皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

自閉症・自閉性障害・アスペルガー障害・広汎性発達障害

2008-11-24 20:49:21 | アスペルガー症候群

現在日本における医学的診断は、自閉症スペクトラムという連続帯の範疇を広義の広汎性発達障害と位置づけています。

連続帯と見なす意義、一定の線引きをする必要性は社会システムによって変化するものだと思います。
しかし当事者にとっては、そのカテゴライズが必要な場合と、カテゴライズによって余計に混乱してしまう場合が存在するような気がします。

“障害者として生きていく覚悟はあるのか?”

医師が頻繁に口にする台詞です。
言い換えると、医師のさじ加減で健常者と障害者が選別されるという現実がそこにはあります。
成人にとっては、ある程度選択の余地はあると思います。
社会生活を営むに当たってどうしても不自由を来す場合、そこには外的な援助が必要となりますので、社会資源を頼る上での障害者という選択肢は必要だと思います。
一方、それなりに不自由はあるが生きていく術を持っている者にとっては、必要のない制度。

ワタシの親は未だに「精神科」=「き○○いの通うところ」と言い張ります。
自分の息子が通っているという現実を目の当たりにしてもなお、目を反らそうとします。
うちの場合、父が病院に勤務しています。
そこには『発達障害専門医』も『目眩専門医』もいますが、“体裁上”通えません。
たぶん、程度の違いはあっても、ワタシの家系が特別な訳では無いでしょう。


さて、そもそも自閉症スペクトラムという概念を提唱したのは、イギリスのL.Wingだと記憶していますが、彼女が第二次大戦中のオーストリアの小児科医Hans.Aspergerの著書『Plobleme des Autismus im Kindesalter』を英訳して自閉症スペクトラム障害(Autism Spectram Disorder :ASD)を障害として認定しようとした動きは、当時のイギリス社会における問題点の解決の一手法として使われたという点が置き去りにされているような気がします。

現在日本国内で使われている「AS」、「アスペ」、「アスピーズ」、「アスペルガー症候群」、「アスペルガー障害」、「LD」、「学習障害」、「ディスレクシア」、「AD/HD」、「注意欠陥・多動性障害」、「PDD」、「PDD-NOS」、「広汎性発達障害」、「HFPDD」、「高機能広汎性発達障害」、「HFA」、「高機能自閉症」、「自閉っ子」・・・
かなり煩雑な使われ方ですね。

日本は元々保守的なお国柄。その上に我が子が“障害”と言われて動揺しない親はいないでしょう。日本人は分類好きです。そして残念なことですが、『差別』・『逆差別』を文化に溶け込ませた風土の上に成り立った島国です。
上記のような煩雑さは社会システム上支障を来すので採用されたのが、『広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)』という概念なのでしょう。
スペクトラムというのは、とても融通の利く『日本文化の曖昧さ』にマッチングした言葉だと思います。


我が子を見て『カナータイプとは思えないがどこか変』と感じてしまう親にとっては『発達障害』という言葉は一種の魔力を秘めているもののように見えます。

もし仮に、自分自身が自閉症スペクトラムの範疇に入ると指摘されたなら、その定義自体の是非に拘らないのは何故だろうか?

『対処ができればそれで良い』

極めて模範的な回答だと思います。
ワタシが親に常々話していることなのですが、
「もし我が子として、アインシュタインが生まれてしまったらきっとグレるだろう」
頭の構造からして異なる親子同士が、言語的・非言語的に定型発達を自称する親の教育を受けた場合、環境因子によって相対性理論に行き着く前に、己の異質的特性に負けると思う。
仮に負けなくても、「出る杭は打たれてしまう」。


それがワタシの見てきた日本文化です。
穿った見方をしている面も多々あるでしょうが、案外冷酷に現実を見極めているところがあるかも知れません。


日本人は医療・福祉・教育の分野において、『欧米文化を吸収することが向上へと繋がる』と盲目的に思いすぎてはいないだろうか?
日本文化にソーシャルワークは当てはまらない。
それを「社会福祉士」という名前に変えたとしても・・・

大学の心理学教室や教育学教室などに通うと、「インクルーシブ(inclusive)」という言葉が流行しているようです。
包含的社会、包含的教育・・・

理論は高尚でよい響きに聞こえますが、なぜ『世界中が行っているから』を合い言葉に、日本的システムの構築を考えないのでしょう。
“inclusion”と“normalaization”
日本でこの言葉を聞くと、残念ながら政治的表現に聞こえてしまいます。
もう完全に共産党の宣伝文句になってしまってます。
共産主義が悪いとか、共産党が悪いとか、それはそれで置いておいて、あまりにも現実が見えていないとしか言いようがありません。
堂々と“exclusion”、“abnolmalization”と言っているほうがワタシ的にはしっくり来ます。



そういう意味合いにおいて、L.Wingの理論、S=B.Cohenの理論もイギリスという風土において有効なシステムであることを、まずは考えなければいけないと思います。


そして『Plobleme des Autismus im Kindesalter』を読むと、現在日本で使われているアスペルガー障害(Asperger's Syndrome :AS)とHans.Aspergerの提唱した、『自閉性障害(Autistic Psychopathy :AP , Autistic Disorder)』は異なるものである

 

という事実に辿り着いてしまいます。

人は真実を求めて生きているのではないので、己の信じる道を進むことが己の身を助けることになると思いますが、『理論は絶えず変化する』


そして『社会システムも絶えず流動的に変化する』

と考え、

流されないで自分の子供を真正面から見て欲しいです

 


ワタシの書いていることは、戯れ言です。
現代社会で見向きもされない事が、次の時代に変貌を遂げるというのもまた事実です。


たぶん文章としてもの凄く稚拙で、脈絡が理解できない文章になっていると思いますが、ワタシの脳の中で全てのピースを結合すると立派に意味が通ってしまいます・・・
まだまだ文章構成力が全然追いつかないので、日々勉強中です。



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4 コメント

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Unknown (異性人)
2008-12-06 11:10:23
スペクトラム・・・七色ではない虹のように、どこからが「定型」でどこからが「定型外」なのかはいったい誰が判断するねん!と常々思ってます
ほやから、診断名にふりまわされんと、あなたらしく生きたらええねん!とエールを送ります
本間に当人の思いにたったカウンセリングってなかなかないもんですね~
私もそのスペクトラムのどこかに位置ひていると確信してます
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Unknown (pluto)
2008-12-07 00:54:02
>異性人さん
定型、非定型は、個人的には不適切な用語だなあと思ってます。
疾病や思考、認知、感情、人間性…
多くは連続帯なんですよね。
境界を設けているのは、社会システムと常識人と自認する自信化さん達でしょうか?

ワタシ自身のカウンセリングはとても満足してますよ。いい方に出会えたと思ってます。
ワタシも異性人さんも、色んなスペクトラムのどこかに位置してるんでしょうね。

エール、ありがとうございます
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Unknown (とと)
2008-12-08 02:00:04
初めまして。日本ブログ村経由でやってきました。ブログの題名にひかれてコメントさせていただきます。

「皮膚呼吸しか知らないかえる」
自分のブログの題名と似た部分を感じます。

私は「そらをゆくちびのさかな(の旅日記)」です。

世の中、立ち回るのは難しい!
みんなと同じにして器用に生きるのは難しい!
そんな不器用な自分をナントカして受容しよう
と言う想いを「そらをゆくさかな」という言葉に込めています。

「皮膚呼吸しかできない蛙」はなんとなくそれと言わんとしている事は同じような気がして。

私も、診断名はないですが、スペクトラム上のどこかにいるような気がする1人です。
限りなく定型発達に近いところかもしれないですが、、、、。

よろしかったら、私のところにもいらしてくださいね。
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Unknown (pluto)
2008-12-08 21:27:51
>ととさん
こんばんは。
ブログ、少しだけ読ませて頂きました。
何となくですが、ブログタイトルに込めた思いには、共通点がありそうですね。

診断は、本人が必要かどうかで良いのではないでしょうか?
息苦しいと思っていたことが、自分の頭の中で解決できたとき、また一歩前進できるような気がします。

ワタシはもしかしたらスペクトラムの両端(巷で言うところの定型・非定型)は存在しなくて、人間は、「y=1/x」のように、永遠に収束しないスペクトラム上にいるんじゃないかな?って思ってます。

よろしければ、また寄せて頂きますね。
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