道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

手作業

2010-06-03 17:08:16 | 精神文化
一昨日、108通の案内状&パンフレットを印刷・発送した。「平城遷都1300周年紀念」で仏像の写真が入った切手を貼って。
そろそろ届く頃だと思うが、受け取り人達は、まさか煩悩の数だとは思うまい。ふふふ。



自分で言うのも何だが、単純な手作業を長時間するのは割と得意な方だと思う。
今回は、パンフ・案内状・封筒・ラベルを、ひたすら刷って、乾かして、折って、貼って、詰める。その前にも、同じパンフを50部ずつ、4ヶ所に発送したが、やはりひたすら刷りまくり、折りまくった。
先週は、報告集6冊セットを段ボールに詰めて発送する作業をした。段ボール箱を組み立て、6冊のセットを作り、それと送り状を合わせて箱に入れ、閉じて、積み上げる。これを200個ほど。
また、こないだのバイトでは、パイプ磨きを一日10時間×3日連続。その後に2日間、諸々の掃除機かけ&水拭きをやはり一日10時間。不思議と苦にならない。
最近は、本を丸々一冊コピーして副本を作る作業も結構好き(違法)。

これらは、決して思考が要らない仕事ではない。印刷であれば、インクジェットで太い字や絵を刷ってすぐに重ねるとインクが付くし、両面印刷には危険が伴うのだから、ある程度の工夫が必要である。また、段ボール箱の組み立てであれば、どの位置に段ボールとガムテープを置き、それをどこで組み立て、どのように貼るのが頑丈さを保持しながら迅速かということを考えなくてはならない。
そして、何より重要なのは、段取りである。作業・保管スペース、人数、個々の作業及び作業後(乾燥等)にかかる時間を考慮して工程を組み立てなければ、それぞれに無駄が出て効率が落ちる。
こういったことを、ある程度の試行錯誤を経て確定させることで、スムーズな流れ作業を実現できる。そして、マニュアル化された流れ作業が実現すれば、集中力が持続し、それぞれの作業に熟練することにもなる。例えば、A4の紙を三つ折する時に、三つ折すること以外のことを考えずに済むようにすれば、ひたすらA4の三つ折に集中し、熟練し、どこで折り目をつけるべきかが手で分かるようになる。
即ち、「作業している時間」を工夫と熟練によって短くすると共に、「作業していない時間」を段取りによって減らすのだ。特に後者はバカにならない。手作業に於いて、作業以外のことに費やす時間というのは、油断するとどんどん増える。そして、作業以外のことに時間と労力を費やすと、作業自体の効率も落ちるのだ。

こういった工夫や段取りというものは、実際に作業しつつ考えないと、うまくいかない。頭の中だけで考えても、休むに似たり。現場を知らない指揮官がバカにされる理由というのは、まずここにあると思う。



ところで、こういうことは、君子のなすべきことではないとされる。

かつて孔子は、その多能を賞賛された時、このように言った。「私は若い頃に身分が低かったので、色々取るに足らないことができるのです。君子というのは、本当はそんなに色々なことに手を出さないものです。」(『論語』子罕篇)

また、孟子は、弟子の彭更に「何も仕事をしていないのに莫大な報酬をもらっている」と非難された時、「自分の仕事は職人や農民とは違い、仁義を世に広めるということである」と主張し、自らの報酬の莫大さを正当としている。(『孟子』滕文公篇下)
公孫丑の「君子が農作業もせずに報酬を得るのは何故か」という問いにも、君子は倫理的教化という至大の働きをなすのだから報酬は正当である、と説明する。(尽心篇上)

近くは毛沢東も、長征の際に、自分の足で歩かず、部下達の担ぐ担架の上に寝そべりながら本を読み、「同士達は手足を動かして苦しい思いをしているかもしれない。しかし、私は頭脳を働かせるという更に苦しい仕事をしているのだ」と述べたという。

最近、ポンコツ部屋に一人の客が訪れた。どこぞかの社長令嬢で、幼い頃から留学を繰り返し、その帝王教育の最終段階として東大の半年間600万円速成コースに入学したらしい。もちろん語学は堪能、教養も幅広く、頭脳の回転も非常に速くて明晰。
その彼女が、これから半年間は東大生だが、その後半年間も東京に留まって「いろいろ経験してみたい」と言うから、下々の人間の様子を知るために「コンビニでアルバイトしてみるのは如何ですか」と提案してみたら、見事に無視された。
帝王学の中には、どうやら下働きは入っていないようだ。



私は彼らのような君子にはなれず、小人に留まるのであろう。もう、これは性格の問題だから、どうしようもない。

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