goo blog サービス終了のお知らせ 

『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

見方が変わる!『おじいちゃんのゴーストフレンド』

2016-12-09 15:11:53 | 日本文学


『おじいちゃんのゴーストフレンド』安東みきえ著 杉田比呂美絵 佼成出版社
2003年・95頁・小学校中学年から・絶版

前回のヨーンじいちゃんが、自己主張の塊だったとすると、主張が薄いながらも愛おしいのが、我らが日本テッちゃんのおじいちゃん。著者の安東みきえさんは、椋鳩十児童文学賞受賞者だそう。表紙絵のポップさから実はあまり期待しないで読んだんです。そしたら、意外にもよかった!出版元の佼成出版社のホームページにあった形式を真似して、新たに【ここがポイント】コーナーを作ってみました

【ここがポイント】
・見えないものの世界について、ふわっと考えさせられる
・嫌悪感→興味→好意へと変化する主人公の心の成長がイイ
・人工物への見方が変わる!
・文字大きめ、会話多め、一人称語りでサクッと読みやすい。本が苦手な子にも


≪『おじいちゃんのゴーストフレンド』あらすじ≫
テッちゃんのおじいちゃんは、重い病気にかかっている。そのうえ、死んだ親友が見えるという…。老人とのふれあいを通して、友情の深さと温かさを知ってゆく少年たちを描く。(MARCデータベースよりそのまま転載)


親友の葬儀から帰宅して以来、親友が遊びに来ていると言い出すおじいちゃん。主人公の‘ぼく’は、服薬による幻覚だと思おうとするのですが、おじいちゃんの孫のテッちゃんは、おじいちゃんのその世界を大事にしよう、守ろうとするんです。本当におじいちゃんのことが好きだから、すんなりとおじいちゃんの目に見えない世界も受け入れられるんだなあ、って。おじいちゃんの見えないお友だちのふうさんのジュースまで用意したり、ふうさんの見えない犬をよけながら歩いたり、なんて健気。そのうち、主人公の‘ぼく’もこのふんわりしたやさしい世界になんとなく惹かれていくんですね。なので、ヘルパーの黒井さんが「ここには何もないんですよ、しっかりしてください」と言ったとたん、

何かがちっていくような気がしたのだ。まるで、水の中の魚がいっせいににげていくように、ただよっていたものがちっていく。おだやかでやさしく、幸せなものが消えて行く


って感じるんです。ヘルパーの黒井さんはとても現実的な人で、でも悪い人じゃない。幻なんかに気を取られてちゃモッタイナイ、おじいちゃんにも今を生きて目の前にあるものを見てほしい、と思っているだけなんです。それはとおってもよく分かるのだけれど、でもそれって見えない世界が「ナイ」という大前提での話。おじいちゃん、現実逃避や過去回帰ともちょっと違うんですよね。だから、子どもたちはモヤモヤが残る。目に見えるものだけが、本当に世界なのかな?ということをふと考え直させられます。

もう一つ、このお話でいいなあと思ったのは鉄塔の話。
実は私、鉄塔のような人工物が大の苦手でして。山の風景とか見てても、鉄塔があると興ざめしてしまったり、なんだか嫌なもの見た気分になってたんですね、今までは。
ところが、このテッちゃんは鉄塔が大好き。みんなに嫌われている鉄塔に純粋な思いを寄せる姿に、なんだか嫌っててゴメンナサイという気持ちになりました。そして、テッちゃんとおじいちゃんは私に鉄塔の別の姿を見せてくれたんです

鉄塔はピラミッドに似ている。四角錐の真ん中には、ふしぎなチカラが集まる、モノが腐らないとかミイラが復活するとか・・・なので、丘の上の鉄塔の下におじいちゃんを運んだらおじいちゃんの病気が治るんじゃないかと思いついたテッちゃん。その計画はギリギリのところで未遂に終わるのだけれど、そのとき鉄塔からピーピーという口笛のような音が聞こえてくるんですね。「風音」。昔、鉄を鋳る仕事をしていたおじいちゃんはこう語ります

「鉄の接合部に、すき間ができることがある。そこに風が通って鳴る。笛と同じなんだよ。鉄の笛だ」
「おまえたちは知らないだろうけどな。鉄もゆめを見る。いつかりっぱなものになりたいってな」
そんな鉄の声を聞きながら仕事をしてきたのだと、おじいさんはいう。火と水と風の力をかりて、よい鉄になるように鋳ってきたのだと。
「ふしぎだな。この世にあるものは、みんなゆめを持って生まれてくる。一生けんめいりっぱなものになりたいって、ねがいながら生まれてくる。人でも鉄でも、みんな同じだ」


なんだかとても感動しました。鉄にも命を感じ、誠心誠意を込めて仕事に打ち込んできたおじいちゃん。もうね、プロジェクトXのテーマが頭の中に流れてきましたよ(あんまり見たことないけど)。これからは鉄塔を目にしても、違う見方ができそうです。ありがとう、おじいちゃん。ラストもよかったです。




おかしくてホロリ『ヨーンじいちゃん』

2016-12-07 21:03:30 | ドイツ文学


『ヨーンじいちゃん』ペーター・ヘルトリング作 上田真而子訳 偕成社
(1981年、206頁、小学校高学年から)


昨日の北欧のバイタリティ『三つ穴山へ、秘密の探検』のおじいちゃんは子ども心を忘れない、子どもに近い存在のおじいちゃんだとすると、こちらのドイツのおじいちゃんは、子どもとは全くの別の存在でありながら愛すべき頑固者。クスクス笑えて、最後にはホロリ(人によっては、うわーんかも?)とさせられる物語。ヘルトリングだから暗いかと思いきや、明るい

小6の教科書の中の推薦図書に挙げられてるそうなのですが、イイネ、イイネ。老人がどういうものかワカラナイ現代っこたちにとって、老いの‘厄介さ’も‘尊さ’も身近になるから。とはいっても、このおじいちゃん、相当強烈ユニークで、一般的とは言えないかもしれないんですけどね。とても読みやすい文体なので、本が苦手な子にも。

≪『ヨーンじいちゃん』あらすじ≫
口論の末、母さん方の祖父と同居することになったシルマー一家。ヨーンじいちゃんが来てからというもの、孫のヤーコプとラウラはハラハラしっぱなし。だって、じいちゃんは何をしでかすか分からない。せっかく新しく張り替えた壁紙が気に入らないと、白く塗りつぶし、配線はぐちゃぐちゃにするわ、泥酔して帰宅するわ、76歳にもなって恋はするわ。でも、いつしか、そんなヨーンじいちゃんに孫たちは惹かれていくのです。ところが、ある日突然おじいちゃんが倒れて・・・。


まさに我が道を行くヨーンじいちゃん。訛りがあるものまたいい味を出してるんです。気難しいし、我が強いし、こだわりも強いし、いわゆる仏のようなニコニコの愛すべき老人ではないんです。でも、その強烈な個性も徐々にみんなが好きになってきて、村人からも愛され始めるヨーンじいちゃん。もちろん、私も途中からすっかり虜に。

家族の葛藤もまたリアルでいいんですよねえ。同居したことある人はすごく共感できるのではないでしょうか。すぐカッとなる大人げない父さんに、おじいちゃんの味方の子どもたち。ところが、時々その子どもたちですら「もう限界!」ってなると、今度は父さんが笑いながら諭しはじめる。・・・あら?父さんが一番我慢ならないんじゃなかったんでしたっけ。誰かが感情的になると、もう一方が落ち着くの法則

ヨーンじいちゃんが輝いてるのはね、遠慮しないからなんです。自分を生きてるからなんです。お世話になってる身、少しは遠慮しろ~、って最初は思うのですが、結局は周りも認めざるを得ない。ヨーンじいちゃんの部屋にはアインシュタインの写真が貼られるのですが、なぜアインシュタインが舌を出してるの?と聞く孫のヤーコプに対してこう答えるんですね。この写真です↓



「んのっ、どうしてだと?気持ちがええからさ。この人は、ひとをからかえるんだ、ちっとな。こういうことをする自由をちゃんともっとるんだ。わかったか?」

さらに、どうしてこのポスターを掛けておくのか聞かれると、

「わしに必要だからさ。このアインシュタインは、わしをたすけてくれる。わしのかわりに舌をだしてくれとる。わしはいくじがないから、だせんがの。わかったか?」


って。また、ヨーンじいちゃんが恋に落ちたとき、まだ女の人が好きになれるの?と聞いた孫に対しては、こう啖呵を切る。

「おい、孫ぼうず、わしのようなおいぼれは、もう、ほれることもでけんと思うのか?-もうでけん!もう生きとるなんてもんじゃない。頭はからっぽ、心もからっぽ、血管の中はほこりでざらざら。そう思うとるんじゃろ、ヤーコプ!え?利口なつもりでおるんじゃろうが、ちっと、ばかなところがあるぞ、おまえには!その気になりゃあ、わしはまだまだ燃え上がることがでける!うっとりとして、わくわくして、首ったけになることがでけるんだ。ああ、大でけじゃとも!」

ね?素敵なおじいちゃんでしょう?こうして、いつしか読者もみんなヨーンじいちゃんが大好きになっていくから、突然倒れて、痴呆になっていく姿はショックです。おじいちゃんが死んでいくところは、自分自身の経験と重なって、電車の中では泣けて泣けて読めませんでした。ヨーンおじいちゃん大好き。

北欧のバイタリティ!『三つ穴山へ、秘密の探検』

2016-12-06 21:15:12 | 北欧文学


『三つ穴山へ、秘密の探検』ペール・オーロフ・エンクイスト作 菱木晃子訳 中村悦子絵 あすなろ書房
168ページ、小学校中学年から。絶版(多分)


週末は電車の中で、キレる老人からお叱りを受けてかなり凹みました先日の児童文学ピクニックで、キレやすい老人のこと話題にしてたら、ちゃあんとそういう人引き寄せちゃったでござる。しかし、どう考えてもそのお方のほうがちょっとおかしい。老人の子どもを見る目がおかしい。親はそりゃあ子どものこと叱ります。けれど、それを端で聞いてた老人が「まあまあ、お母さん・・・」と声かけるのが本来の役割なんじゃないかなー、って。思わずどんな寂しい人生を送って来た人なんだろうか、自分に子どもや孫いなんだろうかとか色々考えてしまいました。ずーん

でもね、読んできた本の中には自分もこうなりたいなあ、というお年寄りがたっくさんいます♪
昨日紹介した『おーばあちゃんはきらきら』が“静”のイメージで、昔を物語ることによって子どもの世界を広げてくれるのなら、今回ご紹介するおじいちゃんは、“動”。実際の行動で子どもの世界を広げてくれる行動派!バイタリティあるなあ~、と感心する一方で、おじいちゃんの無鉄砲さにハラハラもさせられる、ユーモアたっぷりの楽しい物語です

≪『三つ穴山へ、秘密の探検』あらすじ≫
ミーナは6歳。ある日ポロシャツの胸についているマークのワニが逃げ出して、ミーナのお尻をガブッと噛んだ。でも、パパもママも相手にしてくれない。そこで、おじいちゃんに電話をかけるミーナ。思ったとおり、おじいちゃんだけはミーナの気持ちを分かってくれた!そこで、おじいちゃんが提案したのは、怖さを克服するために、もっとスリルのあることをすること。ミーナのいとこ交えた四人の孫とおじいちゃんと飼い犬ミーシャは、秘密の探検隊を作り、森のむこうの、そのまた向こうの〈三つ穴山›まで冒険の旅に出るのですが・・・。途中で密猟者に遭遇したり、おじいちゃんがケガをしたりでてんやわんや!さあ、どうなる!?


出だしのミーナがワニにお尻を噛まれるところがいいんですねえ。子どもにとっては「事実」よりも「真実」。「事実」じゃないからといって、両親は取り合ってくれませんが、「真実」を受け止めてくれるおじいちゃんは真摯に聞いてくれるんです。そこが、とっってもイイ。ミーナの妄想は、私も同じような子だったので分かる分かる。ベバリー・クリアリーの『ラモーナ』も思い起こさせます。

ところで、ミーナの恐怖心を克服するために、探検を提案するおじいちゃんなのですが、実はこの三つ穴山、おじいちゃん自身がずっと登りたかったのですね。しかし、一人で行く勇気はなかったという(笑)。幼い子どもたちを老人が連れて危険な探検にでかけるなんて、とーんでもない!なんて無責任な!という批判的な意見も多いようなのですが、私は好きだな~、このおじいちゃんの無鉄砲さ。ちなみに、この物語、大部分は作者とそのお孫さんの実体験を元に書かれているそうです。

ちょっとユニークな発言をする5歳のマルクスに、いつもピシャっと現実的な回答をする姉イーアとのやりとりも面白い。クマと出会ったり、オオカミの子を保護したり、洞窟の中で親オオカミと鉢合わせしてしまったり・・・いやはやスウェーデンの人と自然との距離感の近さはすごいな、って思います

さて、そもそもこの探検はミーナの恐怖心を克服するために計画されたものだったのですが、ミーナはさっさと成長してしまいます。ケガをして動けなくなってしまった、おじいちゃんが「あとひと晩は、わしはもたなかっただろう」と言えば、「そんなことないわ。人は思っているよりも、じょうぶなものよ」なーんて言っちゃったり。ワニの話をおじいちゃんがすれば、「え?あたし夢を見ただけよ」なんてのたまう始末。たった三週間で成長してしまう子ども。嬉しくもあり、寂しくもあり。でも、おじいちゃんのような“子ども心”はいつまでたっても忘れたくないものだなあ、そして、子どもと老人はお互いにとって必要な大事な存在としみじみ思わせられた物語でした

低学年&女の子に『おーばあちゃんはきらきら』

2016-12-05 21:10:36 | 幼年童話


『おーばあちゃんはきらきら』たかどのほうこ作 こみねゆら絵 福音館書店


≪『おーばあちゃんはきらきら』あらすじ≫

チイちゃんは小学1年生。おーばあちゃんとは、チイちゃんのひいおばあさんこと。
おーばあちゃんは小さくて、しわくちゃで、目が緑色の湖みたいにすきとおっていて、チイちゃんはおーばあちゃんが大好き。
おーばちゃんのしてくれるおーばあちゃんの小さい頃のお話は、どれもちょっと不思議で、もしかしたらおーばあちゃんは魔法使いなのかもしれない、ってチイちゃんは思ってます。


赤い鳥と青い鳥を追いかけていたら、おばあさんになった自分に会った話、魔法をかけられて緑の魚になった王子さまの話、『妖精のぼうし』の話、外国の本の中に入って、小人の家になった靴の話、思い出をとってきて色を塗ってくれる金色トカゲの門番の話・・・などなど。

文字大きめ(108頁)読み聞かせるなら幼稚園から。自分で読むなら小学校低学年から。

表紙の絵の印象通りの、ふんわりふわふわ優しいお話が8話、おーばあちゃんが話してくれるという形で入っています。女子で夢見がちな子は好きかも

私も小さい頃読んでいたら、好きだったかもな~。ただ、大人になってから読むと、ふわふわしすぎていて、大人も読みたい、というより、子どもに読んであげたい物語かな。
うーん、なんでしょう?内容や発想は好きなのだけれど、文体が合わないのかな。ピュアすぎて、ちょっぴりくすぐったい

著者のたかどのほうこさんは、絵本と幼年童話のときは、平仮名の名前を、児童文学のときは高楼方子と漢字の名前でと使い分けていらっしゃるのですが、漢字の高楼方子さんのほうが個人的には好きなんです。平仮名の時と漢字のときでは、内容もずいぶんと雰囲気や印象が違うんですよねー。

同じ内容を安房直子さんが書いたら、どんな風に仕上がっていたんだろう、と個人的には興味があります。発想が似てるんですよね。ただ、たかどのさんの世界がキレイキレイな世界であるのに対し、安房直子さんはいつも人間の悲哀も少し感じさせる。だから、安房直子さんの物語は大人にも響くのかな。ただ、幼い時期はキラキラしているものだけでも、いいんだと思います

第7回児童文学ピクニック

2016-12-01 11:44:52 | 児童文学cafe&picnic


『子どもの宇宙』河合隼雄著 岩波新書


昨日は寒空の下、第7回児童文学ピクニックを開催しました~。お日様さま出てない時間が多かったので、いや~、寒かった。体調不良で直前キャンセルの方も何名かいて、6名でこじんまりと(しかし、このくらいの人数がちょうどよかったりする)。

今回のFoodテーマは“異国情緒を感じる味”。前回のピクニックで、世界中を放浪してきたAさんが作ってきてくれた中米料理が美味しくて、こんなリクエスト。ちょっとスパイスが入るだけで、そこはもう異国で、クミンの入ったかぼちゃ煮、菊芋カレー、トルコ風人参サラダ、もち米をココナッツミルクで似た甘いおはぎのようなタイのおやつ、ギリシアのラスクetc.etc.。ひとつひとつがもう美味しくって。本のテーマとは全然関係のない、ただ自分が食べたいという理由だけで設定した持ち寄りテーマ、大正解でした

あ、肝心の本のテーマでしたね。今回は『老人と子ども』
もう読む本が追い付かないくらい、い~っぱいありました!前日の夜ぎりぎりまでテーマ本を読み、リスト(毎回テーマに沿った本のリストを作成しています)が仕上がったのが当日の朝。まあ、毎度のことですが。なんで、こんなに“老人と子ども”を描いたものって多いのー!?となりましたが、その‘なんで’には、ちゃあんと理由があるんです

臨床心理学者、故河合隼雄さんの著書(上記写真参照)からその理由を引用しますね。

老人と子どもとは不思議な親近性をもっている。子どもはあちらの世界から来たばかりだし、老人はもうすぐあちらに行くことになっている。両者ともあちらの世界に近い点が共通なのである。青年や壮年がこちらの世界のことで忙しくしているとき、老人と子どもは不思議な親近性によって結ばれ、お互いをかばいあったり、共感し合ったりする。もちろん、一般的な意味で、老人と子どもは正反対であることも事実である。反対の部分と共通の部分と、これが作用し合って、老人と子どもの間に興味のある交流が生まれてくるのである。(『子どもの宇宙』河合隼雄著 岩波新書より)

講義で習ったことをそのまま書くと(笑)、大人が「量的世界観」の時間の流れに生きているのに対し、子どもと老人は「質的世界観」の時間の流れに生きているという点で共通しているそうな。人間はもともと量的世界と質的世界のバランスを無意識的にとって生きている存在だったのですが、近代以降は経済活動含む量的世界の価値観が強くなりすぎちゃったんですね。この量的世界と質的世界の差異が大きくなってしまうと、老人と子どもが生きづらい世の中になってしまう。幼児・老人虐待やらキレる子ども、老人も増えてますよね。量的世界とは大人の世界なのですが、今の世の中は、子どもを早く大人にさせたがり、また大人はなかなか老人になれない傾向となっちゃってるんです

コレ、児童文学の中にもハッキリあらわれてます。古典的、昔の児童文学に出てくる老人は本当に成熟している(頑固偏屈じじい、ばばあはいつの世にもいるけど)。ところが、現代の老人を描いたものでは、なんていうか老人も子どもっぽい。子どもの心を持った、ではなく精神的に幼稚という意味での子ども。それもまた、人間くさくていいなあ、と思うときもあるのだけれど、せめて児童文学の中だけでも、以前ご紹介した『銀の馬車』に出てくる祖母のような人格者に出会いたいなあ、と思ってしまいます。お父さんやお母さんには理解してもらえなくて、でもそんなとき心に寄り添ってくれる老人がいる・・・これが健全なあり方なんだなあ

いやあ、『老人と子ども』奥が深い!しかし、読んだそばから内容を忘れて行くので、自分の備忘録としても、しばらく『老人と子ども』テーマの本の感想が続きそうです。