときの助けになって、その人が立ち直れば必要とされなくなってしまうジン。ちょっと切なく、ありがたいなあ、って。

私たちが悩みを抱えてるときも、もしかしたらジンのような存在がそっと支えてくれているかもしれない。そう思うと、周りに理解されなくても、強く生きていけるような気がします