食いしんぼsanaの「舌の記憶」

「舌の記憶」を中心に、日々感じたことを、
ゆるゆるとつづっていきます。

尾崎豊の命日に寄せて

2019年04月26日 | つれづれノート

尾崎豊が亡くなってからもう27年が経つ。
彼のうたを聴いて、
いまなお色褪せずに輝いて感じられるのは、
中学時代の「セイシュンの思い出」と
直結しているからかなと思います。

育ってきた札幌市から引っ越して
中学3年間を湘南で過ごしたわたし。
住まいは海から5分。
セイシュンを謳歌しない
選択肢はないのです。

当時はヤンキー全盛期(たぶん)
わたしのセイシュンも流行りのスタイルです。

制服の長いスカートをひきずって、
徹底的につぶした薄い学生カバン、
夜ごと仲間と砂浜や公園で
タバコをふかしつつダベリング。
愛読書は紬木たくの「ホットロード」で、
部屋にはいつも尾崎豊が流れていました。

といっても別にわたしは
「ふりお」だったわけではないのです。

いろんなタイプの友だちがいて、
勉強もそこそこやっていたし、
読書感想文を書けば賞を取ってみたり、
2年・3年と新聞部の部長を務めて
顧問の先生からの信頼も厚かったり。
家庭環境も良好でした。

でも3年間通して
運動部の先輩と
本当のふりお?からは
それはもう執拗に
からまれていて。

からまれるきっかけは、
1年の時に最初に入った
バドミントン部を辞めて
新聞部に移籍したことでした。

バドミントン部を辞めることを
こわい先輩に責められて関係が悪化。

ついでのように靴下の校則違反と
つぶした学生カバンのこと、
それに廊下ですれ違うときに
45度で挨拶しないことを非難されて。

わたしは「先生に校則違反を指摘されるならわかるけど、
先輩にその権利はないでしょう?」とか
「部活を辞めるときにあんな態度されて尊敬できない。
挨拶は自然にするもの。45度とか強制するのはおかしい」
みたいことを言ったんですよね。
すごい言い合いになって周りに人垣ができちゃって。
それで1年に生意気なヤツがいる!って噂になって。

そういうことがあって、
理不尽なルールを上から強制される違和感、
それに到底迎合できないアイデンティティ、
自分の正義を貫きたいという考え方みたいなものと
尾崎豊の歌詞がリンクして
ハマっていったのかなといま改めて思います。
今でもよく聴くけど、
共感できる歌詞は本当に多い。
愛のうたも多いしね。

これは中学の卒業文集に書いたもの。
尾崎豊とホットロードの世界観満載です。
良い子・悪い子・普通の子。
どのカテゴリーにも当てはまらい
変わった子でした。
中学時代いろいろあっても
わたしが充実した生活を送れたのは
懐の深い仲間や先生のおかげ。
本当に感謝しています。

当持大人びていたのか
子どもすぎたのかどっちなんだろうなぁ。
そこもカテゴリー分けできません。
ともかく今より確実に
字がキレイ、ってことは間違いないけど。

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