道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

続・任継愈について

2010-02-13 00:40:20 | 精神文化
人を褒め称える際には、スケールが大きければ大きいほど、楽である。
そこで、先程の記事ではかなり大きな話をしてしまった。
しかし、もうちょっと身近なスケールで、彼を称えることのできる功績がある。


任継愈に対する追悼文を書こうとして資料を集めていたら、彼がその師湯用彤のために書いた追悼文が出てきた(『中国哲学史論』所収「悼念湯用彤先生」)。
これは面白い偶然だ、と思って読んでいると、この中には、任継愈の意外な業績が記されていた。

湯用彤には『漢魏両晋南北朝仏教史』という歴史的名著がある。
文章は古雅で、地の文と引用文の別が分かりにくいという難解なものだが、その学術的水準は間違いなく高い。任継愈の『中国仏教史』とは較べ物にならない。
しかし、この本は共産中国成立前に書かれたものであるために、当然、唯物史観など少しも踏まえていない。
1950年代に北京でこの本が再版されたが、その時、末尾に「重印後記」なるものが付された。この「重印後記」では、マルクスやエンゲルスの文を引きながら、本書が「唯心論」的に書かれたことについての反省と、自身の唯物史観への転換、そして余力がないために全面的な改訂を行わずに再版することについての遺憾が表明されている。

もちろん、こんなのはカムフラージュである。
革命前の本をそのまま出せばどのような批判を浴びるかわからないが、マルクス主義に従って全面的に書き改めれば学術的レベルは確実に激減する。
そこで、窮余の策として、内容はそのままにしつつ、反省文らしきものを末尾に付して、批判をかわそうとしたのである。
最初にこの「重印後記」を読んだ時には、湯用彤もなかなかやるじゃん、と思った。

しかし、「悼念湯用彤先生」が言うには、
どうやら、この「重印後記」は任継愈が書いたものだったらしい。
なるほど、確かに、これだけうまくマルクス主義に媚びる文章は、湯用彤には書けまい。任継愈ならではの技である。
そして、任継愈が「重印後記」を代筆したからこそ、湯用彤は安心して「唯心論」的に書かれた『漢魏両晋南北朝仏教史』を共産中国下で堂々と再版することができたのであろう。


一年程前、私はこの本を手元に置いておこうと思って神保町を歩き回ったが、どの本屋にもなく、最終的に代々木の東豊書店に行った。
書籍が棚に収まりきらず、棚の上から天井に至るまでぎゅうぎゅうに詰め込まれ、平積みになって通路を塞ぎ、それでも足りず、棚の間に棒を渡してその上にも本を乗せるというオソロシイ密度で本がある、トンデモナイ本屋である。この本屋に来れば、古い本は大抵ある(もし見つかれば、だが)。
この東豊書店で『漢魏両晋南北朝仏教史』を探すと、旧版と新版の二種類が見つかったのだが、何故か旧版は下巻だけが二冊あって、上巻がない。店のおじさんも「あれー、おかしいなー」と言って探してくれるのだが、段々本の山が崩れてきて、大惨事の手前に突入してきたので、新版を買った。
この新版が、すなわち、任継愈が「重印後記」を代筆して出版を実現したものである。

私も、こんなところで任継愈の恩恵に預かっていたことを、今更になって知った。


彼のマルクス主義に傾倒した言説も、このような形で役に立つことがあったのだ。

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ところで、私の師から聞いた話だが、任継愈の唯物史観にまみれた記述も、実は本気だったのかどうかアヤシイところもあるらしい。

以前、師が、任継愈から翻訳を頼まれたことがあるらしい。
彼は面倒だから断り、結局その仕事はしなかった。
しかし、その時、任継愈はこのように言ったという。
「自分の著作の中で、マルクスとかエンゲルスとかの言葉を引用した部分は省略していい。これらを抜いても前後の意味が通るように文章を書いてある」と。

どうも、マルクス主義が中国の主流思想でなくなった場合も見越して著述を行っていたのではないだろうか。
というよりも、マルクスの引用は単なる政治的ポーズであり、文章技巧であって、内容的意味は全くないのではないか。

以上のように、師は言う。


本当のところは、本人が死んでしまった今では知りようがないが、
もし師の言う通りだとすれば、誠に中国の学者といえよう。
古来、中国の知識人というのは、いつの時代でも、
このような裏表を使い分けて学問を修めてきたものなのである。

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