
『古森のひみつ』ディーノ・ブッツァーティ作 川端則子訳 岩波少年文庫
久々に、ああ物語だなあ!と感じた独特の美しさと世界観のあるイタリアの物語

日本語に翻訳されたのは昨年2016年と最近なのですが、原書が出版されたのは1935年。
イタリアの小さいけれど、美しく古い森を舞台とした物語です。
みなから嫌われ、冷酷無慈悲なプローコロ大佐が、森を受け継ぐのですが、まあこの大佐がヒドイ


ですが、不思議な悪人なんです。子どもしか見ることのできない木の精たちを見たり、風の言葉を理解できたりするんですね。
不思議なのは大佐にとどまりません。甥のベンヴェヌートは大佐の命令で自分のことを殺そうとした風のマッテーオを最後まで慕いますし、マッテーオのほうでもベンヴェヌートを励ましたり。カササギの弟は、自分の兄を殺した大佐のために、兄のあとをついで見張り番役を買って出るだけでなく、裁判の際は必至で大佐の弁護をする

あとがきで、翻訳者の川端さんはこんな風に述べています。
「このような、ふつうでは考えにくい状況がすんなり受け入れられるのは、物語の世界が人間の知恵の及ばない古森という大きな存在に、すっぽり包み込まれているせいなのでしょうか。・・・(中略)人間とほかの生き物、あるいは風、影、小屋までもがなんの不思議もなく交じりあうさまは、宮沢賢治の描く作品世界とも重なるようです。」
そう!人間の知恵の及ばない大きな存在。たまにはこういう物語に触れたいんです

人間だけの世界じゃない。木の精、風、動物たち・・・そして古森。陰鬱なことがたくさん描かれているにもかかわらず、不思議な透明感がある

ちなみに、木の精ベルナルディが人間の姿を借りて、森林委員として森を守っているところは、あ!これ日本でいう天狗!と『天狗ノオト』を思い出しました。(『天狗ノオト』に関しては、コチラをクリック)。
そして、ある日突然子ども時代が終わりを告げる、という人生のルール。
ある日を境に突然、妖精と話し、風といっしょに歌った日々を忘れてしまい、大人になる子どもたち。いつものように過ごそうと森へやってきても、何かがもう噛み合わない。もう分かり合えない。そして森に退屈しはじめる・・・

物語を通じて、いつまでも子ども時代を忘れたくない、もしくは忘れてしまったということを自覚していたい、と思いました
