皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

アスペルガー障害者の特性 - 一個人の致命的短所における考察 -

2008-12-06 23:07:47 | アスペルガー症候群

アスペルガー障害児者は、“社会性の問題を抱えている”という言葉をよく耳にします。

そして“空気が読めない”


本当にそうだろうか?
ワタシ個人の例を挙げて、検証してみることにする。

ワタシは人と話しているとき、一対一、複数に関係なく、ある程度相手の心情や話の流れを読むことはできる(正確には出来ていると錯覚しているないしは、出来ていると推察される)。

人の顔、表情、仕草、声色、話の流れ、ちょっとした抑揚の変化・・・
多くの事は、人生の経験における膨大な情報量の中から最良のマッチングをチョイスしようと、注意深く情報収集をする。

経験値による情報量は人それぞれであり、ワタシの経験などは取るに足らない程度ではあるが、「自分の身を守る」という無条件反射的な自己防衛本能が働くものである。
ワタシ個人の経験上、この“読み”は意外と的を射ている事が多い。
これも一種の錯覚や誤解と言われればそれまでだが、
ワタシは、人生において傷つき体験を数多く経験してきた者には、特にこの能力は、ある種尋常ではない程度獲得せざるを得なかった事情があると思っている。
アスペルガー障害者は多かれ少なかれ、様々な傷つき体験を経験してきたことと思う。

だが、残念なことに“場の流れ”“ある種の予定調和”は、かなりの場数を踏んでいなければ読めない。厳密に言うと、経験してきたこととの僅かな違いに気付くことが出来ず、その予定調和に乗ることが出来ないというのが正確かも知れない。

この予定調和に乗れなかった場合問題となる気質の1つは“正義感”。
非常に分かりやすい“俺流正義”である。
もし誰かが、愚痴を言い合うママ友の会で不穏当な発言をしたとしよう。
周りの人々は、「腹の中ではどう思っているか」を抜きにして、その場での共感相手への配慮交友関係今後もお付き合いを続けていく、様々な利害関係が交錯しその場を取り繕うと思う。
これは職場でも同様のことは頻繁に起こる。

ここでワタシの場合は、不穏当な発言に対して
“ピンポイントでクリティカルヒット”
をお見舞いしてしまう。
これは憤怒不快感などの情動による発言ではないことが多い(たまには感情的になることもあるが・・・)。

これは、“内容的には非常に正しい発言”であることが多いが、相手にとってはもの凄く不快な発言となる。

人間が狼狽する多くの場面は“図星”を指摘されることであるというのは、かなり高確率だと思う。
この“図星”を指摘しないことは、一般的と呼ばれる世界では“配慮”であったり、“心遣い”という言葉で表現されると思う。

人は“予定調和に合わせる”という行為で、『お互いを理解するという錯視的行為』をしているのであるが、アスペルガー障害者は、予定調和の微少な食い違いまで細密に選別してしまうが為に、この部分をはずしてしまう。

口から出た“図星”は、相手の急所を確実に突いてしまっている。
当然その場は凍り付き、共感とはほど遠い世界となってしまう。


J87スツーカ並のピンポイント急降下爆撃である。

もう、ステルス機能が付いていようがお構いなし。
これを鈍感というか敏感というか、単に優しさが足りないと言うかはそれぞれであるが、多くの人間は“優しさが足りない”“無礼だ”と思うことだろう。

アスペルガー障害者にとっては、精一杯配慮したつもりの発言でもこの様なことが頻繁に起こる。

『他害』

と一言で片づけられてしまうが、相手の気分を害する他害と、正当な理由がある他害は異なる。
残念ながらワタシのような者は、巷で言うところの“正論という名の暴言”を吐いてしまうことが多い。

そして、固執性という厄介なものまで表れてしまうと、

自動追尾システムによる集中爆撃


なる、極めて粘着質な行動にまで発展してしまうこともある。

このことをもう少し深く考えると、
なぜその相手の言葉に反応し、執着し、固執していくのかは、


自分自身にとってその言葉がクリティカルヒット
である。

ということだと思う。

この一連の反応は、空気を読めず、人の気持ちをくみ取れず、粘着質でいやらしい。
と言われてしまうだろう。実際高確率で言われることは、まず間違いない。


これは大いに反省し、修正していかなければならないことだと思う。

心地よい会話を楽しむ。


多くの人々はこれを望んでいるであろうから。



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