私が子どもの頃、まだ家の前の道は舗装されてない砂利道だった。
ある日、舗装道路工事が始まった。
大きなロードローラーが行ったり来たりして、道に敷きつめられた石をつぶしたのを見ていた。
「あれにひかれると、おせんべいみたいにぺっちゃんこになるよ。」
いたずらっ子だった私に、母はそういった。近づくと危ないと思って、おどかしたのだ。
その言葉は十分すぎるほどききめがあった。
平べったくなった自分の姿を考えてはふるえあがり、夜寝てからうなされたほどだ。
決して道には近づかなかった。
(写真:トントンとわたし。妹がまだ生まれていない頃)
ある日、舗装道路工事が始まった。
大きなロードローラーが行ったり来たりして、道に敷きつめられた石をつぶしたのを見ていた。
「あれにひかれると、おせんべいみたいにぺっちゃんこになるよ。」
いたずらっ子だった私に、母はそういった。近づくと危ないと思って、おどかしたのだ。
その言葉は十分すぎるほどききめがあった。
平べったくなった自分の姿を考えてはふるえあがり、夜寝てからうなされたほどだ。
決して道には近づかなかった。
(写真:トントンとわたし。妹がまだ生まれていない頃)
昔は舗装道なんて 街に行かないとなかった!
雨が降ると すぐに道はドロドロになって・・・
今や土の道は 田舎の農道くらいかな
農道だって「スーパー農道」とやらは立派で 国道と見間違うくらいだもんね(笑)
下水道の関係で 道はみんな舗装されてしまって
あの「水たまり」もなくなった
雨上がりに わざと水たまりに入るのは
子供にとって 結構な快感でしたが・・・
わざわざあの中を通って、長靴の中びしょびしょにしたり。
私の家の近くには畑がたくさんあったので、小学生になる頃まで、そういう土の道はありました。雨のあとはわざわざ水たまりのある道を通って帰ったりしました。
そうですか、下水道の関係で、あの頃道は舗装されたんですか。トントンの刺繍にも、公園に土管があるけど、そういうものに使われたのかな?
落ち葉を集めてこのような焚き火の煙が、見られたのもこの頃の風景ですね。
今は、もう住宅街では、全く見られないし、農村でも、野焼きの煙さえ公害なんて通報されてしまう。
焚き火の中に、お芋を入れて焼き上がりを待っていた頃が思い出されます。
仲のよい、姉妹ですね。
私も姉との写真を思い浮かべています。
懐かしい昔が甦ってきます。
貧しくともいい時代だったと振り返っています。
上のコメントのサトさん
足を痛められたんですね。
良くなられますように。痛みが軽くなりますように。
私は男兄弟ばかり。
小さい時から、お姉さんはお姉さんらしい!紅蓮さんはやっぱり紅蓮さん!次女と長女ってどうしてこんなに違うのかしらね?お姉さんの手を握って安心、頼ってるって感じが、かわいらしい!
舗装されていない道路、今の東京ではほとんど見かけませんね。成城学園の私道が一本の残っているんですよ。裏道ですが私はわざとそこを通ります。なんだか、ほっとしますもの。
お芋を焼いて、食べましたよね。
この写真は、道ものどかで、とても好きなんです。この後じきに、道は舗装されてしまうんです。けど、それはそれで、楽しい場所ではあったのだけど。
ところで、三分の一体重をかけて、歩けるようになったのは、一歩前進ですね。
でも、まだ痛いのね。リハビリは辛そうだけど、乗り越えて、まだ元気で歩けるようになってね。
一日がほんとうにゆっくり過ぎていきましたね。あの頃は。