『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

自然とのつながりを取り戻す!

2018-01-15 08:10:53 | ファンタジー・日本


『龍のすむ森』(2006年)竹内もと代作 小峰書店

ブックオフから連れて帰ってきた子たちのうちの一冊。
こういう自然と人間とのつながりを思い出させてくれるような物語は、どんどん増えてほしいなあ。

≪『龍のすむ森』あらすじ≫

主人公の智は、母と二人で父親の故郷である清瀬村へと戻ってくる。実は、智の父は「必ず帰る」という手紙を残して蒸発。いじめにもあい、父の田舎に引っ越してきた智。そこで、実は智の家系は竜神社の神主であったことを知る。龍に出会いたい村の子信と智は、頻繁に森へ出かけるように。智が一人でいるときにしか現れない不思議な少女は一体誰?父親はなぜ消えたのか?

続きが気になって、どんどん読み進めます。
ただ、大人が読むと物足りないかな。田舎の村って決してパラダイスではない。狭い社会だし、こんなにすっと都会の子が馴染めるのかなとかも大人は思ってしまう。ガネ仙人や少女との出会い方がちょっとあっけなかったり・・・最後に戻って来た父親にすべてを話すところなど、私だったら話せないし、話したくないと思うので違和感。

それでも!!!
こういう日本を舞台にし、日本人のDNAが呼び覚まされるような物語はどんどん増えていってほしいと思うのです。自然とのつながり、それを思い出させてくれるような物語。森の‟気配”を感じてほしい。何かがいるってこと、龍の存在。龍といえば、こちら↓



『冬の龍』(以前書いた感想はコチラ)も、東京にだって龍はいたと思わせてくれる物語で、少年たちの仲間の絆も良い物語でしたが、この手だと私はやっぱり現代の天狗を描いたコチラがダントツに好き↓



『天狗ノオト』(以前書いた感想はコチラ

こういう自然とのつながりを思い出させてくれる物語を読んだ後は、心に何ともいえない広がりが残る。あ、つながれるかも、という感覚。緑が目に飛び込んできて、水の流れる音が耳に飛び込んでくる。そして、心を豊かにしてくれる。

もっともっと、私たちのDNAを呼び覚ませておくれ~!!!

何のために生きているのか

2017-10-01 22:30:46 | ファンタジー・日本


『哲夫の春休み』斎藤惇夫著 金井田英津子画 岩波少年文庫

今日の一冊は、ちょっと季節外れのタイトルだけれどコチラ。

ガンバの冒険シリーズで有名な斎藤惇夫さんによる自伝的タイムファンタジーです。これ読むと、どれだけ斎藤さんが故郷長岡に熱い思いを抱いているかが分かる。私の周り、新潟出身の人が多い(しかも長岡が多い)のですが、新潟の人って特に故郷への思いが強いような気がする(そして、上京する人も多い)。転勤族のうちに生まれ、故郷というものを持たない根無し草の私にとっては、故郷があるってもうそれだけで憧れです

«『哲夫の春休み』あらすじ》
小学校最後の春休み、哲夫は父の故郷長岡へひとりで向かった。列車で隣り合わせた女性と話すうちに、不思議なことが次々と起きる。長岡で春風に誘われるように古い屋敷にたどりついた哲夫は、見知らぬ少年とおばあさんに出会う。小学5・6年以上。(BOOKデータベースより転載)


児童文学研究者の吉田新一氏が解説でも述べているのですが、タイムファンタジーの名作の共通点って、実在する場所が舞台になっていて、その場所の描写が極めて忠実ってことなんですよね。ファンタジーで時空も超えているのに、真実味は増すのはそこがあるから。こういうことって、あるんじゃないかって気がしてくる。まだ死んでいない生きてる人でもね、消化しきれなかった思いって亡霊になって漂ってる気がする。だから、過去と現在が交錯する空間ってあるような気がしてくるんです。

この物語を読むと、長岡を訪ねたくなります。しかも、新幹線ではなくて、哲夫と同じルートで(大宮から特急あさま十三号で高崎→上越線水上行きの各駅停車に乗り換え終点→さらにそこから各駅停車で長岡まで)。トンネルを抜けると雪国!!!見てみたいなあ。なんだか、この前半の列車の旅部分でだいぶ満足していまします(笑)。

ただね・・・個人的には、旅の道連れになった順子(なおこ)おばあさんの娘のみどりが、なんかピーチクパーチクうるさくて。斎藤さんの描く女の子ってこういうキャラが多い気がするのは気のせい・・・!?『河童のユウタの冒険』に出てくるキツネの娘アカネもこんな感じだったな(笑)。私の世代(40代)から見ると、6年生同士でいくら勇気のいるシチュエーションだからって、知り合ってまもなくで手をつなぐかなあ、とか小さなとこが気になって、あまり感情移入はできませんでした。古き良き昭和の時代のフィルムを、客席で見ているような感覚だったかなあ。60年代安保世代への鎮魂歌のようにも感じたので、その世代の方が読むと感慨深いものがあるのかもしれません。

最後に、沖見おばあさんの言葉が染み入りました。

「いいかい、ひとは、けっして、幸せになるために生きているんではないってことだよ。そんなものは、自分でそう思うかどうか、それだけのことなのだよ。ただただ、深く感じとるために生きているってことだよ」(P.185)

そう!嬉しいことだけが幸せなんじゃない。幸せじゃなきゃ生きてる意味がないんじゃない。喜怒哀楽すべて、ただただ深く感じ取りたくて、私たちは生きてるんだなあ

この物語にちょくちょく‟水源”という言葉が出てくるのですが、ここから『河童のユウタの冒険』(その時の斎藤さんの講演会レポはコチラ)につながっていくのだなあ、と。ぜひ続けてお読みください。


生きてるって光の存在ってこと

2017-09-24 17:05:07 | ファンタジー・日本


『ロップのふしぎな髪かざり』(2011年)新藤悦子作 講談社 絶版


今日の一冊はコチラ。ジンと呼ばれる精霊をめぐる、心温まる優しいファンタジーです
ジンとは、アラブの人たちの間で信じられ、恐れられている妖怪・精霊・魔人などの総称。

日本人が海外舞台に、しかも現地の人主人公で物語を書くのって、ずーっと違和感があって敬遠していました。だって、変じゃない?日本人なのに?ちょっとWannabe(外見だけを真似て本質を伴わない)みたいで

でも、違和感なく、すんなりそれを実現させちゃうのが、新藤悦子さん。梨木果歩さんの『岸辺のヤービ』の世界観にも通じるものがあるかもしれません。

«『ロップのふしぎな髪かざり』あらすじ》
アーモンド島にすむ精霊の女の子ロップはある日、海にうかぶボートの中で眠っていた人間の男の子、バハルを見つける。ジンは気にいった人間にとりついて、その魂をわけてもらうことで一人前になれるため、ロップの父はその男の子にとりついてみるようロップにすすめるのですが…。人間に憧れる精霊の少女ロップとジンの島に流れ着いた人間の少年バハル、そして二人を見守る楽しいジンの仲間たち…。五感で楽しむ珠玉のファンタジー。(BOOKデータベースより転載)



■優しいけれど厳しい現実も

新藤さんって、きっと性善説の人なんだろうな。出てくるアーモンド島のジンたちがみな温かくて、思いやりに満ちていてほっとするんです。ギスギスしてるなあ、と思う時、読むといいかもしれない。優しい気持ちにあふれているのだけれど、決してふわふわ夢見がちなわけでもなくて。バハルは戦争が原因でお母さんと離れ離れになってしまうんです。そんな厳しい現実もちゃんと描かれている。


■部外者だからこそ書ける視点

アラブの人たちにとって、ジンとはその言葉を口にするのもはばかれるくらい恐れられているんですって。悪いジンだけでなくて、良いジンもいるらしいんですけどね、とにかく口にしないほうがいい存在。

なぜジンは人間に憑りつくのか。ジンに対して、潜在的な恐怖感のない新藤さんだったからこそ、人間に憧れるジンの気持ちが描けたのだと思います。ジンは人間と比べて存在自体が薄い、感情も薄い。ジンよりもずっと濃い人間の心の味、感情を味わいたくて、ジンは人間に憑りつく。
そんなジンの物語の絵本も新藤さんは出しています。ロップがジンはジンでも地中海(ギリシアあたり?)のイメージなのに対し、こちらはアラブ舞台で、美しい細密画で描かれてます↓




■ 生きてることは光の存在ということ

これは、書こうかどうか迷ったのですが・・・
このお話、スピリチュアル的にもかなり的を得ているんです。スピ系敬遠してる私としてはこういうのあまり書きたくないんですけどね

ジンは人間の心の窓が開くと憑りつけるのですが、どういうときに心の窓があくかというと、悩みがあるときなんですね。以前知人のお祓い師の人が言ってたのですが、ネガティブな感情でいっぱいな人は肩甲骨の辺りが開いて、そこから悪霊が出入りするそうです。
一時期長男が手がつけられないくらい荒れていたのですが、このときはその状態。その人が、肩甲骨を閉めてくれたら、ピタっと症状が治まりました
・・・うっそーん!と思ったけれど、鎌倉あたりでは珍しくない話なんです。まあ、鎌倉自体が墓場みたいなもんですから

また、バハルは、お母さんを見失ったと分かって意気消沈してから、影が薄くなっているのですが、会話で‟母さん”と口にすると、身体が光を放って輝くんです。ああ、やっぱり生きてるって、光の存在ってことなんだな、ってしみじみ。

個人的な話ですが、亡き母が倒れていたとき、第一発見者だった私。そのとき母とその周りのそこはかとない闇に恐怖で震えしました。吸い込まれそうな底なしの闇。‟死神”を感じました。母はクリスチャンだったので、死は怖くないものだと思っていたのですが、死はやっぱり恐ろしいものだったの?私が思ってたのと違うの?トラウマになりそうでした。

何か月もたってから、ヒーラーをしている元同僚にそのことを手紙に書いたところ、それは魂が身体から抜けた空っぽの状態だったのでは?とのお返事が。生きているとは光の存在だということ。私がそれほどの闇を感じたのは、逆に母が生前それほど強い光を放っていたっていうことなのでは?、と言われ、ストンと腑に落ちたのです。恐怖が消えました。


■ 魂は減らない


ところで、人々がジンを恐れる理由の一つに、憑りつかれることで魂が減ってしまうということがあります。それをロップのお母さんはこんな風に説明します。

「ごかいよ。人間はたましいをなくしはしないわ。ちょっと分けてもらうだけだもの。それに、ジンがぬけ出るとき、人間にはまた新しいたましいが生まれるの。お母さんが赤ん坊にお乳をのませると、からっぽいなったおっぱいにまたお乳がいっぱいになるようにね。」(P.75)

そしてね、憑りついていた人間の悩みが消えると、ジンはその人間からはじき出されてしまうのです。悩んでるときの助けになって、その人が立ち直れば必要とされなくなってしまうジン。ちょっと切なく、ありがたいなあ、って。

私たちが悩みを抱えてるときも、もしかしたらジンのような存在がそっと支えてくれているかもしれない。そう思うと、周りに理解されなくても、強く生きていけるような気がします


不都合なものは消えてよい?

2017-07-13 22:25:41 | ファンタジー・日本


『真夜中の商店街』(2007年)藤木稟作 徳永建絵 講談社

今日の一冊はコチラ。
ん~、個人的には漫画みたいだな、と感じました。誤解のないように。漫画が悪いとかじゃなく、漫画自体は私も大好き。
本読むのが苦手な子はこういう物語から読むと、入りやすいのかもしれません。本が苦手な我が子を見ていると、内容はともかく(←ここポイントかも?)、‟長い本読めたー!”という達成感が、違う本にもチャレンジしてみよう!というモーチベーションになるようですから

≪『真夜中の商店街』あらすじ≫
ある日友也は、真夜中に不思議な商店街を見つけ、さっそく仲良しの3人を呼び出します。友也の空飛ぶ風船ガムに驚く3人。そこで、3人も次は一緒に商店街へ行くと約束します。真夜中の商店街で、見つけたのは、おもしろくてやめられないゲーム。テストの答えを書いてくれるペン。かわいいポケットモンキー。とってもきれいな月のペンダント。それらは、自分のキライなものと交換できるのです。最初は喜んでいた4人でしたが、次第に大切なものを失ったことに気付き・・・。小学校上級から。


そう都合よくはいかないってこと。キライなものの記憶が消えるというところでは、あれ?既視感・・・。
あ!ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』ですね。バスチアンは、望みを手に入れるたびに、現実世界の記憶をなくしていったんでした。

ただ、『はてしない物語』と違って、この4人の場合は、キライに関して周りが記憶をなくすのであって、本人ではないんですね。だから、複雑な気持ち。だって、メイなんて交換したいのは‟おばあちゃん”と言ってしまうのです。おばあちゃんはボケてしまい、両親がおばあちゃんの世話に忙しくて自分に構ってくれなくなった、と。これは、とっても子どもらしい。子どもってこういうこと言いますよね。弟いらない!一人っ子だったらよかったのに!とか。実際おばあちゃんがいなくなると、両親は優しくしてくれるし、最初メイはとっても気分がいいのです。でもでも・・・。

そして、4人は本当に大切なことはなんなのかに気付くのです。

不都合なものは、本当に必要のないもの?不都合なものって、もしかして一時的かも。
ちょっと考えるきっかけになるのかもしれません。

夏に読みたい:本が苦手な男子にも

2017-07-07 16:25:04 | ファンタジー・日本

『めざせ!秘密のコッパ島』(2004年)白金ゆみこ作 石井勉絵 あかね書房

【ここがポイント!】

■ 夏休みに読みたい

■ 本が苦手な男子にもおススメ

■ 友情と冒険のひと夏の物語

■ 老人と子ども(おじいちゃんとだけの秘密)

■ ファンタジーなのに、現実味がある!

■ 小学校中級から。読み聞かせるなら低学年から。



これは、ワクワクしますね~、特に男子は。演劇化されてるとのこと、納得な内容。ああ、田舎っていいなあ

夏休み、東京に住む小学5年の大和は、東北三陸海岸に住む田舎のおじいちゃんのところを訪ねます。ここで毎年楽しみなのは、地元っ子で遊びの天才の将太と遊ぶこと。

おじいちゃんのところからは、コッパ島というのが見えるのですが、満月の夜になると、コッパ島のほうから「ヒューヒュー」と不気味な音が聞こえるんですね。誰かの鳴き声のようなその音のことを、おばあちゃんはこう説明します。

「・・・この町ではな、満月や新月になっと、亡霊がさまよい出すんだよ」
「・・・あの島にはな、津波で亡くなった人たちの亡霊がすみついてんだ。んだがら、ああやって、家族や町をこいしがって泣いてんだよ」
(P.12-13)

え!?と思って、出版年を調べました。3.11より前でした。この物語には河童が出てくるのですが、東北地方では、関東の人とはちょっと感覚が違うようで、遠野物語が根付いているためか、妖怪や亡霊が身近のようです。恐れる対象というよりも、懐かしむ対象。

この作者の白金さんも釜石の方だからなのか、頭の中からひねり出した創作というよりも、小さい頃から聞かされてきたお話が、語られている感じ。だから、なんだか自然なんですね。河童が出てくるけれど、現実離れしたファンタジーというよりも、‟ひょっとして・・・運がよければ自分も会えるかも!?”という気になれる物語なんです。実際お年寄りたちに聞くと、「ああ河童なら、昔見たよ」という方たちも少なくないそう

さて、この夏大和が気になったのが、そのコッパ島。
コッパ島は船をつける足場もないから島にあがれない。人に荒らされることがないから、いろんな珍しい動植物、昆虫がいる。迷信やら言い伝えやら、目に見えない色んなものに守られているから、そこでなら生きていける生き物が現れてくると聞いて、興味津々の大和。ある日、おじいちゃんちの蔵にも昔河童が来ていたと知り、海河童(ホタテ河童)伝説に出会うのです。

そして、蔵の中にあった紙に書かれていた暗号のようなものが何かひらめいた大和は、大潮の干潮のときだけに現れるトンネルが、コッパ島への入り口だと気づき、いざ冒険へ
余談ですが、感心したのは、さすが地元っ子将太、漁師の父親を尊敬している彼は、自分たちの小さな船ですらきちんと無事を祈ってお祓いをするのです。リュックの中から、塩、お酒、木の枝、朝食に食べたという赤い魚の頭を取り出して。

ついにトンネルを見つけて、島の内部に入っていくところは、もうワクワクのピーク!
あやしい泣き声の正体、なぜ大潮の干潮のときだけに聞こえるか謎も解明し、ますますファンタジーというよりも現実味を帯びてきます。だから余計になのかな、ふいに霧が見せてくれた河童の村の場面やカジとの会話部分は、突然‟創作“って感じになっていて、個人的にはちょっとだけ惜しい、と思ってしまいました(←上から目線)。

個人的に惜しいと思うところはさておき、子ども時代にぜひ味わいたいひと夏の物語です